ステファノの逮捕 使徒言行録6章8-15節 2021年2月21日礼拝説教

8 さてステファノは恵みと力とに満ちて大いなる不思議と徴とを民の中で為し続けた。 9 さて自由な者たちとキレネ人とアレクサンドリア人の会堂と呼ばれている者たちの中から何人かが、またキリキアとアシアからの(何人かが)、立った。(彼らは)ステファノと共に議論をして、

 ステファノは七人の指導者の一人です。彼はやもめたちに押し上げられて、ギリシャ語話者・アラム語話者双方の賛同を得て、初代教会の指導者に選ばれました。ステファノの職務の第一は、晩餐/愛餐の段取りや(礼拝の実務)、経理や(教会管理の実務)、調整(教会運営の実務)など裏方です。先週申し上げた通りです。それだけではなく、8節にあるように使徒と同じ奇跡を民(ラオス)の中で行うこともできました(5章12節参照)。「不思議と徴」とは治癒の奇跡です。「卓(複数)の奉仕」(2節)が、単なる配膳係でもなく、また裏方だけでもないことが分かります。ステファノは使徒に並ぶ「福音宣教者」です(21章8節)。彼はギリシャ語もアラム語も自在に操る雄弁家でもありました(7章も参照)。

 9節に新しい人々が登場します。「自由な者たち(リベルティノイ)」はローマで解放された奴隷を指すと言われています。この人たちはアラム語が苦手です。ギリシャ語とラテン語を話すローマから来た人々です。帝国の首都ローマには多くのユダヤ人が住んでいました。「キレネ」は北アフリカの重要な港町・貿易都市です。イエスの十字架を代わりに担いだシモンという人がキレネ人でした(ルカ福音書23章26節)。港湾都市キレネにも多くのユダヤ人が住んでいました。「アレクサンドリア」はエジプトにある大都市です。ローマ帝国の中で二番目に人口が多かったと言われます。この町はローマ帝国内で最大のユダヤ人人口を抱えていました。ちなみに最古の旧約聖書翻訳もアレクサンドリアでなされました。キレネもアレクサンドリアもギリシャ語圏です。

 この三者が共同して、ギリシャ語話者のためのユダヤ教会堂をエルサレムに建てていたようです。全員が元々ユダヤ人であったのか、それともそれぞれの町でユダヤ人に改宗した人々なのかは分かりません(5節「アンティオキアの改宗者ニコラオ」参照)。ともかくエルサレムにおいてギリシャ語で礼拝ができるように、この人々は共同で会堂を建てました。多分ギリシャ語訳聖書を礼拝で用いていたのでしょう。現在ならば考えられない大らかさを当時のユダヤ教は持っていました。

もしかすると、この会堂にシモン夫妻や、彼の二人の息子アレクサンドロとルフォスがいたかもしれません(マルコ福音書15章21節)。ローマ16章13節によればルフォスとルフォスの母親はローマの教会の信徒のようです。キレネ人ルフォスがローマに居る理由も、ローマ・キレネ・アレクサンドリアのユダヤ教徒によって構成される会堂があったとすれば理解できます。

 もう一つのグループもいました。「キリキア」と「アシア」から来た人々です。キリキア地方は小アジア半島の付け根のあたりです。その中心都市はタルソ、パウロの故郷です。キリキアから来たユダヤ教徒たちがステファノに対して敵愾心を燃やしていたことは、当然同じエルサレムに住んでいたパウロも知っているはずです。もしかすると、このキリキアからの人々の一人にパウロ自身が入っていた可能性すらあります。パウロとステファノは直接論争していたかもしれません。アシアはおそらく小アジア半島全体というよりは、エフェソという大都市を中心にしたイオニア地方を指すと考えられます。これらの地方にもユダヤ教徒が多く、その時点で会堂が存在していたことは、この後の物語からも明らかです。キリキアとアシアから来た人々もギリシャ語を第一言語とする人たちです。

 この人々は初代教会を構成していた人々と重なります。様々な地域から来ている人々であることや、ギリシャ語を公用語として用いていること、その意味でユダヤ教の中でも左派であることが「ナザレ派」との共通項です。似通った集団ほど、競合心が強くなります。バプテスマのヨハネの教団とイエスの神の国運動が競合したように、ギリシャ語話者にも積極的に翼を広げた初代教会と、もともとギリシャ語話者であるユダヤ教徒たちが争います。エルサレム市内の縄張り争いです。彼らはステファノと議論をします。

10 そして彼らは知恵でも霊でも――彼がそれ(霊)でもって語り続けていたのだが――対抗することができないままだった。 11 そこで彼らは男たちを屈服させた。曰く、「わたしたちは彼がモーセと神への冒涜の話を語っているのを聞いた」。 12 それから彼らは民と長老たちと律法学者たちを扇動した。そして接して立ち、彼らは彼を共に掴まえた。そして彼らは最高法院の中へと連れてきた。

 ローマ、キレネ、アレクサンドリア、キリキア、アシアから来たユダヤ教徒たちは、ステファノに対抗することができません。何回も挑んだと思いますが「対抗することができないままだった」(未完了時制)のです。たった一回口げんかに負けたのが癪だったというのではなく、おそらくギリシャ語で教理論争を何回も仕掛けたけれども論破され、その度に自分たちの会堂からメンバーが初代教会の方へと移動していったのです。イエスの十字架を担ったシモン家族もその中の一人だったかもしれません。

 ステファノの言葉には「知恵と霊」がありました。知恵と霊は七人を選出する時の基準です(3節)。やはりここにも食事の世話(これはこれで重要ですが)以上の「奉仕」が七人に託されていたことが分かります。つまり、旧約聖書に基づいて、人々を言葉で説得する能力です。論敵たちはステファノには言葉・論理でかなわないことを知りました。

 そこで彼らは暴力的に解決を図ります。ステファノに冤罪をかぶせて逮捕し、最高法院から死刑判決を出させようというのです。彼の罪名は、「神を冒涜した罪」です(11節)。この罪名はよく考えられたものです。なぜならば、イエスの死刑の理由がまさに「神を冒涜した罪」だからです。最高法院は同じ理由でならば死刑判決を出しやすいはずです(マルコ14章64節)。使徒言行録の中で最高法院は「イエスの名前に基づいて教える罪」「イエスが復活したメシアであると教える罪」によって使徒たちを死刑に処することに失敗しています。だからもっと遡ってイエスと同じ罪名をステファノにかぶせたのです(14節参照)。ステファノを殺せば、自分たちの会堂にギリシャ語を用いるユダヤ教徒が増えると考えたからです。

11節「男たち」はアラム語/ヘブライ語話者でしょう。ギリシャ語で訴えても最高法院は動きません。彼らはヘブライ語を使うエルサレム住民を脅し上げ・屈服させ(11節)、「民(ラオス)」と「長老たち」「律法学者たち」(最高法院議員)たちを扇動します(12節)。

 今まで「民」は教会の周囲の好意的人々でした。11節から様相が変わります。教会に大勢の祭司たちが入って来て(7節)、「民」の性質が変わったのです。ユダヤ教右派(サドカイ派)に好意的な人々も、教会を取りまく「民」となりました。「民」の中のこれらの人々はステファノの逮捕に賛成していきます。おそらくこの人々は七人の指導者に反感を持っています。

13 それから彼らは偽証人を立たせた。曰く、「この人はこの聖なる場所と律法とに反する話を語ることを止めない。 14 というのもわたしたちは彼が以下のように言うのを聞いたからだ。すなわち、このナザレのイエスがこの場所を壊すだろう、そして彼は、モーセがわたしたちに引き渡した慣習を変えるだろう、と」。 15 そして彼へと注視して、最高法院の中に座っている全ての者は天使の顔のような彼の顔を見た。

 この場面はマルコ版イエスの裁判とそっくりです。「偽証人」(13節)はマルコ版イエスの裁判にも登場します(マルコ福音書14章56節)。また、「神殿を打ち壊す」(14節)とイエスが言ったということも裁判の席上で言われています(同58節)。注目すべきことは、この二つの要素がルカ版イエスの裁判に抜け落ちていることです(ルカ福音書22章66-71節)。「神殿を打ち壊す」という部分は、ヨハネ福音書も証言しています(ヨハネ福音書2章19節)。イエスが当局によって殺された理由の最大のものと推測されます。それをあえて抜かすことには強い意図があります。以前も、マルコ福音書に書かれている「イエスが鞭打たれた場面」がルカ福音書で抜け落ちて、使徒言行録に移され使徒たちの経験とされていることを指摘しました(5章40節)。

 著者ルカはあえてイエスの裁判の重要な要素を、初代教会指導者たちの経験にします。ルカの教会はマルコ福音書を礼拝で用いています。それを熟知しつつ使徒言行録を書いている正にその時に、イエスの受難と信徒たちの苦難を重ね合わせていくのです。その後に記したルカ福音書では、思い切ってそれらの要素を外す。こうして、信徒たちはキリストと一体化されます。「最初の殉教者」と呼ばれるステファノの物語において、特にキリストとの重ね合わせが著しいということを今の時点で確認したいと思います(7章54-60節)。

 最高法院の議員たちは、天使の顔のようなステファノの顔を見ました(15節)。使徒たちを牢から脱出させた、あの「天使」(5章19節)です。「顔」はその人自身を表す婉曲表現です。ステファノの存在が、天使のようになっているといます。説教を語る者の顔が天使のようであるということは、説教の内容と関係があります。解放を待ち望む者を解放する内容でなくては、天使の声ではありません。また解放を望まない者を頑なにする内容でなくては、天使の声とは異なります。

説教において「神の国は近づいた、わたしたちの只中にある」という福音が語られなくてはいけません。それと同時に説教において悔い改めが迫られ、生き方の転換が語られなくてはいけません。「天に栄光・地に平和」という天使の歌声は、それを望む人には福音です。「今日ダビデの町にあなたたちのために救い主が生まれた」という天使の宣告は、飼い葉桶に眠る貧しい赤ん坊を拒否する人(自分の富を背景に満腹し高笑いしている傲慢な人々)にとってはさらに救い主を信じなくさせる言葉です。ステファノの説教は、天使の声であったので、受け容れない聴衆をさらに頑固にさせました(7章54節)。わたしたちは説教というもの、福音というものを天使の声と捉える必要があります。それは自分を解放させもし、また同時に自分を頑固にさせもするのです。

今日の小さな生き方の提案はステファノに倣うことです。しかし、彼がいろいろなことに長けていたということに倣うことは至難の業です。得手不得手が誰にでもあるからです。そういうことではなく、彼の対話的姿勢に倣うということです。ギリシャ語を使うユダヤ教徒にはギリシャ語で、そしてアラム語を使う最高法院議員の前ではアラム語で彼は語ります。相手の問いに答えて天使のように愚直に福音を語ります。怒らせることかもしれないけれども誠実に語ることに倣いたいと思います。居丈高にではなく、対話をする構えで相手と同じ地平に立って愚直に隣人を解放する言葉を語り続けたいと願います。