エフェソの教会 使徒言行録18章18-23節 2023年1月15日礼拝説教

18 さてパウロはさらに多くの日々滞在して、その兄弟たちに別れを告げて、シリアの中へと出航し続けた。そして彼と共にプリスキラとアキラも。(彼は)ケンクレアイにおいてその頭を剃る。というのも、彼は誓いを持ち続けたからだ。 19 さてエフェソの中に彼らは到着した。彼は彼らをそこに残した。さて彼自身はその会堂の中へと入って、彼はそのユダヤ人たちと議論した。 20 さて彼らがより長い期間にわたって留まることを求め続けても、彼は肯かなかった。 21 むしろ(彼は)別れを告げて、また「再びわたしはあなたたちのもとに戻るだろう、神が望んでいるのならば。」と言いつつ、彼はエフェソから船出した。 22 そしてカイサリアの中へと下って来て、上って、そしてその教会に挨拶をして、彼はアンティオキアの中へと下った。 23 そしていくばくかの期間を作って、彼は出て行った。ガラテア地方とフリギヤ(地方)を連続して通り過ぎながら、その全ての弟子たちを強めながら。

 本日の箇所は、22節までが「第二回伝道旅行」の終わりであり、23節からが「第三回伝道旅行」の始まりにあたります。少し振り返ります。第二回は15章40節から始まっています。すなわちパウロが、バルナバとマルコと別れて、シラス(シルワノス)と共に開始した布教活動です。二人は、シリア州の首都アンティオキアを出発し、陸路で小アジア半島に入って行きます。そしてシリア州やキリキア州にすでにあった諸教会に、エルサレム教会からの手紙を二人は手渡していきます。エルサレム教会は非ユダヤ人がキリスト者になるために割礼を要求しないことが明記されている手紙です(15章28-30節)。途中デルベでテモテを加え、基本的にこの三人が旅をしていくのが第二回です。

 三人はリカオニア、ガラテヤを通ってアシア(の首都エフェソ)に行こうとしますが聖霊に禁じられ、マケドニア人ルカの強い求めもありギリシャに行きます。そしてマケドニア(フィリピ、テサロニケ)からアカイア(アテネ、コリント)と「回り道」をして、今回の箇所でコリントから元来の目的地だったエフェソに立ち寄ることになります。そして「シリア(の首都)」アンティオキアへと帰るのです。だから、18節「パウロは」とありますが、当然にテモテとシラスは一緒に居たと推測します。三人は一体化しています。この三人に加えてプリスキラとアキラがコリントから同行したのでしょう(18節)。

 「ケンクレアイ」はコリントの町の東側の港です。ケンクレアイからエーゲ海に出てエフェソへと向かいます。ケンクレアイでパウロは髪を剃ります。何かの誓願を行っていたからだというのです。民数記6章に誓願についての法律があります。誓願を立ててナジル人になった人は、まず頭を剃り、誓願期間中「葡萄断ち」をし、死者に触らないようにします。そこからは伸ばし放題です。誓願期間の完了と共に剃り、新たな誓願を立てるか普通に暮らすかを選びます。パウロは、第二回伝道旅行の期間中ずっとナジル人だったのかもしれません(「持ち続けた」は未完了過去)。伝道成功を祈って葡萄断ちをしていたパウロが、コリント教会の発展を見届けて、ケンクレアイの港でコリント教会員と共に十全なかたちの「主の晩餐」をする。このような送別がなされたのではないでしょうか。なお、この剃髪行為がエルサレムで咎められた可能性があります。ナジル人であることを解除する剃髪儀式はエルサレムで行われなければ正式ではないと解釈されていたからです(民数記6章18節)。

 19節「彼は彼らを残した」は、パウロ(・シラス・テモテ)がプリスキラとアキラをエフェソの町に残して、自分たちだけでシリアに帰ったという意味に解します。エフェソの教会を建て上げ育てるためのコリント教会からの株分けメンバーとして夫妻は派遣されたのでしょう。エフェソはコリント同じく「属州長官(プロコンスル)」が常駐する属州の首都、政治行政文化の中心地である大都市です。福音が歓迎され、コリントと同じように信徒が増える可能性は大です。ちなみにプリスキラとアキラの夫婦は、原則として妻のプリスキラから言及されます(26節も)。教会指導者として活躍していたのはプリスキラの方だったと推測されています。

 エフェソ滞在の短い期間、パウロはいつもの伝道方法に戻ります。まずユダヤ人街の真ん中にある会堂に行き、ユダヤ人正統の人々に論争をしかけていくという手法です。エフェソでは功を奏したのでしょうか。20節でパウロを引き留めた「彼ら」が誰なのかによって、パウロの伝道方法が成功したか、それとも失敗したかどうかが分かれます。この箇所の「彼ら」は「ユダヤ人たち」(成功)か「プリスキラら教会員たち」(失敗)かが不明です。おそらく後者でしょう(19章8-9節)。パウロの手法では短期間で芽が出ず、残されたプリスキラたちの尽力によりエフェソの教会が立ち上がったと推測します。パウロは謙虚に反省し「自分が離れた方がうまくいくかもしれない」と思い、残留に「うん」と肯かなかったのではないでしょうか。ただしエフェソについて諦めきれない未練が、「再びわたしはあなたたちのもとに戻るだろう、神が望んでいるのならば。」(21節)という言葉に表されています。この言葉は後に実現し、エフェソの教会は第三回伝道旅行の中心拠点となります。

 パウロ(・シラス・テモテ)は、シリアへと帰る船出をします。テモテにとっては初めてのシリア行きかもしれません。母なるアンティオキア教会をテモテは初めて訪れることになるのですから、興奮したことでしょう。ところが行先は「カイサリア」(22節)です。少し奇妙です。もしもシリアの首都アンティオキアに行くのであれば、「セレウキア」(13章4節)の港に行くべきです。かなり南のカイサリアに船が着いたということは、最初から行き先をエルサレムに絞っていたことになります。ところが、本文には「エルサレム」という地名は省かれています。その一方で、18節に書かれている通り「シリア(の首都アンティオキア)の中へと」パウロらは帰っているはずなのです。

 もう一度22節に沿って三人の旅程を確認します。「そしてカイサリアの中へと下って来て、上って、そしてその教会に挨拶をして、彼はアンティオキアの中へと下った。」「上って」は明確にエルサレムへと上ったという意味です。だから「その教会」も明確にエルサレム教会のことです。そしてエルサレムからアンティオキアへと「下った」のでしょう。パウロらはなぜ直帰せずに「その教会(エルサレム教会)挨拶」をしたのでしょうか。それほどに重要な用事があったのならば、なぜルカはこんなにも省略しているのでしょうか。そして、シラスはこれ以降使徒言行録から姿を消します。テモテについての言及もないことも奇妙です。学者たちは、「パウロ系列のフィリピ教会創設者の一人、ギリシャ人信徒ルカにとっては書きたくもないような不愉快な出来事が、このエルサレム教会において起こった」と推測します。

 第二回と第三回伝道旅行には明確な違いがあります。エルサレム教会への献金を集めるという活動です(24章17節)。パウロは行く先々の教会で募金をしました。そのためにコリント教会とは関係が悪くなるほどでした。なぜ献金集めが加わったのか。エルサレムでの挨拶において、エルサレム教会への献金を自らの義務とすることをパウロが約束したからではないかと推測されます。

 第二回伝道旅行の報告をパウロ・シラス・テモテは喜んでしたのだと思います。それは第一回の後にバルナバと一緒にした時と同じです(15章4節)。パウロがアンティオキアを差し置いてまずエルサレムに赴いた理由は、シラスと共に伝道旅行の報告をするためです。それが筋というものです。エルサレム教会のお墨付きを得て、「入信のための割礼という条件なし」で伝道をし、非ユダヤ人信徒たちもキリスト教会に加わっていること、思い切ってギリシャ半島に足を伸ばしたこと、ギリシャ語圏の大都市で数的に増大していること、マケドニアの諸教会がアカイアの諸教会でのパウロたちの活動費を賄ったことを、シラスと共に喜びをもって報告します。聖霊が奇跡をもって導いたということを、てっきり喜んでもらえるかと思っているからです。

 ところがエルサレム教会の反応は冷ややかなものでした。喜ぶ者と共に喜ぶことは難しい時があります。そもそもパウロはエルサレム教会を迫害したという過去を持っています。そのことを未だに恨んでいる人もいたことでしょう。また、エルサレム会議(15章)の決議に反対の意見の人もいたことでしょう。バルナバやマルコ(やマルコの母)と親しい者たちもいたことでしょう。この人たちはキプロス島への伝道旅行を熱心に支援していた可能性があります。だからエルサレム教会員だったシラスが、パウロに引き抜かれたことに反対の人もいたと思われます(15章22・32・40節)。やっかみや嫉妬、差別もありえます。ローマ帝国公用語であるギリシャ語やラテン語が堪能ではないゆえの非ユダヤ人差別も厳然としてあります。自らが貧しいゆえの、ギリシャ語圏の経済的に豊かな教会への反感もあります。

 これらのことからパウロたちに対する尊重・敬意を欠いた言動が噴き出たのではないでしょうか。「なぜナジル人の誓願をエルサレム以外の場所で完了させたのか。そのことは了解していない」とか。「なぜギリシャ人テモテに割礼を施した上でキリスト者にしたのか。そのことは了解しているのに」とか。「ローマ市民権を持っているシラスがいない間、教会は大変苦労した」とか。「そんなに伝道が成功したというのならば、母なるエルサレム教会に献金があってしかるべきではないか。バルナバたちはちゃんと献金をしている。それともアンティオキア教会に献金をしたのか」とか。「パウロさん、まさか自分のことを使徒と名乗っていないでしょうね。イエスさまを見たこともない迫害者だったあなたが」などなど。

 エルサレム教会という権威のもとで力が濫用されています。パウロを庇うバルナバはいません。パウロ、シラス、テモテは黙って忍耐します。このやりとりがあってシラスはエルサレム教会に留まることとなったのでしょう。彼は忽然と使徒言行録から姿を消します。パウロとテモテはパウロ系列の教会からのエルサレム教会への献金を約束します。パウロにとっては罪滅ぼしという気持ちが強かったことでしょう。テモテにとっては漠然とした恩返しという気持ちから、つまりテモテは権威主義に敗れたのです。そしてこの献金義務付けの約束がパウロの逮捕・裁判・処刑を決定づけます(21章27節以下、ローマ15章25節以下)。ルカは深い憤りをもって、地名不問「その教会に挨拶」(22節)とだけ簡単に記していると推測します。そして不自然なほど急に第三回伝道旅行が始まります(23節)。思い出したくもないからです。

 今日の小さな生き方の提案は著者ルカの態度にならうことです。人間は防衛本能として無意識に嫌なことを忘れます。不愉快な出来事については、意識的に無視し忘れようとして良いと思います。歴史家であろうとするルカが大胆にもここでそれを行っています。「ふん」という態度です。さらにあえて言いましょう。あの時パウロたちは沈黙を強いられ服従しました。しかし今わたしたちは誰かに力を濫用された時に、「ふん」と返して、反抗や抵抗をして良いのです。人に従うよりも神(自分の良心)に従うべきだからです。真に神に従う人は、人を従わせ支配しようとはしないはずです。神が愛だからです。