憲法の話①

この投稿内容は日本バプテスト連盟の憲法改悪を許さない私たちの共同アクション発行の、『ニュースレター号外』に掲載されている文章の引用です。

 

自由民主党改憲草案批判①

今そこにある危険

憎むべき破壊者が立ってはならない所にたつのを見たら――読者は悟れ(マコ13:14)

 

2012年12月の衆議院総選挙の結果は、改憲を標榜する自由民主党の圧勝に終わりました。そして、自由民主党と公明党の連立政権・第二次安倍内閣が発足しました。自公政権は衆議院で3分の2以上の議席を確保しています。それは憲法改正の発議が少なくとも衆議院では行うことができるという意味です。もし2013年7月に行われる参議院選挙(半数改選)において自公政権が同じように議席を獲得するならば、憲法の明文改悪が一層現実味を帯びてきます。

わたしたちが現在の改憲を「憲法の改正ではなくむしろ憲法の改悪だ」と断じうるのは、改憲の内容が2012年4月27日に発表された『自由民主党改憲草案』(以下『草案』)の内容に即したものであると知っているからです。というのも、2011年秋以来暴走を続ける憲法審査会がすでに自民党改憲草案を軸に憲法の条文ごとの検討を始めているからです。また、実際巨大与党の大半は自民党が占めているからです。

そこでこのニュースレター号外では六回にわたって、『草案』の内容を現行『日本国憲法』(以下『憲法』)と比較しつつ批判的に紹介します。それが来る7月の参議院選挙における判断材料になればと願います。第一回目は、「憲法改正」について規定する『憲法』96条と、それに対応する『草案』100条について取り上げます。

 

日本国憲法

自由民主党改憲草案

第九十六条この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。② 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する 第百条この憲法の改正は、衆議院又は参議院の議員の発議により、両議院のそれぞれの総議員の過半数の賛成で国会が議決し、国民に提案してその承認を得なければならない。この承認には、法律の定めるところにより行われる国民の投票において有効投票の過半数の賛成を必要とする。2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、直ちに憲法改正を公布する。

 

全般についての批判

『草案』は第一項において、改正のための条件をゆるめています。たとえば、各議院それぞれの発議ではなく、衆参どちらかの発議で良いとしています。また、3分の2以上の賛成ではなく、過半数の賛成で議決できるとしています。さらに国民投票についても有権者の過半数ではなく、有効投票者数の過半数で改正できることとされています。このような改訂は、立憲主義というものを根本から揺るがせにするものなので、わたしたちは賛成できません。

第二に、『草案』は第二項において、国民主権を軽視しています。たとえば改正憲法は「国民の名において」ではなく直接天皇が公布することとされます。憲法の制定権者は主権者である国民であるべきです。また、『憲法』の「この憲法と一体を成すものとして」という文言をあえて削除し、現行の『憲法』と改正憲法との連続性を否定しています。この狙いについては後述します。

立憲主義と硬性憲法

近代ヨーロッパで発達した立憲主義という考え方は、「少数者の人権を守るために、国家権力を縛るために憲法という道具を使おう」というものです。どんなに多数派が賛成しても犯してはいけないものがあります。それは個人の基本的人権です。その中心には「内心の自由」、何を信じても良いという権利があります。誰もイエス・キリストの愛をわたしたちから奪えないのです。

その意味で多数決原理に基づく民主主義は絶対に正しいルールではありえません。学級会の多数決で「彼/彼女に人権侵害をします」ということを決議しても、そのようなことを実行できません。少数者であっても人権が大切だからです。多数派が選んだ国会議員の多数決によっても間違えた結論はありえます。その時に、どうやって自浄作用を用いて修正できるのでしょうか。そのために憲法が少数者の人権を守る砦として機能するのです。

この憲法が十全に機能するためには硬性憲法であることが求められます。硬性憲法というのは他の法律よりも改正しにくいという性質をもつ憲法のことです。正にわたしたちの『憲法』もその一つです。他の法律を審査することができる最高法規が、過半数という同じ条件で変えられるならばその権威を失います。たとえば、ぎりぎり過半数という与党による強行採決による改正、さらに政権交代して同じことをやり返す再改正などが繰り返されることは、国政を不安定にさせるだけです。つまり、3分の2以上という条件の意味は、与野党共に合意できる熟議の末の改憲案であるということなのです。

正当な選挙によって国民に選ばれた少人数代表による熟議ということは、国民投票という次の段階の手続に関連して重要です。なぜなら、世論を構成する大多数国民はしばしば報道などによって扇動され、雰囲気によって感情的な判断をしがちだからです。少数者の人権を守るためには冷静な熟議が必要です。人権を守ることがないがしろにされない憲法改正であるかどうかの判断において、多数派国民が冷静な投票ができない場合も当然ありえます。だからこそ国民投票前の憲法尊重義務を負う国会議員による審議段階で3分の2以上の賛成という厳しい条件が設けられているのです。

96条のみ改憲

憲法改悪の阻止を願うわたしたちにとって「今そこにある危険」は、「96条のみ改憲」という作戦です。『草案』にあるような、現行の三原則を骨抜きにする前文改憲や、天皇元首化を目指す1条改憲、戦争放棄の放棄を目指す9条改憲、政教分離原則緩和を目指す20条・89条改憲、家族尊重義務を盛り込む24条改憲などは、自民党にとっていきなり達成することは困難です。すべてを含めて3分の2以上の賛成を得ることは、特に参議院において難しいものです。

そこで参議院でも3分の2以上の賛成を得る内容で、しかもその後の改憲を容易にするような内容の改憲案がもっとも便利なのです。それが「96条のみ改憲」という企みです。『草案』100条のような内容で96条が書き換えられるなら、その他の条項は国会議員の過半数の賛成で国民投票にかけることができるからです。さらに、「この憲法と一体を成すものとして」の改憲案を発議する必要もなくなりますから、憲法の三大原則違反の改憲案でさえ練り上げることが可能となります。『憲法』96条の直後の97条「基本的人権の本質」を、『草案』があえて全文削除していることは決して偶然ではありません。『草案』は首尾一貫して(硬性憲法を変更させることも含め)、少数者の人権保障の砦である憲法を本質的に変えようとしているのですから。

ちなみに、「日本の憲法は3分の2という条件があるから一度も改正できなかった。だから改正するために過半数に条件を緩めるべき」という言い方は間違えです。たとえば米国のように日本と同じくらいの改正しにくさにもかかわらず、何回も憲法改正をしている国もあるからです。硬性憲法であるから憲法改正がなされないのではなく、国会で与野党が合意できないような内容の改憲案だから憲法改正ができないままであるのです。それは自民党が今に至るまで志向し続けている改憲内容は、憲法制定権者である国民の民意ではないということです。

「96条のみ改憲」については、現状で日本維新の会とみんなの党が賛同しています。その一方で、公明党は「9条改憲を目論む96条改憲」に慎重姿勢を示し、民主党は最近「党として反対」と主張しています。この状態は衆議院では3分の2以上を確保しているけれども、参議院では確保できないというものです。ただし楽観はできません。そもそも現在の「日本国憲法改正手続に関する法律(いわゆる「国民投票法」)」を成立させたのは、長期間に渡る自公民の協力によるものだったからです。公明党・民主党の地金が出れば政治的取引によって態度は変わるでしょう。また、党議拘束がかけられないならば、両党の中の改憲論者は「96条のみ改憲」に賛成するでしょう。いずれにせよ7月の参議院選挙は重要です。