村住明彦さんの転入会の証

信仰の証

本日は、私がどのようにして救われ、その後どのような信仰生活を送ってきたか、最後に今どのような想いでいずみ教会への転入を決意したのか、この3点についてお話させていただきます。

まずは、救いについてです。私は18才の時に洗礼を受けました。幼少期はこれ以上ないほどの愛情を両親から注がれて育ちましたが、十代後半より親への甘えが、社会/法への甘えとなり、罪を犯すようになりました。結果大学までしかれていたレールからは外れ、将来への希望も失いました。しかし、母親が2度目に私を警察に引き取りに来た際に見せた涙を見たとき、更生することを決めました。

ただその時点では、どのようにすれば良いのかも分からず、まずはクリスチャンであった母親の勧めもあり、阪神淡路大震災直後の神戸の教会でボランティアをすることになりました。そこで出会ったのが、海外から来ていた私と同世代の若者たちでした。彼らはクリスチャンではありましたが、決して優等生という訳ではなく、私と同じように苦しみながらも救いを求めていました。牧師先生の影響ももちろんありましたが、なによりも彼らの姿に心を打たれ、私自身も同じように信仰によって救われたいと願い、洗礼を決意しました。

その後、心は救われましたが、教会に通うでもなく、聖書を読むわけでなく、決して立派な信仰生活を送ってきた訳ではありません。しかし神さまの導きについては、揺るがない信仰をもってきました。これまでも、様々な困難や失敗をしてきましたが、そのすべてに導きがあることを実感しており、その思いは月日が過ぎれば過ぎるほど深くなりました。十代の頃の挫折さえ、それがきっかけとなりアメリカに渡り、今の仕事もその経験が大きく貢献しています。

最後に、今の想いについてです。泉バプテスト教会に最初に訪れたきっかけは、息子をいづみ幼稚園に入園させたいという気持ちからでした。しかし、その時の城倉牧師からのメッセージに強い導きを感じ、息子のためでなく自分自身のために教会に通うようになりました。そのメッセージとは、「信仰とは素朴な信頼のことです。聖書知識・教理への理解・教会生活。これらの行いは、素朴な信よりも下にあって、素朴な信に仕えるものでなくてはいけません。」というものでした。この言葉は、私が感じていたこれまでの信仰生活に対する後ろめたい気持ちからも救ってくださいました。

その後、教会に通うごとに「素朴な信」だけでなく聖書知識・教理を学びたいという気持ちが芽生えました。これまでの「救い」と「導きへの信仰」、そしてある意味、私にとっての第三ステージとして、信仰への「学び」を泉教会で、城倉牧師とここにいる素晴らしい皆様と行ってゆきたいと思います。

2015年12月20日 村住明彦