アレクサンドリアのアポロ 使徒言行録18章24-28節 2023年2月5日礼拝説教

23節から、パウロの第三回伝道旅行が始まっています。パウロは第二回旅行で訪れた場所を再訪しますが、主にエフェソに留まります(19章以降)。エフェソ滞在中に現存するいくつかの手紙を書いたとされます。その中にはコリントの信徒への手紙一も含まれます。今日は、その手紙に登場するアポロという人物を紹介する物語です(一コリ1章12節、3章4・5・6・22節、4章6節)。パウロのみを主人公と考えるならば24-28節は単なる「挿話」ですが、しかし初代教会全体から見るならば重要な「物語」です。というのもコリント教会にとってアポロは、パウロにも、ペトロにも匹敵する教会指導者だったからです。もちろんエフェソ教会にとっても、そしてアレクサンドリア教会にとっても重要な指導者です。アポロというキリスト者の存在は、わたしたちの信仰に大切な示唆を与えています。謎の多い彼について探求してみましょう。

24 さてとあるユダヤ人、名前についてはアポロ、生まれについてはアレクサンドリア、学識のある男性が、エフェソの中へと下った。(彼は)諸書物に強くあり続けているのだが。 

 「アレクサンドリア」はエジプトの大都市です。ローマ帝国で二番目の人口を誇っています。100万人以上です。そして世界最大の図書館があったことでも有名な学術都市です。帝国内のユダヤ人人口が最も多く、ユダヤ人はこの町で特権を得ていたそうです。ギリシャ語訳旧約聖書(七十人訳聖書)が、生まれたのはこのアレクサンドリアという都市でした。ギリシャ語を話すユダヤ人たちが大勢住んでいたからギリシャ語訳聖書が必要とされたのです。会堂も複数建てられていたと思われます。

アレクサンドリアにはユダヤ人哲学者フィロンという人物がいました(前25年-後50年頃)。この人は、律法の寓喩的解釈に優れていました。寓喩的解釈というのは、聖書を文字通りに理解しないという読み方です。それらの文字が喩えている意味を探求するのです。例えば、天地創造の「一日」とは何か、「六」とは(2×3)、それに対して「七」とは(素数)等をフィロンは解説します。「サマリア人の譬え話」における、強盗に襲われた人=求道者、サマリア人=イエス、宿屋=天国というような解釈も寓喩的です(オリゲネス)。教会の説教に寓喩的解釈が現れるのはフィロンに遠因があります。

 アポロという人が、「学識のある男性」「諸書物に強い」と呼ばれていることは、その出身地から理解できるところです。もしかするとアポロは律法の寓喩的解釈をフィロンから直接習っていたかもしれません。彼は七十人訳聖書の達人です。そしてこの「学識のある」(ロギオス)という言葉は、ロゴス(理)に造詣が深いという意味でもあります。アポロが雄弁だった(ロギオス)という解釈は、パウロが訥弁だったことの裏返しからくる読み込みです。福音とはロゴス、人類普遍の理です。全ての人は神の子・人の子として平等という真理です。アポロはただ単に聖句知識に強いだけではなく、聖書の読み方においても優れていたのでしょう。太い柱(解釈原理)を据えて、そこから多種多様な聖句を自由自在に解釈していったのでしょう。

 このアポロがアレクサンドリアからエフェソに来たというのです。その目的はパウロと同じです。ここにはアポロの「伝道旅行」が記されています。アンティオキア教会がパウロたちを派遣したのと同様に、アレクサンドリア教会がアポロを派遣したのでしょう。どちらも小アジア半島の大都市エフェソを目的地としていることも、彼らの目的が同じであることを示唆します。大都会でありユダヤ人が多く住む場所が伝道に最適と考えているのです。

25 この男性が主の道をよく聞かされ続けている。そして聖霊でもって沸騰し続けながら、彼は詳細にイエスについて述べ続けまた教え続けた。ただヨハネのバプテスマを知りながら。 

 紀元後50年ごろエジプトのアレクサンドリアにキリスト教会があったことを、アポロの物語は示唆しています。そもそも使徒言行録は8章という早い時期にエチオピア人がバプテスマを受けていることを報告しています。アフリカの教会の歴史は古いのです。アポロは、アレクサンドリアで「主の道」(ナザレ派の教え)を聞かされ続け良く学んでいました。アポロは「聖霊でもって沸騰し続け」ているのですから、つまり「聖霊を受け」(19章2節)ているのですからキリスト者です。だからアポロは「詳細にイエスについて」布教活動を続けることが、アレクサンドリアでもエフェソでもできました。

 使徒言行録著者のルカは、不思議な言葉でアポロを紹介しています。「ただヨハネのバプテスマを知りながら」(25節)。アポロはバプテスマのヨハネの弟子だったのでしょうか。そうだとすれば、どこで彼はバプテスマを受けたのでしょうか。アレクサンドリアにヨハネ教団は存在していたのでしょうか。ヨハネのバプテスマのみを知っているにもかかわらず、ナザレ派の指導者になることが可能なのでしょうか。両教団の関係はどのようなものなのでしょうか。

 今日の箇所でアポロはプリスキラによって「イエスの名によるバプテスマ」を施されていません。アポロはヨハネ教団からバプテスマを受けたのでしょうけれども、教会でそのバプテスマは問題にならない。おそらくアレクサンドリア教会では、イエスの名によるバプテスマが入信・入会のための厳しい要件ではなかったからでしょう。あるいはアレクサンドリアでは、両教団が非常に親密な関係で相互のバプテスマを承認していたのかもしれません。ヨハネとイエスが近い親戚であることは、ルカだけが報じている強調点です(ルカ1章)。

26 それからこの男性がその会堂において堂々と語ることを始めた。さて、プリスキラとアキラは彼のことを聞いて、彼を連れて行った。そして彼らは彼にもっと詳細に神の道を明らかにした。 

 アポロはパウロと同じ手法で伝道をします。エフェソの町に行くと、真っ先にユダヤ教正統の会堂を訪れ、そこでナザレ派の教えを論争的に「堂々と語る」のです(13章46節他)。アポロは旧約聖書を引用し、この箇所がイエスを指していると寓喩的に解釈していきます。たとえばモーセという人は、イエスというメシアの「たとえ」であるという風にです。

 エフェソの町にはプリスキラ・アキラ夫妻の自宅を開放した「家の教会」がすでに立てられています(18-19節)。二人はアポロのことを噂に聞き、パウロにそっくりの人物が存在したことに驚きます。そしてアポロの滞在している場所を探索して、彼を見つけて自分たちの家へと、エフェソ教会の礼拝へと連れて行きます。そして二つの教会を作るのではなく、一つのエフェソ教会をかたちづくろうと呼びかけたのです。アポロは喜んで合流します。

 アポロと共に教会形成をするということは、アポロを派遣したアレクサンドリアの教会と協力することでもあります。そのことの重要性から、アポロがヨハネのバプテスマしか知らないことは不問に付されたのではないでしょうか。プリスキラはパウロほど「救いのための正統なバプテスマ」に拘りません。この夫妻はパウロに出会う前からローマでキリスト者になっており、パウロからバプテスマを施されたわけでもありません(1-2節)。パウロも「救いのための割礼不要」を拘らないこともありました。つまり初代教会は重要な儀式においても柔軟だったのです。

 アポロの学識にエフェソ教会は舌を巻きます。パウロとは異なる力点で、しかしある意味ではパウロと重なりながら、アポロは説得力のある解釈を示すことができる人物でした。ヨハネとの関係の深さからアポロのイエスについての教えは、ガリラヤのイエスの生き様を踏まえたものだったと思います。ちなみに古代教会の伝説に、福音書記者マルコがアレクサンドリア教会を創始したというものもあります。事実であればガリラヤ好きのマルコとアポロは知り合いです。アポロはアレクサンドリア教会の理解するイエスを紹介します。

エフェソ教会はアポロに応答して、パウロの解釈や自分たちの教会の信仰理解(「神の道」)を「もっと詳細に明らかにし」ました。明らかにするという言葉は「外へと置く」が原義です。エフェソ教会の信仰理解を外へと置いて開示して、建設的な批判をするように求めたのです。「メシアはイエスである。十字架で殺された復活のイエスがキリストだ」。自らを切開して提示し合うことが、アレクサンドリア教会とエフェソ教会間でなされています。

協力伝道というものの原型がここにあります。両教会は協力するために違いを披瀝し合い、違いを尊重し合い適切な距離を取りながら、同じ主イエス・キリストを伝道したのです。

27 さて彼がアカイア地方の中へと通り過ぎることを望んだので、(彼らは)賛同して、その兄弟たちはその弟子たちに彼を受け入れるようにと書いた。その彼は到着して、恵みによって信じていた者たちのために大いに自分を投じた。 28 というのも彼はユダヤ人たちをあえて公に論破し続けたからだ。諸書物を通じてキリストがイエスであるということを示しながら。

 アポロはアテネ教会・コリント教会への訪問を望みます。そこでエフェソの教会も、そしてアレクサンドリアの教会も賛同します(原文の主語は曖昧)。プリスキラらはティティオ・ユストに紹介状を書きます。やや不安です。アポロもまたパウロと同じくユダヤ教正統会堂に論争的だからです。元会堂長クリスポやソステネたちが正統派から迫害されないかも心配です。

 コリントに着くとアポロは「ユダヤ教正統に対する弁明」に全身全霊を投じます。会堂よりももっと広い場所で「ユダヤ人たちをあえて公に論破し続け」ます。アポロは広場に出かけて行って、ユダヤ人たちを掴まえて論争をしかけていったのかもしれません。フィロンの哲学も身に着け、理詰めで冷静に広範な聖句を操るアポロの前に、ユダヤ教正統たちは論破され続けます。「ナザレ派はそれなりに筋が通っている」と正統も認めざるをえなくなります。ユダヤ人たち対するアポロの働きぶりはパウロ以上でした。コリント教会に相当数の「アポロ派」が生まれたことは理解できる現象です。

 今日の小さな生き方の提案はアレクサンドリアのアポロに倣うことです。アポロは「諸書物」・書かれた神の言葉・正典・聖書をこよなく愛する学者でした。聖書を学ぶことへと聖霊は彼を導いており、その熱意がコリント教会を助けたのです。パウロの聖書解釈もアポロに影響された部分があると思います。というのもパウロの旧約引用の8割は七十人訳聖書からだからです。アポロの著作がないままで立証不可能ですが、聖書の読み方についてパウロもアポロに負っていたはずです。アポロのような聖書好きになりたいものです。

アレクサンドリア教会、エフェソ教会、コリント教会は、聖書に強いアポロを財産として共有していました。文字や学問が苦手な人にはこのような仕方もあります。聖書に強い人たちを共有財とすることです。その情報の網目から自分の心に響く聖書解釈を選ぶという仕方です。心に沁みる読み、魂が揺さぶられる読み、胸に残る読み、これらに思いを巡らせましょう。自らの生命に水を注ぎましょう。生ける聖書解釈によって神はわたしたちを育みます。