「母の会」礼拝説教 「あなたがたのために」ルカによる福音書2章11節

今日の聖書(ルカ2:11)は12月の暗唱聖句です。

ルカによる福音書はクリスマスという出来事を、「宿屋に泊まれない妊婦が馬小屋で神の子を出産し、町で眠れない羊飼いが神の子の第一発見者となる出来事」であると書き記しています。ここには人間扱いされない人々がたくさん登場します。クリスマスとは人間扱いされていない人の物語です。

この頃、人頭税を取り立てるためにローマ帝国は全植民地の人数を調べるために住民登録をさせました。ユダヤの民はすでに重税に苦しんでいましたが、さらに厳格に取り立てられるようになるのです。人間が数値化され、人間扱いされていません。

住民登録は故郷に帰ってなされるべきとの命令で、妊娠中なのにガリラヤ地方のナザレ村からユダヤ地方のベツレヘム村までマリアは旅を強制されます(直線距離で120km)。権力の横暴です。そして自宅ではなく旅先で生むことになります。しかし、宿屋は満室状態、マリアとヨセフは締め出されます。普通の出産でも大変な仕事なのに、彼女は馬小屋でしか生めなかったのです。衛生状態で言えば最悪です。馬の餌を入れる桶に、赤ん坊のイエスは寝かされました。これらは人間扱いされていないということを意味します。

羊飼いたちもまた人間扱いされていない人々でした。ひと時も目を離せないので交代で徹夜の番をしなくてはいけません。重労働です。人々からは、律法を守れない職業の人として軽蔑されていました。まったく割の合わない仕事です。その日も彼らは街から締め出され野宿をしていました。その彼らが神に選ばれ、神の子の第一発見者という名誉を得ます。

「今日、ダビデの町に(ベツレヘムのこと)、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」もっとも寂しくなる時間帯、徹夜で眠い目をこすりながら、寒さに震えながら焚き火にあたっている野宿労働者のために、神の子が今生まれたと天使は羊飼いだけに伝えました。この世界で力を持ち、力を振るっている人ではなく、力を奪われている人にだけ伝えました。

天使は「飼葉桶の中に寝ている赤ん坊を探してこい」と羊飼いに命じます。それによってクリスマスがどういう出来事なのか分かるというのです。人間扱いされていない赤ん坊は、人間扱いされていない羊飼いと深く連帯できる救い主です。天使の大群は突然歌いだします。「栄光は神に、地上には平和があるように」。これもクリスマスがどのような意味を持つかを表すメッセージソングです。

戦争が無いから平和なのでしょうか。そうではありません。たった一人でも人間扱いされていない人がいれば、地上には平和は実現していないとわたしは考えます。クリスマスは子どもも含め人間扱いされていない小さくされた人を救い出すために、何か小さな愛の行い・正義の行いをしたくなる/せずにおられない季節です。イエス・キリストがそのためにお生まれになったからです。