シケムでの契約 ヨシュア記24章23-31節 2021年7月11日礼拝説教

23 そして今あなたたちの真ん中に(ある)異国の神々をあなたたちは斥けよ。そしてあなたたちの心をヤハウェ・イスラエルの神に向かって傾けよ。 24 そして民はヨシュアに向かって言った。「ヤハウェ・わたしたちの神をわたしたちは礼拝する。そして彼の声をわたしたちは聞く」。 

 出エジプトを果たしたイスラエルの民はヨシュア記において初めて「約束の地」、カナンの地、パレスチナに入ります。荒野の四十年を経て、出エジプトを果たした世代はすべて入れ替わりました。モーセもアロンもミリアムも約束の地に入れなかったのです。このことは荒野で生まれた人々だけが約束の地に入ることができたということです。

 旧新約聖書全巻を貫く教えがここにあります。古い自分に死ななければ、新しく生まれ変わることができないということです。裁きと救いの関係です。根元から断ち切られた切り株から新しい芽が出ること、バビロン捕囚とそこからの帰還、十字架と復活。このような非連続と連続が繰り返されることは、エバの追放、カインの追放、ノアの洪水、バベルの塔、サラやハガルやリベカの父の家からの出奔、ロトの妻の死、ヨセフが売られたことなどに当てはまります。エジプトから救われた民は荒野で裁かれ、荒野で新生した民が約束の地に入るという救いを経験します。

ただし、より正確に言えば二人の例外を除いてイスラエルの世代はすべて入れ替わったと言わなくてはいけません。その二人がエフライム部族のヨシュアと、ユダ部族のカレブです。創世記のヨセフとユダの子孫、ラケルとレアの子孫です。この二人は約束の地を偵察した時に、「良い土地だからすぐに入ろう」という少数意見の持ち主でした。大多数は尻込みした中での意見発表でした。その勇気ある発言の功績で、約束の地に入ることが許されたのです。そしてヨシュアはモーセの後継者に任じられます。ヨシュア記は、ヨシュアが率いる「入パレスチナ」の物語です。

入パレスチナが軍事侵入・軍事占領として描かれていることに注意が必要です。イスラエルの定住化の歴史的実態は、実際に入ってきた部族(エフライム部族ら)と、元々いた部族(ユダ部族ら。つまり先住民族)と、山岳地帯から降りてきた部族(これも先住民族)の三種類がいたと言われます。だから史実としてはヨシュア記のように先住民族をすべて追い出したのではなく、士師記のように先住民族とイスラエルは共存していたのでしょう。

そういうわけで23節の言葉に真実味が出てきます。「今あなたたちの真ん中に(ある)異国の神々をあなたたちは斥けよ」。実際に日常的にさまざまな先住民と接し、さまざまな神々が生活に密着して存在していたのです。元々それを信じていた先住民が、後からヤハウェ神に帰依して「イスラエル十二部族」に連なった場合もあったからです。また文字通りの「聖絶」などは全先住民にできるはずがないからです。

だからこの場面は特別伝道礼拝の説教者による「招き」の場面に近いものがあります。「あなたたちの心をヤハウェ・イスラエルの神に向かって傾けよ」という呼びかけは、イエスをキリストと受け入れませんかという招きです。シケムに集まる会衆の中にはヤハウェを信じていない者がいます。ヤハウェもバアルも信じている者もいます。「ヤハウェのみに専心して、ヤハウェを礼拝するイスラエルの民の一員になろう」。

この呼びかけに対して民は「ヤハウェ・わたしたちの神を礼拝する。神の声を聞く」と応えます。雑多な民がヤハウェのみを「わたしたちの神」として礼拝し神の声を聞くことによって、「わたしたち」になる決意がここにあります。

25 そしてヨシュアは民のために正にその日契約をちぎり、彼は彼らのためにシケムで掟と法とを据えた。 26 そしてヨシュアは神の律法の書の中にこれらの言葉を書き、彼は大きな石を取り、彼はそれをヤハウェの聖所の中にある樫の木の下に立てた。 27 そしてヨシュアは民の全てに向かって言った。「見よ、この石はわたしたちの中で証人となる。なぜならばそれは彼がわたしたちと共に語ったところのヤハウェの口述の全てを聞いたからだ。そしてそれはあなたたちの中で証人となる。あなたたちがあなたたちの神を否定しないように」。 28 そしてヨシュアは民をそれぞれの嗣業に遣わした。 

 「シケムでの契約」は、「シナイ山での契約」に匹敵しています。多くの翻訳はヨシュアが「民と」契約を結んだとしますが、本文は私訳のように「民のために」契約を結んだとも解釈できます。というのも同じ25節に同じ前置詞が「彼らのために」という意味で登場しているからです。つまり、ヨシュアはモーセと同じく契約の仲介者となって、民のために民と神との間の契約を結んだのです。「掟」「法」は珍しくそれぞれ単数形です。これは一つしかない「モーセ五書」のことを指しているのでしょう。そうであればヨシュアはモーセと同格の人物です。

 さらにヨシュアは「神の律法の書の中にこれらの言葉を書き」(26節)とも言われます。「神の律法(トーラー)の書」はモーセ五書(トーラー)のことです。「これらの言葉」というのは、民が言った「神の声を聞く」という言葉でしょう。驚くべきことにヨシュアは、正典トーラーに加筆しています。出エジプト記24章のシナイ山での契約の場面に、「わたしたちは主が語られた言葉をすべて行います」という言葉が二回も記載されています(出エジプト記24章3・7節)。一つはヨシュアが書き込んだものかもしれません。正典の一部を書き込むという行為によって、ヨシュアはモーセと肩を並べます。

 その後ヨシュアは大きな石を記念碑として立てます。神の前で契約を交わすことにあたって記念として石を立てることはイスラエルの伝統です(創世記28章18節・31章45節・34章14節)。ヨシュアは先祖ヤコブにならっています。シケムはヤコブゆかりの地だからです(創世記34章)。文脈にも注意が必要です。実は14節から22節までにはヨシュアとイスラエルの民の間で押し問答が繰り広げられています。ヨシュア曰く「我が家はヤハウェを礼拝するけれどもあなたたちは無理だろう」、民曰く「わたしたちはヤハウェを礼拝します」というやりとりです。最後に、ヨシュアと民は「民自身が約束の証人となる」(22節)ということで合意したように見えます。

 ところがヨシュアは民自身が証人となるということに一抹の不安を感じたのでしょう。証人というものは第三者でなくてはいけません。契約の一方当事者である民が証人となるということでは、民は約束を守らずに任意で礼拝をしなくなるかもしれません。27節は石を擬人化し、人間であるかのように言っています(「ヤハウェの口述の全てを聞いた」)。石を「証人」に格上げしています。この石を見るたびにイスラエルは、神と民との契約をヨシュアが仲介して結んだことを思い出します。そしてヨシュアが付け加えた正典(トーラー)に基づいてヤハウェのみを礼拝する決意を新たにさせていくのです。

 シケムにある「聖所」(礼拝施設)には樫の木がありました(26節)。その傍らに記念碑も立てられました。会衆の一人のような形で石が立っています。会衆はその石を見ながら契約を思い出します。指導者ヨシュアの影がそこに映し出されます。そうしてヤハウェの声を聞く礼拝、すなわち正典朗読を中心にした礼拝を捧げていくのです。もはやここは荒野ではありません。定住者たちの礼拝様式がここに形作られていきます。

 シケムでの契約は全部族でなされました(1節)。契約を交わした人々をヨシュアはそれぞれの部族に与えられた土地に遣わします。それぞれは自分たちの部族に聖所を構えて、ヤハウェのみを礼拝していくのです。紀元前622年よりも前には(ヨシヤ王の中央集権政策)、エルサレム神殿は決して唯一無比の礼拝施設ではありませんでした。各地方に聖所がありました。シケムはその中で最も有名な門前町です。この伝統はサマリア五書を正典とする「サマリア教団」という枝分かれに継承されていきます。

29 そしてこれらの出来事の後に、ヨシュア・ヌンの子・ヤハウェの僕が死ぬということが起こった、百十歳(で)。 30 彼らは彼を彼の嗣業の境、ティムナト・セラハに葬った。そこはエフライムの山の中、ガアシュの山に向かって北側に(あるのだが)。 31 そしてイスラエルはヤハウェを礼拝した、ヨシュアの全ての日々およびかの長老たちの全ての日々。彼らはヨシュアの後の日々(を)長生きし、また彼らは、イスラエルのために為したヤハウェの全ての行為を知っていたのだが。

 ヨシュアは父祖ヨセフ(エフライムの父)と同じく百十歳で天に召されます(創世記50章26節)。ヨセフの遺骸(ミイラ)が埋められたことが直後の32節以降に記されています。ヨシュアの埋葬とヨセフの遺骸が埋められたことが並んでいるのは偶然ではありません。ヨセフによってイスラエルはエジプトに移住することになり、ヨシュアによって再びイスラエルはパレスチナに移住することになったからです。こうしてアブラハム・サラの家族の物語が完了します。神の誠実が証明されます。子どもが欲しかったのに与えられなかった老夫妻に、子孫繁栄・土地授与が約束されて数百年が経過していました。きわめて不思議な道のりをたどって、神はご自身の立てた契約を全うしたのです。

 ところでシケムでの契約を終えたイスラエルの民はどのようになったのでしょうか。31節は暗い未来をほのめかしています。ヨシュアのことを知っている長老たちのすべての日々においてはヤハウェを礼拝したけれども、その後はヤハウェへの礼拝をしていないことが暗示されています。その通りです。約束の地に定住したイスラエルの歩みは、ヤハウェの目に悪とされるものでした(士師記2章8-11節)。イスラエルの人々は、先住民の神々とヤハウェとを混ぜて、ヤハウェも一つの神として礼拝します。大国に臣従している時は大国の拝む神々も礼拝します。実にヤハウェの神殿の中に太陽・月・星などの像が置かれ、それらもヤハウェに並んで拝まれたことさえあったのです。

 わたしたちはここに教訓を汲み取るべきです。礼拝共同体であるイスラエルは、キリスト教会の原型です。カリスマ的指導者に頼る教会は、主のみを礼拝する「神の民」にはなっていません。バプテスト教会の大いなる矛盾です。会衆主義と言いながら、牧師個人の個性にあまりにも左右されてしまうことがあります。常に初心に返って、ヨシュアの立てた石(信仰告白の証人、バプテスマ時の会衆)を思い描かなくてはいけません。

 今日の小さな生き方の提案は、イエス(ヨシュア)・キリストの仲介した神と教会(イスラエル)との契約を信じるということです。それは神の声を聞く礼拝に連なり、神の民の一員になるということです。しかも礼拝に連なり続け、神の民の一員になり続けるということが求められています。その際の注意は、人を見ないで神を見ることです。優れている人に対しても、そうでないと思われる人に対しても、同じような距離を保つことです。人に期待もしないしがっかりもしない。ただ神にのみ希望をおき、ただ神にのみ本心から嘆き、悔い改める。ただ神の声のみを聞く礼拝を生涯続けてまいりましょう。