この外国人のほかに ルカによる福音書17章11-19節 2018年2月11日礼拝説教

「建国記念の日」を、日本のキリスト教会では「信教の自由を守る日」と呼び慣わします。211日は、かつて「紀元節」という名の祝日でした。記紀神話をもとに計算すると211日が日本の国始めなのだそうです。概して、日本の休日は天皇に由来するものが多いものです。天皇制国家(天皇教国家)は、国家神道を植民地支配した地域にも強要しました。そこにキリスト教会も加担しました。バプテストも加わっていた、当時の日本基督教団の指導者は、朝鮮人のキリスト者たちに「天皇の赤子・日本人なのだから神社参拝をし、戦争を遂行する国家に協力するように」と勧告したのでした。

平昌でオリンピックが行われています。南北朝鮮の統一旗にさまざまな感慨があります。そのひとつは、1910年から1945年までの植民地支配に対する良心の呵責です。また、朝鮮半島の平和的統一、さらには「二つの中国」の平和的統一、そして東北アジアの平和的共存に対する希望です。罪責と希望。この二つに基づいて、日本に住む「特別永住者(朝鮮・台湾出身者でかつて日本国籍を持っていた人)」に、日本人と同等の権利を保障することが、真っ先になされなくてはいけないと考えます。

特別永住者と「サマリア人」(16節)は、少し似ていると思います。サマリア人はユダヤ人の一種とも言えます。アッシリア帝国は北イスラエル王国(首都サマリア)を軍事占領した後で、他の地域の人々をそこに移住させ、また、サマリアの人の一部をそこから移住させました。国際結婚の結果、生み出されたのがサマリア人という「民族」です。紀元前722年以降のことです。

その後、バビロニアから「モーセ五書」を持って帰ってきた正統ユダヤ教徒とサマリア派ユダヤ教徒は争います。紀元前539年以降のことです。少なくとも紀元前3世紀までには独自のモーセ五書を持つ「サマリア教団」が分派したと言われます。一般のユダヤ人は、サマリア人をユダヤ人とはみなしていません。イエスは、皮肉たっぷりに「この外国人」(18節)とサマリア人のことを呼んでいます。これは当時のユダヤ人の差別意識を批判するために、あえて取り上げているのでしょう。

イエスは、特にルカの描くイエスは、サマリア人に好意的です(95156節、102537節。なお使徒言行録8425節も参照)。この単純な事実は、寄留の外国人や、国際結婚をしている人、個人の責任を超えた歴史的経緯によって、この国に現在住んでいる人々に、わたしたちがどのように接するべきかを教えています。

ちなみに、「外国人(アロゲネース)」というギリシャ語の単語は、新約聖書の中でたった一度しか使われていません。「他の種族」という意味合いです。旧約聖書のギリシャ語訳においては、出エジプト記1243節の「外国人」に使われています。文脈上そこでは、「過越祭にあずかれない非ユダヤ人」という意味です。ルカが持っていた旧約聖書はギリシャ語訳聖書です。ルカの教会は、「サマリア人が宗教的にユダヤ人とみなされていなかった」ということを、ここで問題にしています。宗教が差別を助長していたのです。ユダヤ政府が当時のユダヤ教正統(サドカイ派・ファリサイ派)によって占められた政教一致体制だったために、サマリア教団もまた異端とされ、サマリア人という特別永住者が不利益を被っていたのでした。

ところが、ハンセン病患者たちにとって事情は異なっていました。ここに登場する十人のハンセン病患者のうち、一人はサマリア人です。九人のハンセン病患者はユダヤ人でしょう。同じモーセ五書の規定により(レビ記13章)、宗教的に「汚れている」と祭司によって言い渡された経験を、この十人は共有しています。イエスだけが、サマリア人に好意的なのではありません。イエスのようなユダヤ人が他にもいます。それはハンセン病患者のユダヤ人です。

サマリア人社会においても、ユダヤ人社会においても、ハンセン病患者は隔離され町から追い出されました。この十人は共同生活を営んでいたのでしょう。同じ抑圧を受けた時に、対立させられていた人間同士は、同じどん底の中で連帯します。同じユダヤ人から「汚れている」と言われた時に、ハンセン病のユダヤ人はハンセン病のサマリア人を蔑視する理由がなくなります。人間は群れをつくる動物です。それは人間という動物が弱いからです。病気を抱える者はさらに弱い存在です。十人は共に生き協力して命を守る決断をします。

イエスの癒しの奇跡においては、奇跡そのものだけではなく、その背景にある物語が重要です。ハンセン病が治ることの前に、サマリア人差別を克服しながら共同生活をしていた九人のユダヤ人がいたという奇跡があります。「わたしたち」(13節)と言っている奇跡です。

この物語は文脈上奇妙です。ガリラヤからエルサレムに南下する途中にある一行が(1322節も)、もうすぐエリコに着こうかという時に(1838節以下)、なぜサマリアとガリラヤの境に居るのかという問題です(11節)。一行は、もう一度ガリラヤに北上していることになります。しかも、エルサレムに向かう道で、サマリアとガリラヤの境界線上にあるものは存在しません。

本日は、「エルサレムを目の前にしていたイエス一行が、あえてもう一度ガリラヤ近辺に戻った」と解します。952節で立ち寄った「サマリア人の村」から追い出されたサマリア人のハンセン病患者と、ガリラヤから追い出されたユダヤ人ハンセン病患者が、一緒に暮らしていた「あばら家」が「サマリアとガリラヤの間」(11節)にあったと考えます(レビ記1346節)。その共同住宅の場所が「ある村」(12節)の近くだったのでしょう。イエス一行は、そこまでわざわざ戻った。その理由はこの十人に出会うためです。一度イエス一行もサマリア人の村から追い出されています(953節)。その時に、この十人とすでに知り合いとなり、イエスの弟子となり、再び会う約束をしていた可能性があります。「町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進む」(922節)旅は、荒野の四十年と似ています。同じ場所を行ったり来たりする旅です。「一筆書きの最短距離」という旅程を想定する必要はありません。

十人のハンセン病患者とイエス一行には交わりがすでにあったと解します。同じ人々から追い出された同じ経験が、両者を結びつけたのでしょう。十人は、もう一度イエス一行が来ることを信じて待っていました。「主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい」(1236節)。ハンセン病患者たちは、癒し主イエスの到来を弟子として待っていました。

待ちに待っていたので、遠くにいたにもかかわらずすぐに十人は分かりました。「あれは主だ」。そして、二つの集団は、遠くから声を掛け合います。「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」(13節)。「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」(14節)。

二つの集団の強い信頼関係は、イエスに対する呼びかけによって分かります。「先生(エピスタタ)」は親しい師匠に向かって言う言葉で、ルカ福音書にだけ登場します(55節、824節、同45節、933節、同49節)。すべてペトロやヨハネなどイエスの弟子だけが使う呼び方です。十人のハンセン病患者は、すでに弟子となっていたことを伺わせます。イエスは十人のことをよく知っていました。遠くから一言語りかけるだけで十分という関係性がすでに出来上がっていたからこそ、短い対話だけが記録されているのでしょう。

十人のうちユダヤ人九人は、イエスの指示に素直に従って、祭司のところへ体を見せに行きました。北のガリラヤ方面へ向かい、故郷のユダヤ人の村に住む祭司のもとに九人は行きました。そこでの喜びはどれだけのものでしょうか。隔離・排除されていた九人は、祭司から「清い」と判定され、家族のもとに帰っていきました。このことはサマリア人との共同生活が終わったということをも意味します。ある意味で寂しいことでもあります。

一人だけ別方向の人がいました。南の「サマリア人の村」(952節)に行かなくてはならないサマリア人ハンセン病患者です。彼だけは、サマリア人の村に住む祭司に体を見せる前に、大声を上げて戻ってきて、神に栄光を帰しながら、イエスの足もとにひれ伏して感謝しました(16節)。神に栄光を帰す・ひれ伏す・感謝する、これら一連の行為は、礼拝の中でなされるものです。この行為は、イエスの指示に反しています。祭司に体を見せていないからです。しかし、この突発的な「礼拝」をイエスは喜びます。命令違反を咎めることはせずに、破顔一笑、「実に愉快だ」という意味の発言をします。

「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この『他の種族の人』のほかに、神に賛美をするために戻って来た者はいないのか」(1718節)。九人を咎める発言ではないと思います。なぜなら九人はイエスの指示通りに動いているからです。そして、結論においては、サマリア人元患者も祭司のところに行くように、改めて指示されているからです(19節)。九人の幸せもイエスは喜びます。しかし、この一人の突発的な礼拝行為も褒めたのです。寄り道の精神がすばらしい。サマリア人社会への回復、生活の立て直しは目標としてありますが、イエスを礼拝するという寄り道を重んじたことに価値があります。日曜日の礼拝の本質は日常生活から、神のもとに立ち戻る寄り道というものです。それは生活の立て直しを目的とするものです。

「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」(19節)。この言葉は、十人の元患者すべてに向けられています。なぜなら、一人の礼拝行為以前に、十人全員がハンセン病の苦しみから解放され、救われていたからです。彼らが互いに信じ合い、イエスを信じて待っていた奇跡が、癒しを引き起こしました。そして、それぞれの生活の場に、イエスは遣わします。

十人のその後はどうなったのでしょうか。彼らは、あの共同生活を懐かしみ、「あばら家」で再会をし、ガリラヤとサマリアの境界線上に教会を設立したのではないかと、想像します。ハンセン病患者と共に生きる教会、ユダヤ人とサマリア人の架橋となるような教会をつくり、共に復活のイエスを礼拝したのではないでしょうか。誰もが寄り道できる「あばら家(仮庵)」の教会を、このサマリア人が指導者となり、九人のユダヤ人の参与によって設立したとすれば、何とすばらしいことでしょうか。「ほかの九人はどこにいるのか」。後でここに集まったのです。教会は境界に立つべきです。

今日の小さな生き方の提案は、信じ合う仲間を持つということです。教会という交わりは、互いに信頼し合っているからすばらしいのです。そこに社会に対する貢献があります。社会には人々を分断する境界線が多くあります。しかし教会ではそのような分断があってはいけません。教会においては境界線を自由に行き来するかたちで、人は結び合うことができます。礼拝という寄り道を楽しみながら、各自の生活の立て直しを目標に、遠くから来るイエスを共に待ち望み、近くにあって信じ合う仲間となりましょう。この信じ合う仲間による礼拝によって、分断だらけの生活が立て直され、わたしたちは救われます。