ハランからの脱出 使徒言行録7章1-8節 2021年2月28日礼拝説教

1 さて大祭司は言った。「これらの事柄はその通りか」。 

 ステファノは逮捕され告訴され最高法院で裁判にかけられました。罪名は神殿の冒涜、律法の冒涜です(13-14節)。ここから「ステファノの説教(旧約聖書の解釈であるため)」または「ステファノの弁明(裁判の抗弁であるため)」と呼ばれる演説が始まります。この演説は、使徒言行録に収められているいくつかの演説のうち最も長いものです(2節「彼は言い続けた」未完了時制)。長い話で迷子にならないために大まかな見取りを示します。

ステファノは、「自分ではなくあなたたち最高法院こそが律法(トーラー/モーセ五書)を冒瀆している」と結論付けたいようです(51-53節)。その目標を目指して、「律法」に書かれている「脱出/救い」の物語をなぞりながら、ソロモン王が神殿を建てるまでのイスラエルの歴史を語ります。若干結論を急いでいる感じもあり、ステファノの論証がうまくいっているかどうかは定かではありません。しかし、説教者の意図を汲みながら、わたしたちも聴衆の一人として、ステファノの旧約説教を聴いていきたいと思います。批判的な学者はこの長大な演説を著者ルカの創作というのですが、あまり野暮なことを言わなくて良いでしょう。重要な教会指導者ステファノの「最後の説教」から、彼らしい聖書の解き明かしのうち、現代のわたしたちにとって重要なところを聞き取りたいと考えます。

2 さて彼は言い続けた。「男性たちよ、兄弟たちよ、また父たちよ。あなたたちは聞け。栄光の神はわたしたちの父アブラハムに見られた、(彼が)メソポタミアにいる時に、ハランに彼が住む前に。 3 そして彼は彼に向かって言った。『あなたは出て行け、あなたの地から、またあなたの親類から。そしてわたしがあなたに見せる地の中へと来い』。 4 そこでカルディア人の地から来て、ハランの中に彼は住んだ。そしてそこから、彼の父が死んだ後、彼は彼をこの地の中へと動かした、そこにあなたたちは今住んでいるのだが。

 巻末の地図「1 聖書の古代世界」を見てください。ここでの「メソポタミア」(2節)は「カルデアのウル」(創世記11章31節)を指すようです(4節も参照)。ウルはチグリス川・ユーフラテス川の最下流バビロニア地方の南、人類最古の町の一つです。創世記11-12章は、アブラハムの父親テラがウルからハランまで移住したと記しています。ハランはユーフラテス川の上流にあり、約束の地まではあと三分の一ぐらいの旅程です。三分の二はテラが脱出の旅をの主役です。そして、父テラとアブラハム・サラ・ロトはハランで別れます。テラは二百五歳の時にハランで死にます(創世記11章32節)。アブラハムは七十五歳の時にハランで主からの命令を受けて、約束の地に旅立ちます(創世記12章4節)。アブラハムが生まれたのはテラが七十歳の時ですから(創世記11章26節)。両者が分かれた時に父テラは百四十五歳で生きていたことになります。だからアブラハムに見られた主の命令には「あなたは父(テラ)の家を棄てよ」という内容がはっきりとあったのです(創世記12章1節)。おそらく両者は喧嘩別れをしています。

ステファノの説教によると、アブラハムが完全に物語の主役です。ハランに引っ越す前のウルの地で、アブラハムがウルから出るようにと命じられています(2-3節)。召命の場所がハランからウルに変えられています。また、父テラがハランで死んだ後に、アブラハムはハランから約束の地へ移動しています(4節)。こういうわけで、神の命令(創世記12章1節)から「あなたの父の家を棄てよ」が脱落します。アブラハムは父テラと何らの葛藤もなく、父の葬りという「長男の義務」も果たした上で約束の地へと目指しています。

こんな風に大胆に律法(トーラー)の重要部分を大胆に解釈して良いのでしょうか。それがステファノの戦い方なのでしょうか。ステファノはこの時聖書を手に持っていません。彼が覚えていた聖書には何が書いてあったのでしょうか。ステファノは勝手な「改竄」をしたのではなく、初代教会が用いていた聖書本文そのものが多様であったと推測します。そしてその多様性を示すことが彼の最高法院での戦い方だったと考えます。

わたしたちは初代教会が誕生の時から、多民族・多文化・多言語であったことを確認してきました。あまりに多様なので二つの公用語(アラム語/ギリシャ語)をめぐる対立すら起こりました。旧約聖書のギリシャ語訳も教会の中で当然用いられています。それ以外にもありえると思います。サマリア人たちの正典である『サマリア五書』です。現代伝わっている『サマリア五書』は、テラが死んだ年齢を百四十五歳と記しています(創世記11章32節)。ステファノの立場と同じく、アブラハムはテラの死後ハランを出ることになります。

ステファノはサマリア人と交流をし、彼の「家の教会」にはサマリア人の教会員がいたのかもしれません。あの七人が指導者となってからは、教会員は「右(祭司たち)」(6章7節)にも「左(外国人たち)」にも際限なく広がりました。その中にユダヤ人から差別されていたサマリア人もいたという推測は自然です(8章以下も参照)。「良いサマリア人の譬え話」を、神殿の祭司である教会員はどのような顔で聞くのでしょうか。イエスは祭司を批判しサマリア人を持ち上げています。ステファノはサマリア五書をも礼拝に用い、サマリア人の聖書本文を積極的に用いていたと思います。覚えるほどに。

そして男性たちだらけのユダヤ自治政府・最高法院の裁判の場面で、サマリア人のトーラーを根拠に、ステファノは「教会はトーラーを冒瀆していない」と主張します。多様なトーラー/正典があることそのものが良いことなのです。それによってわたしたちは差別を克服することができるからです。差別の克服はトーラー(神の教示)の趣旨に適うものです。神が愛だからです。

5 そして彼は彼にそこにおいて嗣業を一歩の幅でさえも与えなかった。そして彼は彼と彼の後の彼の子孫たちに、それを占有することを与えるという約束をした、彼に子どもがいないにもかかわらず。 6 さて神は次のように話した。すなわち、『彼の子孫が見知らぬ地の中で寄留者になるであろうし、彼らはそれ(子孫)を奴隷にするであろうし、彼らは四百年苦しめるであろう。 7 彼らが奴隷になって仕える民族をわたし自身が裁くだろう』と。神は言った。『そしてこれらの事柄の後に彼らは脱出するだろう。そして彼らはこの場所においてわたしに仕えるだろう』。 8 そして彼は彼に割礼の契約を与えた。また、こうして彼はイサクを儲けた。そして彼は彼に八日目に割礼を施した。そしてイサクはヤコブを、またヤコブは十二人の族長を(儲けた)。」

 ステファノの描く族長アブラハムは、徹底的に寄留の民・外国人、つまり「在ハラン/在カナンのメソポタミア人」です。アブラハムは土地を少しも所有しません(5節)。実際はアブラハムは妻サラの墓地を購入し土地を所有していますが(創世記23章)、ステファノはそこを省きます。

 またステファノはアブラハムの「敬虔な信仰」「信仰の父像」を省きます。子どもがいない時に、「あなたの子孫に土地を与える」という約束を神はアブラハムとサラにしました。いつかアブラハムとサラに子どもを授けるという意味です。アブラハムとサラはこの約束を自分たちが高齢であったにもかかわらず、息子イサクが生まれる前に信じました。神はその信を義と認められました(創世記15章6節)。旧約聖書の一つの頂点を成す場面です。アブラハムの信こそ、ユダヤ人の民族的誇りです。彼こそ「信仰の父」なのです。

 これらの主題を省くことで、ステファノは唯一無比の族長アブラハムの誇りを後ろに下げ、滅ぶべき一外国人を救い出し用いられる神を、実に神のみを前面に出し、神に栄光を帰します。「栄光の神が見られ」(2節)、「彼(神)は彼(アブラハム)に言った」(3節)、「彼(神)は彼(アブラハム)を動かした」(4節)、「彼(神)は与えなかった」「彼(神)は約束した」(5節)、「神は話した」(6節)、「神は言った」(7節)、「彼(神)は彼(アブラハム)に契約を与えた」「彼(神)は彼(アブラハム)に割礼を施した」(8節)。すべての発言は神が語ったものです。そしてほとんど全ての行為の主語は神であり、アブラハムは神の行為の対象となっているだけです。神はこれらの石ころ(アブニーム)の一つからもアブラハムを生じさせることができます。「誇るなら主を誇れ」とある通りです。

 このような「アブラハムの相対化」は「族長」(8節)という言葉の使い方にも表れています。しばしば族長はアブラハム・イサク・ヤコブにのみ用いられる肩書です。しかしステファノはヤコブの十二人の息子たちをも族長と呼びます(9節も)。三代だけが特別なのではなく、その子孫たちすべてが特別な存在であるという主張がここにあります。さらに発展させればヤコブの娘ディナについても族長と呼べるでしょう。また「母たち」であるサラ、ハガル、リベカ、レア、ラケル、ジルパ、ビルハたちもそうです。家を追い出されたエジプト人女性ハガルこそ「やもめ」(6章1節)の原型です。

 一人ひとりが「族長」「預言者」「やもめ」などの重要な肩書を持った寄留の民イスラエルの脱出という救いこそ神の導く歴史であるとステファノは強調しています。ウルからハラン、ハランからカナン、カナンからエジプトと、神が民を外国人のまま外国へと移していきます。この外国から外国への脱出の歴史に、ステファノは神の本質と神の民の本質を見ています。脱出の目的は礼拝です(7節)。「仕える」と訳しましたが、この言葉は狭い意味の礼拝の語源です。礼拝をする「この場所」を、神が民のために用意してくれるということ。これが救いです。礼拝の自由が圧迫される時、ウルでもハランでも(星辰礼拝)、カナンでも(バアルら土着の神々)、エジプトでも(ファラオの奴隷となり拝むこと)、神は神の民を脱出させ、神の民が神を礼拝する場所を与えます。

ステファノは礼拝する場所のことを、柔らかく広げて「この場所」と呼びエルサレム神殿にも会堂にも限定していません。シナイ山にもゲリジム山にも限定しません。聖霊の神を礼拝する場所は、信徒たちの家で実現しているからです。神は霊であるので、いつでもどこでも誰とでも、わたしたちは顔と顔を合わせてイエス・キリストを礼拝できます。ヤコブが掘ったスカルの井戸で、サマリア人女性がイエスを礼拝した出来事は、礼拝とは何か、礼拝する場所とはどこかについて教えています(ヨハネ福音書4章)。

今日の小さな生き方の提案は閉鎖性から脱出して多様性に開かれるということです。そのことは自分自身に頼ったり、ある一人の人にすがったりすることと正反対の生き方です。神が唯一の歴史の導き手であると信じなければ、わたしたちは多様な人間や、多様な生き方を互いに認めることはできません。あなたが嫌っているかもしれない外国人や女性も神が創られた大切な人間です。神はすべての人を、神を礼拝すべき人として創られました。わたしたちはいつでもどこでも誰とでも共に神を礼拝できます。どんな翻訳聖書を使っても良いでしょう。正典そのものが異なっていても良いでしょう。神が霊であるからです。自分の殻に閉じこもらず、開かれた世界へと移し変えていただきましょう。