イコニオンの会堂で 使徒言行録14章1-7節 2022年3月20日礼拝説教

 ピシディア・アンティオキアを出て、バルナバとパウロは130㎞東のイコニオン(1節。13章51節)という町へ向かいます。アンティオキア、イコニオン、そしてリストラ、デルベ(6節)の四つの都市はすべて「皇帝/帝国街道」と呼ばれる幹線道路で結ばれていました。前1世紀にローマが小アジア半島を占領し属州化して、道路を整備し、ローマ人の植民を行っていたのです。「全ての道はローマに通ず」です。初代教会の急速な伝播の理由の一つは、陸路・海路の便がローマ帝国によって整備されていたことにもあります。バルナバとパウロは、その道を利用して福音という道を宣教し続けます。

 現在で言えばインターネットでしょうか。時代が共有している「インフラとしての利器」があります。道具はあくまで道具ですが、福音のために何でも使えるものは使うことが良いと思います。オンライン礼拝には特有の限界がありますが、逆に限界を超える特長もあります。距離をものともしない同時性を利用することができるからです。二人は当時の利器を用いて130㎞の距離をものともせずに、すぐにイコニオンにおいてもピシディア・アンティオキアで行ったことと同じ活動を開始します。正統ユダヤ教会堂でナザレ派の教えを、福音として宣教するのです。

1 さてイコニオンにおいて、同じように彼らがユダヤ人たちの会堂の中へと入るということと話すということ、そしてそれゆえに、多くの数のユダヤ人たちもギリシャ人たちも信じるということが起こった。 2 さて不服従のユダヤ人たちは兄弟たちに対する諸民族の心をゆさぶりまた苦しめた。 

 1節の「ユダヤ人たち」はイコニオンの町にある会堂に集っていた正統ユダヤ教徒たちのことです。彼らの中にナザレ派に転向した人が相当出たというのです。「ユダヤ人たち」に対して「ギリシャ人たち」はユダヤ教会堂に通う「神を畏れる人々」でしょう。いわゆる熱心な求道者またはユダヤ教に対して好意を持っているギリシャ人です。2節と5節「諸民族」に対して、1節だけはギリシャ人と名指しされていますから、ギリシャ語を話す人々です。

ローマが来る前に小アジア半島はギリシャ語圏の人々に占領されました(ヘレニズム時代。前4世紀)。イコニオンという都市の民族分布や言語状況ははっきりと分かりません。先住民であるフリギア語を話すフリギア人、リカオニア語を話すリカオニア人(11節参照)、ギリシャ語を話す新規移住者の三種類の人々が混在していたと推測されます。この複雑な状況を指して「諸民族」(2・5節)と言っているのでしょう。その中でユダヤ人という新規移住者の中の少数派に好意的な人々は、新規移住者の多数派であるギリシャ語を使う人々だったのでしょう。どちらも都市部に集中して住んでいました。ギリシャ語話者の中にはバルカン半島出身者もイタリア半島出身者もいたと思います。ギリシャ語はローマ帝国の公用語の一つではありますが、小アジア半島において後6世紀まで固有の言語が固有の民族に使われていたことが立証されています。

 バルナバとパウロはギリシャ語を使って語りかけたので、正統ユダヤ教会堂に通う(しかしユダヤ教に改宗していない)ギリシャ語圏の人々の多くはナザレ派に入信しました。入信するために割礼を要求しない、よいハードルが低い教えだったからです。ナザレ派には戒律がありません。汚れを清める必要がありません。安息日の歩数制限もありません。等しく食べることができます。ユダヤ教会堂は信徒と求道者(信徒になる見込みの者)を奪われました。

これは由々しき状況です。ナザレ派に対して「不服従」(2節)の姿勢をイコニオンの会堂の人々は採りました。彼らはギリシャ語圏の住民だけではなく、先住民フリギア人や、リカオニア人たちにも働きかけます。「兄弟たち」(2節)はバルナバとパウロだけではなく、イコニオンの町に発生したばかりのキリスト教会の者たち全てを指すのでしょう。ギリシャ語話者だけではなく諸民族の間で急拡大する可能性のあるナザレ派に対する「諸民族の心をゆさぶりまた苦しめた」のです。

 「諸民族の心を・・・苦しめた」という言い方の意味がつかみにくいので、多くの翻訳は「悪意を抱かせた」(新共同訳)、「信徒たちに悪を行うように仕向けた」というように解します。しかし原文は、ユダヤ人たちが諸民族の心を直接に苦しめたと語っています。もしも直訳で意味が通るのなら、素直に読めば良いと思います。全ての人は神の子であるという福音を、諸民族はどのように受け取ったのでしょうか。「良い知らせだ」とみなしたのではないでしょうか。「家の教会」の実践をどのように考えたのでしょうか。信者が自宅を解放して、パン裂きをし、貧しい人にも食べ物を配る。病人は癒される。日曜日の夕方に賛美の歌声が聞こえる。家の中では、祈り、聖書の説き明かしを聞いている。フリギア人もリカオニア人もユダヤ人もギリシャ人も嬉しそうに集まり楽しそうに散っていく。ナザレ派は悪い人たちではなさそうです。

 キリスト者たちを正統ユダヤ教徒が悪く言うことは、イコニオンに住む諸民族の良心を苦しめます。好きな人について悪いことを言われれば誰でも嫌な気持ちになります。ユダヤ人正統は諸民族の良心を痛めつけ苦しめました。そのためにかえってユダヤ人会堂に対しての悪い感情も与えることになります。イコニオンの全てがナザレ派に反対したとルカは記していません。両者は拮抗し、ナザレ派の評価をめぐって町は真っ二つになりました(4節)。

3 それだから実際に長期間彼らは過ごした、主に拠って堂々と語りながら――その彼が彼の恵みの理について証言し続け、彼らの手を通して起こる徴と奇跡を与え続けていたのだが――。 4 さて都市の多くの人々は裂かれた。そして一方はユダヤ人たちと共に居続けたが、他方は使徒たちと共に(居続けた)。 

「それだから実際に」(3節)という順接の接続詞(原因と結果が真っ直ぐにつながる)も奇妙な表現とみなされて、「それでも」(新共同訳)のように逆接に解釈されます。直訳では文意がつかみにくいからです。しかし、ユダヤ人たちが諸民族を苦しめたからこそ、バルナバとパウロは長期間とどまったと考えれば理解できます。両勢力が拮抗していたからこそ、長期間対峙せざるをえなかったのです。イコニオンの住民の多くは民族的まとまりを超えて引き裂かれ、一方は正統ユダヤ教側につき、他方はユダヤ教ナザレ派につきました。福音は剣となって町を二分しました。「十字架のイエスが復活のキリストであり、その方によって全ての人は神の子であることが判明する。罪が赦される。永遠の命を得る。イエスが主であると告白し賛美する礼拝に全ての人が招かれている。さあ共に生きよう」

少なくともピシディア・アンティオキアの数週間以上の長い期間、バルナバとパウロは滞在しました。それだけ多くの信徒が与えられ、二人を宿らせてくれる家の教会が生まれたからです。二人は堂々と語りました。しかし語っていたのはバルナバでもなければパウロでもありません。霊となった主イエスご自身が、彼らの中に働いて彼らの口を通して語り、彼らの手を通して「徴と奇跡」(治癒行為)を与え続けたのです。このような人々が「使徒」(4節)です。

ルカは原則的に十二弟子以外の人を使徒と呼びません。たった二つの例を除いて。例外的な二例は使徒言行録14章に集中しています。4節と14節でだけ、バルナバとパウロが「使徒たち」と呼ばれているのです。多くの学者は、パウロ自身の「私は使徒だ」という主張を知っているので、なぜパウロがここでだけ使徒と呼ばれているのか、他で呼ばれないのかに議論を集中させます。しかし、ルカの強調はそこにありません。「バルナバとパウロが使徒たちと呼ばれている」ことに意味があります。

バルナバとパウロは生前のイエスを知りません。十二弟子たちのようにパレスチナ地域に留まってもいません。ユダヤ人とサマリア人にだけ福音を宣教しているわけでもありません。しかし使徒たちと同じように反対者を前にしても堂々と福音を語り、癒しを行っています。バルナバは「純血」のユダヤ人でもありません。キプロス島出身者です。パウロも小アジア半島出身の離散ユダヤ人です。このような人々も使徒になりえる、それだからすべての人は使徒になりえます。ギリシャ人ルカはユダヤ人のもつ権威主義(血統、師弟関係、約束の地に関する執着)を批判しています。民主政とは指導者がくるくると変わることによって、独裁と権威主義を防ぐ仕組みです。十二弟子=十二使徒という理解は身分制に近いものです。十二弟子以外の人を「使徒たち」と呼ぶことによって、「使徒とは職分であって固定的な身分ではない」という主張が、著者ルカによって控えめになされていると考えます。それはバプテスト教会の教会形成と共鳴する考え方です。「誰それ牧師を知っている」ことは何の権威にもなりません。むしろ復活のイエス・キリストを知るということにこそ絶大な価値があるのです。バプテスマを受けてキリストを着ている人は全て「神から遣わされた人(使徒)」です。

5 さて諸民族もユダヤ人も彼らの統治者たちと共に彼らを侮辱しまた石打ちするという動きが起こった時に、 6 (彼らは)気づいて彼らは逃げた、リカオニアの諸都市であるリストラやデルベや周辺地域の中へと。 7 そこで彼らは福音宣教をし続けた。

 長期間にわたる町の分裂は、イコニオンの統治者たちの介入によって、バルナバとパウロの死刑という方法で解決させられそうになりました(5節)。ナザレ派全体への迫害ということではなく、二人のよそ者に対する極刑という政治的な解決が当局の判断でした。興味深いことは二人が逃げたことです(6節)。殉教するまで踏ん張らない柔軟な姿勢が目を引きます。ここで死ぬよりも次の町に行った方が、福音宣教のためになると二人は思ったのでしょう。彼らがいなくても、あるいは彼らがいない方が、イコニオンの教会はそこに定住している諸民族によって続いていくことをも信じていたからこその転身です。イコニオンでも残された信徒たちは喜びと聖霊に満たされていたことでしょう(13章52節)。リストラはイコニオンから南へ40㎞の町です。デルベはさらにリストラから80㎞ほど東の町です。二人は前へと逃げていきます。そこで福音宣教をし続けるためです。そのためには生き延びなければなりません。この辺りの見事な逃走は、もしかするとすでにナザレ派が細々とではあれそれぞれの町に存在していたからなしえたのかもしれません。

 今日の小さな生き方の提案は、自分が使徒であることを知るということです。すべての信徒は使徒です。使徒とは「神から遣わされた者」という意味の言葉、ヘブライ語まで遡れば「投げられた者」。平たく言うと「使いっ走り」です。バルナバとパウロの軽快な足取り、フットワークの軽さが参考になります。「誰がわたしたちのためにお使いに行ってくれるか」という時に、「私がここに」と手を挙げていくこと。あるいは「行き詰ったけれどもどうしよう」という時に、「解決になるか分からないけど何かやってみよう」という軽快な判断と行動が大切です。神は私たちを放り投げる方です。シリアからキプロスへ、キプロスから小アジアへ投げられた二人の使徒のように、私たちの人生を好きなように投げる方がおられることを知りましょう。