フルダの言葉 列王記下22章14-20節 2021年10月10日礼拝説教

ダビデ王朝を引き継いでいる南ユダ王国末期の物語です。南王国を支配していたアッシリア帝国は弱体化していました。ヨシヤ王の治世、民族自決の機運が高まっていた頃、紀元前622年に一つの本がエルサレム神殿の中から発見されました。「律法(トーラー)の書」と呼ばれています(22章8節)。このトーラーを発見した人物は大祭司ヒルキヤという男性です。ヒルキヤは書記官シャファンにトーラーを渡します。書記官は現在の総理大臣のような地位の権力者です。祭政一致していた時代のこと、大祭司もまた「副総理」のような権力を持っていました。この二人はヨシヤ王権の中枢を担っていた人物です。二人を筆頭に「政権与党」として「国の民」がいました(21章24節・23章30節)。

緊急の閣議が開かれシャファンが王にトーラーの内容を読み上げると、王は衣服を裂いて悔い改めました(11節)。なぜならトーラーの内容が、南王国に対する神の警告だったからです。「今までの王たちは神に背いていた。その背きの罪に対して今神の怒りが燃え上がっている。しかし神を全力で愛すれば国は安泰となる」と、トーラーは語ります。トーラーは現在の申命記(の一部)だったと推測されています。ヒルキヤ、シャファン、アヒカム(シャファンの息子の「世襲議員」)、アクボル、アサヤという閣僚たちが預言者フルダのもとに遣わされます。トーラーが真正の「神の言葉」であるかどうかの鑑定を聞くためです。男性ばかりの大臣たちが、女性であるフルダの意見を聞きに行きます。彼女は神の言葉についての専門家、審議官の役回りです。

14 そして祭司ヒルキヤとアヒカムとアクボルとシャファンとアサヤは、預言者フルダ、ハルハスの息子ティクワの息子・諸々の衣服の番人シャルムの妻に向かって行った。そして彼女はエルサレムの中に、第二区の中に住み続けている。そして彼らは彼女に向かって語り、 15 彼女は彼らに向かって言った。「このようにヤハウェ・イスラエルの神は言った。あなたたちは、あなたたちを私に向かって遣わした男性のために言え。

 フルダという女性については、この箇所にしか登場しないのでよく分かっていません。旧約聖書の中で預言者という肩書を持っている女性は五人だけです。出エジプトの指導者ミリアム、士師デボラ、預言者イザヤの妻、総督ネヘミヤの競合者ノアドヤ(ネヘミヤ記6章14節)と、このフルダの五人です。

 フルダという名前の意味は「もぐら」です。彼女は生まれつき目が見えなかったのかもしれません。族長レアと同じように「目が弱い(柔らかい)」人物です。ヘブライ語本文では、彼女はシャルムという人物の妻とされています。しかし有力なギリシャ語写本によれば、フルダはシャルムの妻ではなく母親です。今回は母と採ります。というのもこのシャルムという男性が、ベニヤミン部族アナトト出身の預言者エレミヤの伯父かもしれないからです(エレミヤ書32章7節)。そうなればフルダはエレミヤの祖母になります。預言者エレミヤが王に会うことができたのも、行政官僚である伯父シャルムや有名な預言者フルダの引き立てがあってのことだったかもしれません。若き日のエレミヤはヨシヤ王に傾倒していました(エレミヤ書22章10-16節)。それはフルダとシャルムの影響によると推測します。この母・息子も「国の民」の一員でしょう。

 「諸々の衣服の番人」(14節)の地位は高いと推測します。日本語にも「服部」という苗字が残っているように、古代世界で衣服を取り扱う行政機関は重要です。経済産業省みたいなものかもしれません。シャルムが母フルダと同居していたかどうかは判然としていません。主語はフルダ(彼女)です。フルダは「第二区(ミシュネー)」というところにずっと住み続けています。「第二区」という名前から、エルサレム市街に新たに増設された地区であると推測されています。シャルムが目の不自由な母親を連れてベニヤミンの地アナトトからエルサレムに上京し、官僚の地位を得て新たな造成地区に居を構えたということも十分ありえます。

 ヨシヤ王は預言者フルダを深く信頼し尊敬しています。目の不自由な彼女を王宮に呼びつけることはしません。大臣たちを遣わすのです。当時他にも預言者ゼファニヤや、エレミヤがエルサレムにいました。青年エレミヤはフルダの孫ですからフルダよりも「格下」ですが、ゼファニヤは言論弾圧をくぐり抜けた記述預言者「民主化の闘士」です。王族の一人とも、アフリカ系とも言われる目立つ人で、文才があり数十年途絶えていた預言文筆活動を復活させた人です。それでもヨシヤ王はフルダをトーラーの鑑定役に指名しました。それはフルダがゼファニヤをもしのぐ、エルサレムに住む預言者集団の長だったからでしょう。目の見えない彼女はゼファニヤやエレミヤのように本を書くことはしませんでした。しかし、時代に対する洞察において、他の追随を許さない「力強い言葉」を持っていました。そして強いリーダーシップをもって預言者集団をまとめ上げヨシヤ王がなそうとしている政治・行政改革を支援していたのです。すなわち「発見」されたトーラーを旗印にした中央集権国家として南ユダ王国を再生させることです。

 「このようにヤハウェ・イスラエルの神は言った」(15節)。使者の定式と言われる決まり文句です。何百回とフルダが使った言葉です。ヨシヤ王のためにフルダは自らの固い信念に立って語ります。

16 このようにヤハウェは言った。『見よ、私は災いをこの場所に向かって、またその住民の上に来たらしつつある。ユダの王が読んだ本の諸々の言葉の全てを(来たらしつつある)。 17 彼らが私を棄てた代わりに、また彼らが他の神々に香を焚いた(代わりに)、彼らが彼らの手の業の全てでもって私を怒らせたゆえに、私の激怒はこの場所において燃え上がった。そしてそれは消えない。』 

 フルダはトーラーが真正の神の言葉であることを冒頭に宣言しています。ユダの王ヨシヤが読んだ本の諸々の言葉(デバリーム)を神が実現させようとしているからです。ちなみにデバリームは申命記の略称でもあります。神は心底怒っているというのです。「もしあなたが、あなたの神、主を忘れて他の神々に従い、それに仕えて、ひれ伏すようなことがあれば、わたしは、今日、あなたたちに証言する。あなたたちは必ず滅びる」(申命記8章19節)。このままではエルサレムの陥落と、エルサレム住民に対する虐殺が起こるというのです。それは敵国の軍隊を「鞭」として用いる神による神の民への裁きです。

18 そしてあなたたちを遣わしているユダの王に向かってヤハウェを求めるために、このようにあなたたちは彼に向かって言うべきだ。このようにヤハウェ・イスラエルの神は言った。あなたたちが聞いた諸々の言葉・・・。 19 『私がこの場所に関してまたその住民に関して荒廃と呪いとなるようにと語った時に、あなたの心が柔らかく、あなたがヤハウェの前より謙ったので、またあなたはあなたの衣服を裂き、あなたは私の面前で泣いたので、私もまた聞いた。』ヤハウェの託宣。 

 フルダは何度も定型句を挟みながら、つまり自分の意見も混ぜながら、ゆっくりと神の言葉を語ります。彼女はヨシヤという固有名を避けています。「ユダの王」(16・18節)という役職が重要です。およそユダの王である者は誰でも、ヤハウェを求め神の言葉を聞くべきだという主張が垣間見えます。王は王国住民全体の奉仕者であるべきですし、民は王にではなく神に仕えるべきです。「聞け、イスラエルよ」(申命記6章4節)、その代表者である王よ。

 18節の最後の一節は、一文をなしていません。フルダの言い淀みです。彼女はシャファンたちに何かを言いたかったのですが、それを止めて、預言を続けます。ヨシヤの態度をフルダは大いに評価します。シャファンが読み上げたトーラーを聞き、ヨシヤはヤハウェの面前で心を柔らかく(弱く)しました。これこそ神の民をまとめ上げる王の取るべき態度です。目の弱い(柔らかい)フルダは、ありありとその情景を見ています。ただしそれは実際の情景よりも美しく描かれています。ヨシヤは、衣服は裂きましたが(シャルムの管理下にある衣服でしょうか)、心を柔らかくしていたか、謙っていたかどうかは不明です。少なくとも彼は泣いていません(11節)。フルダは実際のヨシヤ王ではなく、理想の王の姿をここで述べています。言い淀んだ理由はこの辺りの熟考によるのでしょう。トーラーに照らし合わせれば、トーラーを聞いた王は心柔らかく謙るはずだという期待です。王が理想的な姿勢を示し神の言葉に聞くならば、神もまた王の言葉を聞き破局を免れることになるとフルダは約束します。

20 『それゆえに、見よ、私、私があなたをあなたの父祖たちの上に集める。そしてあなたはあなたの諸々の墓に向かって平和のうちに集められる。そしてあなたの眼は、私がこの場所に来たらしつつある全ての災いを見ない。』」そして彼らはその王と共に言葉を戻した。

 フルダはヨシヤ王が平和のうちに自然死すると預言しています。しかしフルダの言葉に反して、ヨシヤ王はエジプト王に暗殺されます(23章29節)。これはどうしたことでしょうか。著名な預言者、預言者の頭であるフルダが、未来を言い当てることができなかったとは。「偽預言者」は排斥されるものです。しかし彼女はそのような仕打ちを受けていません。なぜでしょうか。

 ヨシヤは神の裁きである災い(前587年のバビロン捕囚という破局)を見なません。先に殺されたからです。20節後半は当たっています。20節前半の平穏な死については、「もしもあなたが心を柔らかくし続ければ、神の前で謙っていれば」という条件付きの約束だったと推測します。並行記事である歴代誌下35章20節以降に、ヨシヤ王の死の顛末がより詳しく描かれています。歴代誌を書いた人々は、ヨシヤの傲慢さが彼の死をもたらしたと評価を下しています。与党「国の民」の一員でありながらも、預言者フルダには大臣たちにはない洞察がありました。彼女の言い淀みの根っこにあるものです。「申命記を基にする南王国再建計画は、王が傲慢になれば頓挫するだろう。ヨシヤであれ、その次の王であれ」。

 大臣たちはフルダの微妙な含意を理解せずに、「言葉(ダバル)を戻し」ます。単純な一つの言葉として、まとめて「フルダからのお墨付きが出ました」と言ったのです。ヨシヤ王は老預言者のお小言は聞きたくありません。お墨付きだけを求めていたので大臣たちが単純化した報告を喜びました。重要な警告、「王が心を柔らかくし続けなければ、謙らなければ国は滅ぶ」という諸々の言葉は伝えられないままでした。

 今日の小さな生き方の提案は、本当に自由な精神を持ち続けるということです。わたしたちは小さな存在ですが、魂は自由です。大きな者たちにかき消されそうではあります。同じ意見を強要されることもあります。「それでもわたしはこう思う」と考え言う自由を大切にすることがバプテストの遺産です。

 ところでこの批判精神は、自分が一所懸命に携わっていることがらに対してさえも当てはめなくてはいけません。フルダは国の民としてヨシヤ王権を支えていました。トーラーを基準に国を再建しようとしました。しかし、自分の中にブレーキも持っていました。「もしかすると自分たちは間違えているかもしれない」。これこそ心の柔らかで謙虚な、本当に自由な精神です。