エフェソにて 使徒言行録19章1-10節 2023年2月19日礼拝説教

1 さてアポロがコリントにいた時に、パウロが高原地域を通り過ぎてエフェソの中へと来るということ、そしてとある弟子たちを見つけるということが起こった。 

 パウロの第三回伝道旅行は18章23節から始まっています。おそらくはテモテも一緒に、かつて訪れたガラテヤ地方とフリギア地方の諸教会を訪ねながら通過し、エフェソに向かいます。18章23節の「ガラテヤやフリギアの地方」が、19章1節にある「高原地域」のことでしょう。アレクサンドリアのアポロがエフェソのプリスキラ・アキラの教会に合流している時に(18章24節以降)、パウロはガラテヤ教会などを訪ねて旧交を温めていました。そしてアポロがエフェソからコリントに向かった後に、パウロはアポロとすれ違う形でエフェソの教会を再訪いたします。そこで意外な出会いがあります。パウロ系列ではないユダヤ教ナザレ派(キリスト教会)の「とある弟子たち」が、エフェソの町にいたというのです。その十二人の男性たちは(7節)、エフェソで教会をかたちづくっていたようです。

 初代教会が東地中海・西アジア・北アフリカに急速に広がっていった「運動」の全容は解明できません。唯一の貴重な歴史文書である使徒言行録によれば、少なくともエルサレム教会系列(ペトロ、ヤコブ)、カイサリア教会系列(フィリポ)、アンティオキア教会系列(バルナバ、パウロ)、アレクサンドリア教会系列(アポロ)の諸分派があったことは確実です。さらに福音書を生み出していったマルコは、バルナバやペトロとも近い関係でしょうから複雑です。本日の箇所は、エフェソの町に「バプテスマのヨハネの教えを重んじるキリスト信徒」がいたという貴重な証言です。この点でアレクサンドリア教会系列と近い立場です。アポロもヨハネのバプテスマしか知らなかったからです(18章25節)。アポロを慕って、プリスキラとアキラの教会と接触を図ったのかもしれません。プリスキラたちは寛容な人々ですから、二つの教会(「教派」?)には交わりがあったのでしょう。この人々は入信の時にバプテスマを受けているクリスチャンです。ユダヤ人かもしれません。

2 そこで彼は彼らに向かって言った。「信じた時あなたたちは聖霊を受けたのかどうか」。さて彼らは彼に向かって(言った)、「むしろ聖霊がいるかどうかも私たちは聞かなかった」。 3 そこで彼は言った。「では何の中へとあなたたちは受浸したのか」。さて彼らは言った。「ヨハネのバプテスマの中へと。」 4 さてパウロは言った。「ヨハネは悔い改めのバプテスマを授浸した。その民に、彼の後に来る方の中へと彼らが信じるようにと言いながら。これはイエスの中へと(信じるということ)である。」 5 さて(彼らは)聞いて、彼らは主イエスの名前の中へと受浸した。 6 そして彼らにパウロが両手を置くと、聖霊が彼らの上に来た。そこで彼らは諸々の舌で話し続けた。そして彼らは預言し続けた。 7 さて彼らは全て男性、およそ十二人であり続けた。 

 プリスキラとアキラはアポロに再バプテスマを強要しませんでした。しかしアポロはいません。代わりにパウロがいます。この状況の中でパウロの意見を尊重して、エフェソの教会は十二人の「ヨハネ派キリスト信徒」に、再バプテスマを施します。パウロが問題にしたのは、十二人が聖霊について聞いたことすらないという事態でした(2節)。アポロは18章25節において「聖霊でもって沸騰し続けながら、彼は詳細にイエスについて述べ続けまた教え続けた」(私訳)とあるように、聖霊を受け容れています。十二人はアポロまたはアレクサンドリア教会とは異なります。つまり、パウロ系列の教会は、聖霊/イエスの霊/霊である神を信じることに重点を置いたキリスト教なのです。

 さらに、「パウロ派キリスト教」は、「主イエスの名前の中へと至るバプテスマ」をも重視しています。バプテスマという儀式の意味合いが、「ヨハネ派キリスト教」と異なります。ヨハネ派においては、バプテスマは「悔い改め」のみを意味しており、水の中へと入ることが謙遜や「自我を滅すること」を意味したのでしょう。ここで十二人の者たちが、「ヨハネのバプテスマの中へと」(3節)とだけ語り、「ヨハネの中へと」「ヨハネの名前の中へと」バプテスマを受けたと語っていないことが重要です。彼らにとって全身浸礼という形が悔い改めを象徴することだけが大切であり、ヨハネその人との人格的な交わりは関係ないという教理だったのでしょう。

 それに対してパウロは、「イエスの中へと」信じること(4節)、その象徴として「主イエスの名前の中へと」バプテスマを受けること(5節)が大切だというのです。霊となったイエスが主であると礼拝し、イエスの名前を賛美し、イエスの名前を通して祈る生活は、イエスと人格的に交わることです。対話をし、慰めや励ましを日常的に受けることです。そして、それはわたしたちがイエスのようになっていく歩みです。入信した時の一度きりの悔い改めではなく、一生続く交わりの開始点・節目がバプテスマという儀式です。一度死ぬことではなく、何度でも苦難を受け死の淵を潜り抜け、しかしイエスと共に復活する人生が始まることを、バプテスマは象徴しています。

 プリスキラたちエフェソ教会は、相変わらず論争的なパウロにいささか手を焼きながらも、パウロの主張をも重んじて十二人のヨハネ派キリスト信徒たちにバプテスマを施します(5節)。バプテスマの執行者はあえて伏せてあります。パウロ個人ではなく、エフェソの教会が教会の決断として十二人の男性に再バプテスマを授けたことを示唆しています。アレクサンドリア教会のバプテスマは承認し(アポロに再バプテスマをしない)、ヨハネ派教会のバプテスマを承認しない(十二人に再バプテスマをする)というエフェソ教会の立ち位置が表れています。いずれにせよ教会が決めて教会が執行することが大切です。

 「そして彼らにパウロが両手を置くと、聖霊が彼らの上に来た。そこで彼らは諸々の舌で話し続けた。そして彼らは預言し続けた。」(6節)アンティオキア教会系列のパウロ派教会の特徴は、「諸々の舌」(「異言」と呼ばれる意味不明の言葉ないしは様々な言語)による祈りや賛美、そして「預言」です。ヨハネ派教会には、このような宗教的な実践行為は無かったことでしょう。「諸々の舌」「預言」はもちろんエルサレム教会系列にも遡る伝統ですが(2章、15章32節)、特にパウロ派教会に色濃い特徴と推測できます(13章1節、一コリント12-14章)。いわば米国黒人教会のような「熱狂的なお祭り騒ぎ」がパウロ派教会の一つの特徴でした。

 現代のわたしたちは、当時のパウロ派教会の実践に戸惑うところもあります。他者の意見を圧し潰したり、自分の意見を煽り立てたりすることが、宗教の名を借りて行われることに慎重でありたいからです。その一方で教会が暗く冷たく高飛車な教えや「悔い改めの教理」のみを聞くだけの場になってはいけないとも思います。霊である神がバラバラのわたしたちを結びつけているということを、実際に全身で表現できる群れでなくてはいけないとも思うのです。多種多様な言葉や表現による賛美や祈り、個々バラバラの日常生活ではありえないような集団による賛美や祈りや晩餐。よそから見れば異様な風景であっても、わたしたちにとって意味のある楽しい時間や空間。そのような礼拝が求められています。礼拝は「賛美歌付きの講演会」であってはいけません。霊なる神との交わりです。

8 さて(彼は)その会堂の中へと入って三か月間堂々と語り続けた、神の国について議論しながら、また説得しながら。 9 さて幾人かが頑なになり続けまた不信であり続けた時に、群衆の前でその道を悪しざまに言ったので、(彼は)彼らから離れて、その弟子たちを分けた。毎日ティラノの集会所において議論しながら。 10 さてこのことは二年間起こった。その結果アシアに住んでいる者すべてが、主の理を聞いた。ユダヤ人もギリシャ人も。

 パウロはいつもの伝道方法にこだわります。三か月間ユダヤ教正統の会堂に通って、そこで教理論争をしかけます(8節)。前回の短い滞在では思うように論じきれなかったからでしょう(18章19節)。プリスキラとアキラはあまり勧めなかった伝道手法だと思います。コリントでも見た風景だからです(18章5-6節)。パウロが会堂で論争すると、必ずと言ってよいほど強い反発に遭います(9節)。その結果伝道が捗りません。この点、ユダヤ教正統の会堂における論争はアポロの方が上手です(18章28節)。

 そこでエフェソの教会は、パウロの良いところを利用する伝道手法を編み出します。それは「家の教会」を補う方法です。プリスキラとアキラの自宅では集まる人数に限りがあります。直前に十二人の男性の転入会も行われていますから。また毎週日曜日の夕方だけの礼拝では頻度においても限りがあります。エフェソ教会は毎週の主日礼拝を補完する集会を創設しました。「ティラノ〔「王」の意〕の集会所」と呼ばれる場所を「毎日」借りて自由に聖書を解釈しイエス・キリストの道を伝えるという伝道手法が、パウロという人の特長にあっていると考えたのです。講演会形式です。ティラノが人名か地名かは不明です。私塾や教室のような場所か、公民館のような場所かも分かりません。

 パウロという人は生の人間同士の対話が苦手です。内気で面と向かうと言葉に詰まってしまう気質でもあります(二コリント10章1節)。自分を表現することも相手の気持ちを理解することもできないので、自分の主張との折り合いを見つけることが不得手です。しかしパウロは長文の手紙をまめに書くことはできます。広範な旧約聖書についての知識と、キリスト教的解釈の深さも長けています。「有志で集まってパウロの考えを長時間聞いてくれる人々を毎日募る方が良い。聞きたいと思っている人の前でまとめて話をする講演会形式の方がパウロも語りやすい。その聴衆の中から毎週の教会に集う人が与えられるかもしれない。」エフェソ教会の新しい伝道方針です。

 この手法は成功し、パウロは自己最長の「二年間」一つの教会に留まることになります。プリスキラとアキラを中心とするエフェソ教会の懐の深さが、奇人パウロを大いに用いたのだと思います。この期間に、パウロは現存する多くの手紙を発信します(コリント、ローマ等)。逆から言えば、わたしたちはエフェソ教会員であるパウロの言葉としてこれらの手紙を読むべきです。「やっと自分の特長を生かせる働き場が与えられた」という実感が、パウロの内面から文面へと現れ出ているはずです。くすぶっている人の文章ではありません。

 今日の小さな生き方の提案は、熱い賛美や祈りを捧げ、霊的で奇想天外な聖書解釈をし、平等に霊を授けられた者として晩餐を囲み、霊的な礼拝を行い続けることです。世間はわたしたちをくすぶらせがちです。しかし自分の人生をくすぶらせる必要はありません。救い主はくすぶる灯心を燃やす方です。教会はすべての個人を必要としています。その人の特長が生かされる場が教会には必ずあるからです。どんな奇人変人もはまる隙間が教会には必要です。パウロのように自分が貶められる場から、尊重される場へと転進しましょう。またプリスキラのように奇人パウロを活かす余地をもつくりましょう。