わたしの名のために ルカによる福音書21章12-19節 2018年7月29日礼拝説教

夏は平和について思いを馳せる季節です。平和の反対語は何でしょうか。戦争とだけ返答することは、考えの幅を狭めます。今日の聖句は、わたしたちの考えの幅を押し広げてくれます。平和の反対は、ひとりひとりの心の自由がない社会です。平和とは、ひとりひとりが何を思っても、何を考えても良い世界。この自由が無条件に保障されている社会、構成する個人が幸せな社会です。

「人はそれぞれ自分のぶどうの木の下/いちじくの木の下に座り/脅かすものは何もないと/万軍の主の口が語られた。どの民もおのおの、自分の神の名によって歩む。我々は、とこしえに/我らの神、主の御名によって歩む」(ミカ書4章4-5節)。

この平和は何の努力も無しに実現するわけではありません。人間の歴史の中で、残酷な思想弾圧は繰り返されてきましたし、今でも繰り返されています。わたしたちの国においても、今もあり、73年前まではかなり厳しい思想弾圧がありました。わたしたちは歴史の教訓を決して忘れてはいけません。国家が宗教を利用し、宗教が国家に擦り寄る時に、思想弾圧が起こりやすいことを、きちんと学ばなくてはいけません。神道であれ、キリスト教であれ、同じ過ちを繰り返してはいけません。心の自由は個人の幸福の基礎です。

日本のキリスト教徒には特別な役割が与えられています。それは社会的な少数者であるという役割です。少数派はしばしば切り捨てられる側に回ります。ヘイトスピーチという差別事象にもその側面があります。少数者はトンネル掘り現場のカナリアの役目を負わせられています。かすかな毒ガスの漏れによってカナリアが死ぬのを見たら、全体は危険を察知します。イエスの名を信じること、イエスの名によって集まること、イエスの名を伝えることによって、何か小さな不利益がキリスト信徒に起こる時、社会全体は破滅の危険を知ります。

本日の箇所も、少数者に対する思想弾圧についての歴史の教訓として読む必要があります。ルカ福音書には続編・使徒言行録があります。ルカ福音書を読む場合には使徒言行録と関係付けて解釈すべきです。なぜなら著者ルカとルカの教会(「ルカ文書」の第一の読者たち)が、使徒言行録に書かれている歴史を知っていて福音書を書いているからです。二つは関連し連動しています。書いている人たちと最初の読者たちが関連させているのだから、現在読んでいるわたしたちも関連させて読むのが自然です。

ルカは使徒パウロの親友・支援者です。パウロの活動を記したいという動機で彼は使徒言行録を書いています。パウロはギリシャ・マケドニアの首都フィリピという町に、ルカらに呼ばれて来ました。ユダヤ教に理解のある集会はあったけれども、それをパウロ系列のキリスト教会に再構築するためでした。そこでパウロは牢屋に入れられ拷問を受けます。このパウロとルカの出会いに関する最初の出来事と、パウロとルカの最後の別れの出来事は関係しています。パウロはローマ帝国の首都ローマで処刑されますが、最後まで医師として面倒を見ていたのがルカです。パウロはイエスの名のために最初から最後まで、会堂や牢に引き渡され、王や総督の前に引っ張り出され(12節)、友人にまで引き渡され(エルサレムで見殺し)、殺された者の一人なのです(16節)。

本日の箇所で「わたしの名のために」が繰り返されています(12・17節)。この言葉は、パウロの召命記事におけるイエスの言葉と対応しています。復活のイエスは、パウロにバプテスマを施すアナニヤに次のように語っています。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう」(使徒言行録9章15-16)。

また本日の箇所で「あなたがたの髪の毛一本も決してなくならない」(18節)という謎の慰めが語られています。これも死を目前にしたパウロの発言を記憶していたルカが、ここにあえて入れ込んだのでしょう(使徒言行録27章34節)。これらの符合は、本日の箇所を「イエスの名のために生きかつ死んだ」使徒パウロとの関連で読み解けという意味だと理解します。

ルカは、少数者に対する思想弾圧というものについて憤りを持っています。それによって親友のパウロが殺されたからです。ルカは正義に飢え渇いています。ルカ福音書・使徒言行録の通奏低音を聞き逃していけません。この重低音が、平和とは何かをわたしたちの中に重く深く刻み込みます。

しかし、その一方で、福音書は逆転を語ります。イエス・キリストを信じることの意義や価値、利益を述べます。苦しめられたパウロは不幸な人生を送っただけなのでしょうか。そうだとすると、彼は非常に惨めな存在になってしまいます。パウロ自身は牢獄の中から、フィリピ教会に向けて次のように語っています。「わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています」(フィリピの信徒への手紙3章8節)。

パウロはマインドコントロールにかかって洗脳されているのでしょうか。そのような形跡はありません。彼は生前のイエスに会ったこともありません。ただ復活のイエスを見ただけです。十二弟子らによって押し付けられた信仰、集団心理によってかぶせられた人格による「狂信」ではなく、見えないものに注目した信仰です。パウロはイエスの霊に捕まってしまっただけです。「教祖」を頂点とするピラミッド型の「教団」があったわけでもありません。指導者が給仕をするという小さな交わり・自由結社に、彼は加わっていったのです。

その交わりには無条件の赦しがありました。教会に対する迫害者であったパウロを、対等の人間として扱いバプテスマを施す人がいました。非ユダヤ人に対する差別がありません。女性に対する差別、非婚者に対する差別がありません。奴隷に対する差別がありません。ここに救いがあり、ここに命があります。

このような非常識を真正面から信じる人々は、「すべての人に憎まれる」(18節)。わたしたちが福音として信じている内容、救いとして喜んで受け取っている内容、わたしたちが日曜日を中心にして形作っている交わりの内容は、本質的に世間と対決してしまうのです。この世界の常識と正反対の常識に生きる時に、必然的にすべての人に憎まれるということです。

世間の常識は、力ある者に従うということにあります。「会堂」「牢」「王」「総督」は、社会の権力を表しています(12節)。これらの力には従うことが常識です。上下関係の秩序を保てというわけです。お上意識の強い日本でも当てはまります。これに対して教会は会堂(ユダヤ人地域の自治会館)ではなく家に集まり礼拝をしました。フィリピの牢の中でも賛美をしました。下僕となったユダヤ人の王を礼拝しました。ローマ帝国の総督によって苦しみを受けた死刑囚をメシアと信じました。教会は社会の秩序を脅かしたのです。

世間の常識は、肉親への信頼です。「親」「兄弟」「親族」「友人」は、縁故関係を表しています(16節)。「結局頼りになるのは肉親だ」と一般には信じられています。「血は水より濃い」というわけです。家父長制の強い日本でも当てはまります。それに対して教会は、血のつながりの無い人びと、一見して人種・肌の色も違い、言語・文化の異なる人びとを、「兄弟・姉妹」と呼びました。教会は、水がぶどう酒(血の象徴)に変わる奇跡を信じていました。主の食卓を囲みイエスの周りに座ることで、誰でもイエスの母・兄弟・姉妹になれると信じました。自分を裏切る者をも「友よ」と呼び、裏切る自由も与えました。このことによって教会は社会の秩序を揺さぶったのです。

罪というものは、上下関係の秩序、遠近関係の秩序です。世界の完成に至るまでこの「社会の秩序/仕組みとしての罪」は残るでしょう。教会は、少数者ではあっても、じわじわと上下関係・遠近関係を批判する役割をもって、世間の中に存在し続けます。地の塩だからです。

そして罪というものは、上下関係の秩序、遠近関係の秩序に悪乗りする個人の自己中心です。仕組みのせいだけにもできません。ひとりひとりは罪人です。どんな人も力を濫用したくなり、人を支配したくなり、グループを作って排除したくなるものです。救いがたいことに善意のもとに、このような罪を犯してしまうことすらあるのです。なんと惨めなことでしょう。

イエス・キリストは、そのような罪からわたしたちを救い出してくださいます。わたしたちは死ぬまで罪人であり続けますが、キリストが代わりに十字架で殺されることによって、罪があるままに、罪なしと宣言されています。十字架は身代わりの死(贖罪の死)だからです。あなたの罪の肩代わり、これが救いです。なぜ他の死刑囚ではなくイエスにのみ、罪を贖う力があるのでしょうか。裁判の間中、品位を保って忍耐し、どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を持っていたからです(15節)。イエスだけが、上下関係・遠近関係に悪乗りをしない、罪のない神の子だったからです。

「わたしはある(ギリシャ語エゴー・エイミ、ヘブライ語エフイェ)」という生き方・死に方を貫徹された方だけが信頼に値します。穏やかで毅然とした態度です。「わたしはある」こそ、イエスの名です(ヨハネによる福音書8章28節)。ちなみに8節「わたしがそれだ」もエゴー・エイミです。イエスが品位と忍耐を十字架の死に至るまで貫いたことによって、神はイエスをよみがえらせ(19節)、永遠の命を与え、その命が聖霊によってわたしたちに配られています。わたしたちは罪人ですが、しかし、罪赦され生かされている罪人です。この救いを証言し、教会を形作り、世間の罪の仕組みを少しでも揺さぶる。そのために、自分の命を最後まで輝かせることに価値があります。ひとりひとりは世の光だからです

パウロは闇の世にあって星のように輝いたキリスト者の一人です。彼も「わたしはある」という態度で品位を保って忍耐をしつつ、十字架のキリストに従いました。彼は実際に石打ちに逢い、会堂で裁判を受け、投獄され、王や総督の前で弁明し、ローマ皇帝にまで上訴しました。その中でも品位を保って、誰も反論できない言葉で証言をしました。イエスの名と国家の名は対立します。国家は「お前は邪魔だから要らない」と言って、国家の名によって「わたしはある」と言う個人を排除するものです。パウロは不幸だったのでしょうか。「人びとに憎まれるとき、また人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである」(6章21節)。彼は逆説的に幸せな人生、本人にとって悔いの残らない人生を走りきったと思います。

今日の小さな生き方の提案は、幸せに生きるということです。キリストによって救われ、キリストの名によるバプテスマを受けると、「わたしはある」という態度で生きかつ死ぬことができます。苦しみに直面しつつ品位を保って忍耐する生き方。その方が、罪の仕組みに悪乗りする人生よりも光を放ちます。なぜなら忍耐が成熟を生み、成熟は希望を生むからです。この希望は決して失望に終わることがありません。