サマリア人の村 ルカによる福音書9章51-56節 2017年5月14日礼拝説教

今日の箇所から、ルカ福音書の「中間部分」(あるいは「大挿入」)と呼ばれる塊に入ります。ルカ福音書は全体として忠実にマルコ福音書をなぞっています。マタイ福音書がかなり物語順序を変えるのとは対照的です。ところが、ルカ福音書9章51節から18章14節までの9章分、完全にマルコ福音書から離れます。独自の伝承や、マタイ福音書と共通の伝承のみで物語を構成します。だから、ルカ福音書とルカの教会の強調点を「中間部分」によってより良く知ることができます。たとえば良いサマリア人の譬え話や、放蕩息子の譬え話、金持ちとラザロの譬え話、やもめと裁判官の譬え話など、ルカ福音書にしかないイエスの言葉が「中間部分」に記録されています。

しかもその塊は、全体としてガリラヤからエルサレムに向かう旅の途中での出来事という構想のもと描かれています(9章51・53節、13章22節、17章11節)。その結果、イエス一行は、直線距離ならば一泊二日程度の道のりを、延々と長い旅行をすることになります。この全体の構成によって、ルカ福音書のイエスには「旅空を歩く人物」という印象が読者に与えられます。しかもサマリア地方を通ってかなり南北に行ったり来たりし、まっすぐエルサレムに行きません。神の国運動を展開しながらゆっくりと目的地に進むイエス一行の姿は、荒野を40年もぐるぐると歩き回った末にゆっくりと約束の地に入ったイスラエルの民の姿と重なり合います。ここに教会の模範があります。

わたしたちの教会にも当然紆余曲折がありました。これからもあるでしょう。それはそれで悪くないことです。全体としてゆっくり進むからです。ただし目的地がないといけません。神が約束している目標は何であるのか、その目標に向かって体を伸ばさないとまずいでしょう。51節の直訳は、「彼自身、顔をしっかり上げ、エルサレムへと進んで行った」(田川建三訳)です。「彼が昇天する日々」は、エルサレム入城・十字架・復活・昇天までの約50日を指します。ここが目標です。この目標に顔をしっかりと向けて進まなくてはいけません。53節も原文は「彼の顔がエルサレムへと進む」とあります。

教会の目標は何か。わたしたちはどこにしっかりと顔を向けるべきなのでしょうか。今日の箇所は、その目標について示唆を与えています。それがルカ福音書およびその続編である使徒言行録が「サマリア人」について、どのように考えているのかということと深く関わります。

サマリア人とはどのような人々なのでしょうか。本日の週報の四面にも記している通り、イエスの時代にサマリア人はユダヤ人によって差別されていました。現在のユダヤ人国家であるイスラエルに迫害されているパレスチナ人と境遇が似ています。アメリカの「属国」イスラエルは、ローマ帝国の属州ユダヤに似ています。同じ信仰の根を持つ二つの「民族」(人種的にほとんど同じ)が対立構造に置かれていました。あるいは大日本帝国と大韓帝国との関係と似ています。日本の侵略と1910年の日韓併合、その後1945年まで続く植民地支配は、未だに対立構造を残しています。両者の力関係に応じて差別は作用します。ユダヤ人からサマリア人、ユダヤ人からパレスチナ人、日本人から朝鮮人という具合です。そして差別に対して義憤と憎悪が起こります。その後は憎悪の連鎖が続きます。

サマリア人からユダヤ人に対する義憤と憎悪が起こった最大の出来事は、ユダヤ民族国家(ハスモン王朝)が、サマリア人の聖地ゲリジム山の神殿を破壊した事件です(紀元前2世紀後半)。だからサマリア人はエルサレム神殿に対して強い敵愾心をもっています。そのサマリア地方を通って(厳密に言うとうろうろしながら)、イエスはエルサレムへと向かいます。ここには「神の必然」と呼ぶべき使命感があります(19章5節「泊まらねばならない」、ヨハネ福音書4章4節「通らねばならない」)。

イエスの使命はユダヤ人とサマリア人の「歴史的和解」にあります。エルサレムで果たされることの一部に、両者の友輪があります。そしてその使命は、イエスの弟子たちに継承されます。教会の使命として、両者の友輪、さらにすべての民族との友輪が引き継がれます。わたしたちは今日の物語がどこに帰結するのかを、使徒言行録まで見渡して考えなくてはいけません。それによって、同じ教会に生きる者として、今の自分の生き方が点検されるのです。

イエスはとあるサマリアの村に宿泊する時に村の様子を調べます(52節)。その際にかなり詳しく自分たちが何者であり、どこへ行こうとしているのかを伝えているようです。つまり、イエスという人物を中心にして「神の国運動」という活動をしていること、福音を宣べ伝えながら悪霊を追い出していること、そうしてエルサレムを目指していることを説明しながら宿泊のお願いをしているのだと思います。迂回も逃げもせずに慎重に事柄に直接あたっています。

「しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである」(53節)。初めは静かに聞いていたサマリア人たちが「エルサレム」という単語を聞いて凍りつきました。「エルサレム神殿に巡礼するようなユダヤ人たちはお断りだ」というわけです。民族の義憤と憎悪が沸き起こります。100年以上前のあの暴力を忘れないという強い感情です。

使いの者たちはすごすごとイエスのもとに帰り、ことの次第をすべてイエスに報告しました。側近中の側近であるヤコブとヨハネの兄弟は憎悪の連鎖に入ります。「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」(54節)。この二人には「雷の子」という意味のあだ名がありました(マルコ福音書3章17節)。それは、このサマリア人の村の出来事に由来するのかもしれません。いずれにせよ物騒な話です。歓迎されないことは、焼き討ちにしてよいという理由には決してならないからです。このような場合には、その町や村から退去し、足についた埃を払い落とすというのが、イエスから弟子たちへの指示でした(9章5節)。ヤコブとヨハネの反応は行き過ぎています。

「イエスは振り向いて二人を戒められた」(55節)。これは大変厳しい表現です。叱りつけたということです。しかし、「振り向いた」ところにイエスの二人への愛情があります。三回イエスを否定したペトロに対してもイエスは「振り向いてペトロを見つめられた」(22章61節)。イエスは、ヨハネ・ヤコブ兄弟の罪を指摘します。指摘しつつ赦します。罪とは忘れられるものでも水に流されるものでもありません。イエスから覚え続けられ指摘され続けられ、しかし同時に赦されるものです。イエスの「振り向きながらの叱りつけ」にはそのような意味があります。

一行は、足の埃を払うという「挑発行動」もせずに、黙ってそのサマリア人の村の意思を尊重して、別の村へと移動します(56節)。彼ら彼女たちの義憤と憎悪に理由があることを知っているからです。エルサレム神殿にお参りするユダヤ人に宿を貸したくないでしょう。ユダヤ人はサマリア人に対する民族の負債、罪を負っています。負の歴史を負う者は距離をとって、相手の義憤を尊重することが大切です。「いつまで謝れば良いのだ」という言い方は、「焼き討ちにしてしまえ」という言い方と、根底においてつながっています。相手を下に見ているから、そのように言うのでしょう。

直前にヨハネは「反対しない人は賛成する人とみなせ」という教えを聞いています(50節)。では、「歓迎しない人」や「憎む人」が出てきたらどうするのかという応用問題が今日の箇所です。回答は距離を取れです。それは「敵を愛する」(6章35節)ということの一形態です。愛するということは好きになることではありません。嫌な人と距離をゼロにすることではありません。適切な距離をとって尊重することです。

弟子の中にも巣食っているサマリア人への差別を乗り越えることは、イエスの使命の一つです。だからこそ、「良いサマリア人の譬え話」が「長い教育的な旅」の中で語られたのです(10章30-37節)。サマリア人を愛すべき隣人と認めたくないユダヤ人、「ユダヤ人を歓迎するサマリア人だけを受け入れてやっても良い」と考えるユダヤ人が、サマリア人に介抱されるという譬え話。これによりイエスは民族主義がくだらないということを教えています。そして、サマリア人のハンセン病患者を高く評価する物語にも、その教えがこだましています(17章11-19節)。ユダヤ人とサマリア人が共に食卓を囲む只中に神の国はあるのです(17章21節)。

ルカ福音書のイエスは生涯の最後まで、サマリア人との友輪をヨハネたちに教えようとしています。最後の晩餐の準備に、ペトロとヨハネを使いに出すからです(22章8節)。ここには「あのサマリア人の村事件を思い出せ」という示唆があります。ヨハネとペトロは十字架前夜でも分からなかったと思います。サマリア人への差別という罪を抱えたまま、その表れとしてイエスを裏切る罪・見捨てる罪・否定する罪を、すべての弟子は犯しました。サマリア人ならば殺して良いという考えが、ナザレのイエスを殺したからです。それを根源的な罪・原罪と呼ぶのです。

ところが復活のイエスは面と向かって弟子たちの罪を赦しました。忘れたのではなく裁きつつ赦しました。自分が代わりに裁かれるという仕方で罪を指摘しながら罪を負いました。十字架と復活です(24章36節以下)。そして、イエスの霊が降って罪の赦しと友輪を説く教会をつくるようにと、ヨハネもヤコブも命じられます(使徒言行録1-2章)。教会においてはユダヤ人もサマリア人もない。すべての人は神の子なので、サマリア人・ユダヤ人でありながら、互いに隣人となることができるのです。

ヨハネとペトロは、サマリア人の村々に行き、そこにキリストの教会があることを確認しています(同8章4-25節)。後にヤコブは十二使徒の最初の殉教者になりました(同12章2節)。イエスを見殺しにした者が、殺すよりも殺される方がましという者になりました。ここに、本日の箇所の「叱りつけ」の着地点があります。ルカ福音書と使徒言行録は、ユダヤ人がサマリア人差別を乗り越える道を示しています。民族主義者の弟子たちには、長い期間の教育とサマリア人との具体的出会いが必要でした。イエスの教えと生き方、罪の贖い・赦しの福音がその教育の原動力・中核にあります。

後に弟子ヨハネはヨハネ福音書を書いたと伝えられます。ヨハネ福音書4章に描かれたイエスとサマリア人女性の物語は、ルカ福音書の「中間部分」にあたる時期に起こった出来事を、民族主義を福音によって乗り越えたヨハネが振り返って描いた美しい物語です。親分イエスは、サマリア人女性をも身内とする方だったことを懐かしんでいるのでしょう。男も女もないのです。

今日の小さな生き方は、生涯教育の勧めです。憎悪の連鎖を自分のところから止める生き方を、生涯かけて模索して練達していくことです。教会の目標はそこにあります。教会で友輪を体験し、それを身の回りで始めましょう。頭を垂れて義憤の歴史を学び、顔を上げて憎悪を乗り越えていきましょう。