ベレア教会 使徒言行録17章10-15節 2022年10月16日礼拝説教

10 さてその兄弟たちはすぐに夜を通してパウロもシラスもベレアの中へと送り出した。その彼らは着いて、ユダヤ人たちの会堂の中へと外出した。 11 さてこれらの人々はテサロニケにおけるよりも品が良い人々であり続けた。そして彼らは全ての熱意と共にその理を受けた、これらの事柄がその通りであるかどうか日ごとに諸聖句を吟味しつつ。 12 実際それだから、彼らのうちの多くが信じた。そしてギリシャ人の身分の高い女性たちと男性たちの少なくない人々が(信じた)。 

 テサロニケ教会の教会員たちは、教会指導者のヤソンが釈放されるとすぐに、おそらくその夜にテサロニケからベレアにパウロとシラスとテモテを送り出します(10節)。10節はパウロとシラスしか挙げていませんが、15節を見るとテモテも一行に含まれていたことは明らかです。今までの記述においてもしばしばテモテは省略されていました。おそらくテモテが若かったから著者に軽んじられているのです。わたしたちは使徒言行録を常に補って読まなくてはなりません。そしてそのような補いは教会生活でも日常生活でも必要です。省かれがちな人の存在を省かない・軽んじない・無視しない癖をつけたいものです。その行為は人間の品位に関わる問題です。

 さらに言えば「その兄弟たち」(10節)と呼ばれるテサロニケ教会員たちは、14節にも登場し、アテネまでもパウロに同伴しているようです。「その兄弟たち」は、もしかするとヤソンと共に逮捕され釈放された「幾人かの兄弟たち」(6節)なのかもしれません。いずれにせよベレア伝道は名前の知られた三人だけではなく、匿名の二人以上のテサロニケ教会員も関わっている出来事でした。このことも省かずに覚えておきたいと思います。教会を成り立たせるものは無名の信徒たちによる、地道な毎週の礼拝行為です。パウロとシラスとテモテの放浪の旅を支えたのは、名前の知られない数多くの定住の信徒たちなのです。ベレアまでの道をよく知っているテサロニケ教会員の信徒が一肌脱ぎ、仕事の都合をつけて三人に同伴し、ベレアでの伝道活動と日常生活を支えたのでしょう。

 ベレアはテサロニケから80km西にある大都市で、そこにユダヤ人が住んでいたことは碑文によって知られています。「夜を通して」(10節)も80km先に到着することは不可能です。二日ほどかけて到着したことと思います。そして到着してすぐに彼らはユダヤ人たちの会堂を訪れます。テサロニケの時と異なり「安息日」についての言及がありません。一行が訪れたのは平日だったのかもしれません。11節「日ごとに諸聖句を吟味しつつ」とあることからも、ベレアでの一行の伝道活動は一週間に一度の安息日礼拝に伴う聖書解釈(説教)ではなさそうです。「会堂の中へと外出した」(11節)も、テサロニケにおける「パウロのための慣例に従って、彼は彼らに向かって入って来た」(2節)と異なる表現です。安息日礼拝の時に聖書解釈をたたかわせるというパウロの慣例に従わない行為がここでなされています。

 つまりベレア伝道を「テサロニケ伝道のコピペ(安易な焼き直し)」とみなしたり、「ルカの創作フィクション」とみなしたりはしない方が良いのです。テサロニケ教会員を含む一行は、異なる手法をもってベレア固有の教会形成に努めました。彼らは正統ユダヤ教徒と神を畏れるベレア住民の「多く」(12節)をすぐに会堂から切り離させ、バプテスマを授け「身分の高い女性たち」の自宅を「家の教会」とし、そこで毎日聖書研究を行ったのです(12節)。なお、文法上「身分の高い」は「女性たち」のみを修飾し、「男性たち」にはかかりません。広い自宅を持つ女性信徒の家を用いたベレア教会では、ギリシャ語訳旧約聖書の「諸聖句(複数形)」が毎日解釈され、さまざまな角度からさまざまな聖句が十字架と復活のイエス・キリストを証言しているかどうかが吟味され続けました。ペンテコステの前に120人の老若男女が行っていた行為と同じことがベレアの教会で行われていたのです。

 一行が伝道・教会形成の手法を変えた理由は、ベレアの会堂にいたユダヤ人たち・神を畏れる人たちの有り様が、テサロニケの人々と著しく異なっていたからです。「これらの人々はテサロニケにおけるよりも品が良い人々であり続けた」(11節)。テサロニケ教会員がそこにいたので、ベレアの会堂の人々がテサロニケの会堂の人々より品位の高い人々であることがはっきりと分かりました。彼ら彼女たちが全ての場面で品性を保つ人々であったので、「彼らは全ての熱意と共にその理を受けた」(11節)のです。イエスが旧約聖書の神ヤハウェ・「主(キュリオス)」であるということ、このキリスト救い主を信じることによって「全ての人が神の子だ」と知ることができること、ギリシャ人もユダヤ人もない、男も女もないということ、身分の高い低いもないということ、これが福音という「理(ロゴス)」です。

 パウロたちはベレアの会堂に集う人々の品位の高さに打たれたのでしょう。この人たちならば真っ向から話しても聞いてもらえると確信し、「ナザレ派に転向しませんか」と率直に勧めたのでしょう。それが多くの品位あるユダヤ人・非ユダヤ人求道者に受け入れられ、ベレアの会堂から何の苦情もなく、ナザレ派の家の教会が立ち上がります。正統ユダヤ教会堂から見れば大きな損失を伴う分裂です。しかし彼らは品位を保ってナザレ派を攻撃しません。そして家の教会でも、ユダヤ教正統の会堂に集う人々を攻撃しません。

 むしろ彼ら彼女たちは旧約聖書に全ての熱意を傾けて毎日向き合います。そこで多くのイエス・キリストに出会います。正統会堂ではなかった信仰生活です。品位のある人々は、聖書に何が書いてあるか、そしてあなたはそれをどう読むかを、楽しみます。旧約聖書の中にイエス・キリストを発見します。「理(ロゴス)」を深く理解します。それによってさらに己の品性を保つことができます。ベレアの教会員は毎日の聖書研究によって、愛・喜び・平和・寛容・親切・善意・誠実・柔和・自制という聖霊の実を結んでいきます。具体的にはそれは正統ユダヤ教徒の共存です。

13 さてテサロニケからのユダヤ人たちはベレアでもパウロによって神の理が告げられたと知った時に、彼らはそこにも来た、群衆を動揺させつつまた扇動しつつ。 14 さてすぐにその時パウロをその兄弟たちは海に接するまで行くために送り出した。シラスもテモテもそこに残った。 15 さてパウロの傍らに立ちつつ彼らはアテネまで連れ出した。そしてできる限り早く彼のもとに彼らが来るべきとの、シラスとテモテに対する命令を受け取って、彼らは立ち去った。

 「神の理」(13節)は品位の無いテサロニケの会堂に集う人々をさらに下品な行為に駆り立てます。福音は分水嶺のようなものです。寛容ではない人は、寛容であるようにという教えを嫌い、さらに不寛容になります。パウロ・シラス・テモテ・テサロニケ教会員若干名がベレアに移動して、ユダヤ人会堂の勢力を削いだことをテサロニケのユダヤ人たちは知ります。ベレアの会堂の人々は特に恨んでいないのに、テサロニケのユダヤ教徒たちが激怒します。そして遠く80km先のベレアまで来て、ベレアの非ユダヤ人住民を群衆化させて騒ぎ立てたというのです。しかしベレア教会に動揺は一切ありません。

 同行していたテサロニケ教会員たちの反応は俊敏です。二回目の事態ですから、すぐに逃げ出す手はずを整えます(14節「すぐにその時」)。内陸のベレアから港町ピュドナまで脱出したのです。この時、シラスとテモテがベレアに残ったのか、それとも港町に残ったのか、本文は曖昧です。「そこに」がベレアとも(13節)、「海に接する」港町とも解しうるからです。文脈からは「その兄弟たち」と三人は一緒にベレアから脱出と考えた方が良さそうです。ベレアに残る人たちには漏れなく身の危険があるからです。

 テサロニケの信徒への手紙一3章1-2節を見ると、やはり三人ともに脱出したように思えます。この手紙はアテネからパウロとシラスによって書かれました。そしてテモテが手紙をテサロニケ教会に運ぶ役を担っています。この書簡の情報から出来事を再構成してみます。三人はデルベから港町まで一緒に逃げ、シラスとテモテは港町に残り、パウロと「その兄弟たち」だけがアテネに行きます。船の空き人数の関係でパウロまでしか乗れなかったのでしょう。アテネ行きを主導したのは「その兄弟たち」です。そこでテモテやシラスよりも優先して彼らは船に乗り込み、パウロを護衛し「連れ出し」ます(15節)。そしてアテネにはパウロだけが残り、「その兄弟たち」に伝言が託され港町に帰ります。「すぐに自分のもとに来るように」という伝言です。「その兄弟たち」はテモテとシラスに伝言を告げて、テサロニケに帰ります。伝言を受けたテモテとシラスはアテネでパウロと落ち合い、テサロニケ前書をテモテに託したのでしょう。さらにシラスも何らかの理由でテサロニケに行きテモテと合流し、18章で二人がコリントでパウロと落ち合うということになったと推測します。このような頻繁な行き来を円滑にするためには、船を用いたと思います。ますます、内陸のデルベにテモテとシラスが残っていたとは思えません。

 上記の再構成は、テサロニケ教会員やテサロニケ教会の重要さを浮き彫りにします。新約聖書の最古の文書がテサロニケの信徒への手紙一であることは偶然ではないでしょう。重要なテサロニケ教会宛ての手紙だから大切に保存され他の教会にも閲覧され、礼拝に用いられ聖書となっていったのでありましょう。彼ら彼女たちは、デルベ伝道もアテネ伝道も主導している立役者です。

一般に「パウロの第二回伝道旅行」と称され、パウロのみに脚光が当たりがちです。使徒言行録の著者ルカにもその傾向はありますが、しかし、丁寧に読んでいくとパウロが一人で何かをなしたというように使徒言行録は言っていません。パウロやシラスやテモテを匿い、持ち運び、連れ出し、介抱し、護衛し、宿らせ、自宅を貸し出し、彼ら無しでも着実に教会を形づくった信徒たち。パウロらの伝道方針や伝道方法や進路や教会形成のあり方を変更させた求道者たち。パウロの言葉を伝言したり手紙を運んだり伝承し続けた同労者たち。そのような無数の匿名の人々が、初代キリスト教会の歴史を形づくった主人公なのです。この人々の品位ある毎日の聖書研究と祈り、毎週の礼拝と賛美こそ真に注目すべきこと、真に模範とすべき行為です。

今日の小さな生き方の提案は、ベレア教会員にならって品位を保ち品性を磨くことです。品性は能力とは関係ありません。職歴や学歴とも関係ありません。身の周りに起こる出来事をすべて適切な距離で受け止めることです。雑然として同時に起こる多くの出来事を、適切な位置に整理することです。緊急に対応すべきこと/じっくり考えるべきこと、無視すべきこと/憤るべきこと、対応すべきこと/巻き込まれる必要のないこと、福音という理に照らして日常の出来事を位置づけて、丁寧に生きることです。混乱した時、イエスならどうするか、聖書を読み直し、整理をしましょう。怒り/悲しみ/苦しみ/恨み/後悔/自責、これら混乱の中で混乱により混乱に勝る品性を獲得しましょう。