これが主の過越 出エジプト記12章1-20節 2015年7月5日 礼拝説教

今週と来週は、物語の流れを中断しています。いわゆる「過越祭(ペサハ)」という年中行事の規定が長々と続くからです。今日は、他の旧約聖書の箇所も参考にしながら、過越祭というものの歴史を振り返ります。それがどのようなものとして継承されたのかを考えます。キリスト教徒にとって過越祭の歴史を振り返ることは、主の晩餐がどのような過越祭であるのかを考えることでもあります。わたしたちが毎週行っている晩餐の原型は、ユダヤ教徒たちが毎年行っている過越祭にあるからです。

過越祭は時代によって内容が異なります。古い順に並べてみます。まずは紀元前622年。列王記下23章21節以下の記述が最も古い過越祭の実践記録です(620ページ)。ヨシヤ王が失地回復・領土拡張と中央集権国家を作るために、国家儀礼として過越祭を利用したことが描かれています。彼は都市国家に過ぎないほど小さかった南ユダ王国を、先祖ダビデの時の領土まで占領しかえしました。その時に、地方の聖所・神殿を破壊して、エルサレム神殿のみでヤハウェを拝むことを被占領民に強要しました。そうして元来は遊牧民の厄払い・魔除け儀式だった過越祭を一年に一度の巡礼祭(ハグ)に押し上げたのです(同22節)。儀式を司るのはヨシヤ王自ら。政教一致した軍国主義国家の姿です。

「契約の書」(同21節)とあるのは申命記の原型をなす本です。原申命記はヨシヤ王の側近(D集団)が作成した南ユダ王国再生企画書でした。過越祭の部分は、申命記16章1-8節に規定されています(306ページ)。「主がその名を置くために選ばれる場所」(同2・6・7節)とは、エルサレムのことです。今まで行っていなかった儀式を、国家のために一週間行い首都に参拝することを義務付けたのです。それは心を支配し民族国家の求心力を保つためです。また、酵母を入れないパンを食べることの由来として、「エジプトから急いで逃げたから」という理由付けが加わりました。このような理由付けを「歴史化」と呼びます。これによって民族の思い出を共有しようとしたのです。

ヨシヤ王の野望は彼の戦死によって潰え(前609年)、南ユダ王国は転げ落ちるように滅亡します。第一次バビロン捕囚を経て(前598年)、第二次バビロン捕囚によって民族国家は滅亡します(前587年)。捕囚期の預言者エゼキエルは過越祭を君主が司式すべきものと考えています(エゼキエル書45章22節)。それはD集団の影響からでしょう。エゼキエルは「血が罪を清める」という思想も導入しています(同45章18節以下)。

エゼキエルに影響を受けたP集団は、捕囚下で過越祭の内容を改訂します。それが今日の箇所に現れています(出12章1-20節。レビ23章5-8節)。Dから引き継いだことは「七日間」という枠組みや(15-16節)、「巡礼祭(ハグ)」という単語です(14節)。しかし大きく改めた内容があります。国王・君主・国家の介入がありません。場所をエルサレムのみとしません。司式は家族に委ねられています(3節)。犠牲のための獣について言えば、大型動物である牛が省かれ小型動物の山羊が加えられています(5節)。大きな建造物であるエルサレム神殿での派手な国家儀礼から、各家庭の食卓に変えられています。そして小羊の血が重視されます(7節・13節)。

ここには政教分離原則があります。国家権力が宗教を利用するとき破局が訪れます。P集団は信仰共同体と国家権力を分けます。出エジプトは政教一致した国家からの脱出です。ヤハウェが「エジプトのすべての神々に裁きを行う」(12節)ということは、何が社会正義かを示しています。現人神ファラオが自ら神官となり国家儀礼を行い、国家が神々を利用するとき、地上には不正義がはびこるものです。捕囚下のユダヤ人共同体は、各家庭に過越祭をとりもどし、占領国バビロンを批判しつつ脱出を希望しました。バビロンにおいても王は「神のしもべ(代理)」として神官役もつとめていたのです。

犠牲獣の血を重視することはぶどう酒の役割を強めました。イエスの時代のユダヤ人たちは、もはや旅支度で食事をしていなかったようです(11節)。寝そべって食べる習慣もギリシャ・ローマ文化から入っていました。家長である父親が過越祭を仕切るのですが、かなり儀式化・式文化されていました。何度も詩編を歌い、4回も葡萄酒を飲む場面が設定されていました(ルカ22章14-23節参照。2回葡萄酒の杯が回されている)。

イエスはあらゆる儀式化に対して批判的でした。儀式が集団の内と外を区切る作用を持つことに警戒していました(マルコ7章)。それだからイエスは形骸化した断食を批判し、食卓から排除されていた人を招く食卓を形づくり、そのために「大酒飲みの大飯食らい」と批判されました(マルコ2章)。イエスは過越祭を律法の規定通りには行っていなかったと思います。むしろ、その日の食事にありつけない人と酵母を入れたパンを分かち合うことに、イエスの神の国運動の本質があります(マルコ6章30節以下)。

「最後の晩餐」は過越祭ではありません。ヨハネ福音書の記述が史実でしょう。イエス自身が過越祭の小羊となった、つまり、金曜日の夜が過越祭当日です(ヨハネ13章1節・19章14節・同31節)。イエスの骨が折られなかったことは、「傷のない小羊」の実現と解されました。イエスの血こそ、すべての者を贖い、すべての罪を清める力を持つと信じられたのです。マルコ・マタイ・ルカ・パウロは、自分たち信者が行っている主の晩餐を「歴史化」するために最後の晩餐を一日ずらして過越祭の食事にしたのでしょう(マルコ14章12節他)。流された血が罪を清めるという観念は残しつつ。

ただし、マルコらの最後の晩餐の場面で、家長ではなくイエスが食卓を仕切っていることは重要です。家父長制度・家制度を超える新しい信仰共同体を教会が目指したことの証拠となるからです。

さらに初代教会の実践を掘り下げてみましょう。彼ら/彼女らは年に一度の過越祭を毎週の礼拝で行いました。その際に、イエスを記念して行ったのは(Ⅰコリント11章24-25節)過越祭を継承したからです(14節)。しかも当初は普通の食事を日曜日の夕方礼拝の中で行っていたのでした(Ⅰコリント11章17節以下)。イエスが罪人と呼ばれた人々と、葡萄酒を大いに飲みながら食卓を囲んだことを継承したのです。教会の中ではもはや「男と女もなく、ユダヤ人もギリシャ人もない、奴隷も自由人もない」からです。

毎週のパン裂きと同時に、紀元後2世紀半ば(から後半)まで続いていた教会の実践があります。あまり知られていないので紹介いたします。それはイースター(復活祭)を過越祭当日、ユダヤ暦の「第一の月の十四日」に行っていたということです。日曜日ではないイースターがかつては当たり前だったのです。

年に一度であるから、両者の重なりは理解しやすいものです。しかしそれ以上に興味深いのは、初代教会の人々が、十字架との関係で過越祭を捉えただけではなく、復活との関係で過越祭を捉えたことです。この理解はヨハネ福音書21章と重なります(ルカ24章も参照)。復活のイエスが弟子たちと食事を共にする場面です。あれこそ新しい過越祭なのです。言い換えれば、十字架と復活は一つの出来事であるということです。もしマルコらの「最後の晩餐=過越祭」を重視するとしても、ヨハネの「復活者との食事=過越祭」ということも同じように重視しなくてはいけないでしょう。聖書というものはつまみ食いをすべきではないからです。

過越祭の変遷や、イエスの食卓、十字架・復活の信仰、初代教会の実践から逆に今日の箇所を照らしてみましょう。

たとえば暦を自在に動かしていること。ヤハウェの救いの出来事が基準日となり「正月」となります(2節)。大胆にもイエスの十字架の日を一日ずらしてしまった人々もいます。それで良いのです。ましてや元号なんぞというものに支配される理由はありません。一月一日は自分で決められるものです。

また家族ごとの分かち合いや、隣の家族との分かち合いが勧められています。その趣旨は食べ残さないことにあります(3-5節、10節)。イエスの食卓の包容力と重なります。また初代教会の礼拝が貧しい人たちへの炊き出しや配給であったということとも重なります。

分かち合う生き方が「酵母を入れないパン」にたとえられます。イエスも「ファリサイ派・ヘロデ党のパン種に気を付けよ」と言いました。イースト菌はパンを膨らませて美味しくさせます。しかし、「おいしい事柄」にはしっぺ返しもあるものです。酵母を徹底的に敵視している姿は(15-20節)、自己肥大化する罪の生き方への戒めでしょう。それこそ、イエスを十字架につけた罪です。

しかし同時にイエスの死は、わたしたちの死の過越でもあります。神は社会正義を要求する方です。正義の神から見て、すべての人は必ず死ななくてはいけません。今も誰かを踏みつけにしながら生きているからです。すべての人は神の前で公正に裁かれるべきです。キリストは最後の過越の小羊として血を流しました。わたしたちに罪を教え、わたしたちの代わりに殺された方による罪の清めを体験させるためです。

その一方で神はすべての人が生きることを望んでいます。いのちの造り主である神は、すべての人の生き直し・悔い改めをも要求する方です。神は報復的にではなく修復的に裁く方です。わたしたちはイエスの十字架と復活を一つの出来事として信じなくてはいけません。罪の清めは新しい生き方を始めることによって完成します。誰をも犠牲にしないように小さな一歩を歩みだすことが必要です。キリストが復活させられたように、わたしたちも新生できるのです。

自分の体験した主による救いを礼拝において「歴史化」することが大切です。代々の聖書の民はそのような形で代々にわたって過越祭を守っているからです(14節)。イエスに救われて嬉しくて声を上げることが会衆賛美と重ならなくてはいけません。あの時の聖書の言葉にジンときたという体験が、聖書朗読・交読に重ならなくては。共に祈りあった時に心が軽くなったという経験が、礼拝の中で交わされる祈りに重ならなくては。そしてさまざまな意味の飢え渇きからの解放が、主の晩餐に重ならなくてはいけないのです。礼拝は十字架・復活の主イエス・キリストの救いを追体験し歴史化する営みです。そうして月曜日からの歩みが新しい歩みとなるのです。自己肥大化を少しでも止める生き方へと、礼拝が押し出します。イエスの救いを歴史化する時に、毎週日曜日に一月一日が始まるのです。

泉バプテスト教会が長期間主の晩餐を行っていなかったことには意義があります。形骸化した儀式はイエスも批判したものだからです。しかしそれを突き詰めると礼拝に集まる意味も薄れていきます。だから逆に形骸化しないかたちで晩餐を毎週行えば良いのです。月に一度にするから有り難みが生まれ、対象を信者のみにするから分断が生まれるのです。分かち合い小さく生きるためにわたしたちはパン裂きを行います。イエスを殺す罪を悔い改め、キリストと共に新しく生き直すためです。エジプトに象徴される世間という罪の仕組みを仲間たちと共に乗り越えるためです。