おめでとう ルカによる福音書6章20節 2013年4月15日 城倉啓園長

おはようございます。今年度から園長をおおせつかっております城倉啓と申します。日曜日は牧師ですが平日は園長です。さてわたしを含め、この母の会礼拝に参加することが初めての方もいらっしゃると思います。いづみ幼稚園はキリスト教主義に基づく保育を行なっています。キリスト教保育連盟にも加盟しています。泉バプテスト教会附属の幼稚園ですので、母の会を礼拝形式で始める伝統があります。プロテスタントの礼拝の中には、聖書の説明がつきものです。およそ説明なしには聖書というものは何を言いたいのかわからないものだからです。今日は、入園式の時に取り上げた聖書の箇所から、一言申し上げます。それは「おめでとう」ということです。
 イエスさまは貧しい人々に向かって「幸いだ/おめでとう」と語りかけました。これは今の言葉で言うと、人権宣言です。神さまはすべての人の存在を肯定しています。すべての人は神さまのそっくりさんとして創られたと考えるからです。すべての人には生まれながらにして生きる権利が与えられています。しかも、幸せに生きる権利が与えられています。憲法で言えば13条の「個人の幸福追求権」です。
 2000年前の当時はそのような人権という考えがありませんでした。人権という考え方はキリスト教から生まれ、800年ぐらいかけてヨーロッパで形成されたものだからです。当時、貧しい人々は放って置かれていたのですね。幸せにならなくて良いと考えられていたのです。そのような冷たい世間に対抗して、貧しい人に顔を向けてイエスさまは宣言します。「あなたたちは幸いだ。あなたの存在におめでとう。あなたたちが優先される社会が神の国なのだ」
 子どもたちは聖書によれば最も小さな存在です。貧しい存在です。子どもがなかなか成人できなかった時代です。イエスさまは別の聖書の箇所でも子どもを特にかわいがり特別に祝福をしています。だから、この箇所の「おめでとう」も、子どもに向かっても言われています。すべての子どもが生まれながらにして、神さまのそっくりさんとして尊重されなくてはいけません。すべての子どもが幸せに生きる権利を持っています。すべての子どもが神の国の第一の住民です。
 わたしたちいづみ幼稚園は聖書の教えに基づいて、子どもたちの全人格(丸ごとのいのち)の肯定を根っこにすえて保育を行います。その上で、子どもたちの「人格の完成」(教育基本法)を目指すべく、その基礎となる大事な期間の教育を行います。ほんとうにいづみを選んでくださってありがとうございます。保護者の方々のご協力なしには幼稚園運営はままなりません。子どもたちの幸せを願い、「神の国」をここにかたちづくるために、これからぜひよろしくお願いいたします。