ヤコブの葬儀 創世記50章1-14節 2020年8月2日礼拝説教

1 そしてヨセフは彼の父の顔の上に落ち、彼の上に泣き、彼に口づけし、 2 ヨセフは彼の奴隷たち・かの癒す者たちに彼の父をミイラにするようにと命じ、かの癒す者たちはイスラエルをミイラにし、 3 四十日が彼のために満ち――なぜならミイラにする日々はこのように満ちるからだ――、エジプトは彼のために七十日泣き、 4 彼の(ために)泣くことの日々が過ぎ、

 ヤコブが息を引き取った時、ヨセフはすぐさま周囲の者たちにエジプト流の葬儀の準備を命じます。エジプトでは死者をミイラにします。通常の工程ではミイラにするために七十日が必要だったそうです。3節後半の「死者のために哀悼する期間・七十日」は、ミイラ完成のための七十日を指しているかもしれません。3節前半の「四十日」は象徴的な意味にとり、「完全な長さ」を表すと解します。エジプトの総理大臣であるヨセフは、ヤコブの意思はともかく、どうしてもエジプト流の葬儀をしなくてはなりませんでした。政治家としての自分の威信にかかることがらだからです。

 エジプト人は死後の世界に身体が必要と考えていました。そこでなるべく生身の状態に近いかたちで防腐処置を施し、遺体をミイラにします。身分の高い人物の場合は、取り出した内蔵を専用の壺に小分けして保存したそうです(心臓以外)。ナイル川から湧き出る天然炭酸ナトリウムに漬け込み、その後乾燥させ(ここまで五十二日間)、包帯を巻くのだそうです(十八日間)。七十日というのは崇拝されていたシリウス星が夜空に現れる期間だそうです。ミイラが完成するまでの七十日間、死者は神シリウスに出会い質問攻めに逢い、永遠の命にふさわしいか天秤にかけられます。心臓が「真実の羽」よりも軽ければ合格です。

 エジプトの信仰・風習・文化についての意見を、ヤコブは聖書の中で何も語っていません。心から賛成していたとは到底思えません。しかし埋葬方法はヤコブの遺言の中身ではありませんでした。彼はただマクペラの洞穴に埋葬することだけを命じたのでした(47章29-31節、49章29-32節)。

 ヤコブは多分本人にとって不本意な仕方でミイラにされました。ヨセフの妻子以外の親族は、奇妙な感覚をもったことと思います。ヘブライ人たちは遺体の状態とは関係なく、死者は弱い存在になってシェオル(陰府)という場所に行くと信じていました。シリウスという星も崇拝の対象ではありません。アブラハム・サラ以来、この一族はメソポタミアの天体崇拝を拒絶してもいます。ヤコブが伯父ラバンの家を出たのも多分に天体崇拝への批判があったことでしょう。そのヤコブをミイラにする必要はありません。兄弟たちはすぐに遺体をマクペラの洞穴に運び、先祖伝来の墓に父ヤコブを埋葬したかったことでしょう。しかし、ヨセフに従わざるをえません。紛れもなくヨセフの政治力のおかげで一族全員が救われたから、ヨセフの顔を立てなくてはならなかったのです。そして父ヤコブはヨセフにだけ特別に一対一で根回しをしていたからです。

4 ヨセフはファラオの家に向かって語った。曰く、「どうか、もしも私が恵みをあなたたちの目に見出すのならば、どうかあなたたちはファラオの耳の中に(次のように)言って語ってくれ。 5 私の父は私に誓わせた。曰く『見よ、私は死につつある。私が私のためにカナンの地に掘った私の墓地に、そこへとあなたは私を埋葬せよ』。そして今ぜひ私は上りたい。そして私の父を私は埋葬したい。そして私は戻りたい」。 6 そしてファラオは言った。「あなたは上れ。そしてあなたあなたの父を、彼があなたに誓わせたとおりに埋葬せよ」。

 ヨセフは間接的に複数の人(あなたたち)を介してファラオに自分の願いを告げます。奇妙です。ヨセフは直接ファラオに会い、さまざまな意見を言えるはずです。「王位」以外では、エジプトの最高権力者なのですから、直接ファラオに依頼すれば良いはずです。この件に関する非常に慎重な姿勢が見えます。周囲の他の閣僚級の重臣たち(たとえばポティファル)の口を通してファラオを説得しようというのです。

 その理由は五人のきょうだいとファラオ、さらに父ヤコブとファラオの面談にあるのだと推測します(47章1-12節)。ヨセフは、きょうだいとヤコブがファラオの気分を害するようなことを仕出かしたと思っています。羊飼いを忌み嫌うファラオの前で、髪も髭も伸び放題のままわざわざ「自分が羊飼いである」と自己紹介するなんて。また現人神ファラオにヘブライ人流の口づけをし祝福するなんて。「その父の葬儀のためにきょうだいたちと共に自分が職務を放り出してエジプトを空けることをファラオは許さないかもしれない」。政治家ヨセフは慎重にことを進めます。ここでファラオがカナンでの埋葬を許さなければヤコブの遺言を守れなくなります。父や兄弟の意思に反してエジプト流のミイラにしたことも、ファラオの機嫌を損ねないための配慮でしょう。

5節後半の「そして今ぜひ私は上りたい。そして私の父を私は埋葬したい。そして私は戻りたい」は、三つの願望を別々に三連続で語るという、非常に強い言い方です。1-4節が多くの動詞を軽く連ねているのと対照的です。強く「わたしは・・・したい」と言いながら、他人の仲介を頼るヨセフに、ある種の気の弱さを感じとります。部下であり同僚である閣僚たちは、ヨセフの強い願いをうまくファラオに伝えました。「どうも自分からは言い出しにくいようですよ」と。ファラオは、おそらくヨセフを呼びつけ、直接ヨセフに言います。「あなたは上れ」(6節)。

ヨセフの政治的立ち回りがうまく機能しているように見えます。しかし直後にヨセフが兄弟たちから「人格的に疑われている」ところも見ると(15節以降)、兄弟たちはこのヨセフの立ち居振る舞いに不安を感じたと思います。カナンの地における埋葬という遺言を守ることと、父の意に反してミイラにすることは、取引可能なことなのでしょうか。譲れない線はどこなのでしょう。

7 そしてヨセフは彼の父を埋葬するために上り、ファラオの奴隷のすべて、彼の家の長老、またエジプトの地の長老すべてが上った。 8 そしてヨセフと彼の兄弟の家と彼の父の家のすべては、彼らの小さな者たちと彼らの羊と彼らの牛だけ(を)、ゴシェンの地に残し、 9 戦車も騎兵たちも上り、かの陣営は非常に重くなり、 10 彼らはヨルダン川を渡ったところにあるゴレン・アタドまで来、そこで非常に大きくかつ重い悲嘆(で)嘆き、彼は彼の父のために七日の喪を行い、 11 その地の住民カナン人はゴレン・アタドにおける、かの喪〔エベル〕を見、彼らは言った。「これはエジプト〔ミツライム〕に属する重い喪」。それゆえに彼はその名(を)、ヨルダン川を渡ったところにあるアベル・ミツライムと呼んだ。 

 ヨセフの挙行する葬儀は国威発揚のために用いられました。軍事パレードです。さらに兄弟たちの疑惑は募ります。閣僚たちに頼んだから付け加わったのか、それとも、ヨセフ自身の発案なのかは分かりませんが、ファラオの家(宮廷)の重立った人々がすべてカナンの地にくりだし、戦車も騎兵もその葬儀に参列したというのです。カナンの地(現在のパレスチナ地域)は、エジプト・メソポタミア・小アジア半島の三方面の大国から、常に狙われています。総理大臣の父親の死を、政治利用して軍事的支配権をカナンの地で確立しようという意図が見えます。「エジプト軍はこんなに強大なのだからカナンの地の人々は、エジプトにひれ伏せ」というわけです。

 「ゴレン・アタド」(11節)がどこにあったのかは未だ明らかではありません。しかし、ヨルダン川東岸のどこかでしょう。この場所はマクペラの洞穴とはかなり距離がある別の場所です。ヘブロンというヨルダン川西岸(死海の西側)にマクペラの洞穴があるからです。エジプト軍は埋葬場所を一旦通過して、埋葬場所とまったく関係がない場所まで行きます。わざわざヨルダン川を西から東に渡って、東岸地域の支配を得ようとして軍事パレードを行っているのです。エジプトの馬はヨルダン川を渡れるのだぞという威圧です。

 カナンの住民はそれを見て「非常に重苦しい」と感じます(9・10・11節)。「重い」という単語は、「栄光」「尊敬」「肝臓」と同根です。ミリタリーファンは大国の栄光に煽られ絡め取られたかもしれません。しかし飢饉後の貧困にあえぐ人々は、エジプト国家に嫌悪感を募らせます。肝臓は感情を司ります。「自分たちはエジプトに属したくない」。そしてそれはヨセフの兄弟たちも同じです。父の葬儀が国家に利用されているのではないか。それを指揮する総理大臣が自分の兄弟ヨセフであるとは。不信感が重苦しく湧いてきます。

12 彼の息子たちは、彼が彼らに命じたとおりに、そのように彼のために行い、 13 彼の息子たちは、彼をカナンの地へ持ち上げ、彼をマクペラの畑の洞穴に埋葬した――その畑を、マムレの面前のヘト人エフロンから墓地の所有地のために、アブラハムは買っていた――。 14 そしてヨセフはエジプトへと戻った。彼と彼の兄弟たちと彼の父を埋葬するために彼と共に上った人たち。彼の父を彼が葬った後で。

 12・13節の主語は、「彼(ヤコブ)の息子たち」です。今までは総理大臣ヨセフが指揮する国葬でしたが(7・10節)、この部分だけヨセフが主語ではありません。12節になってやっとヘブライ人の風習にあった葬儀・家族葬を行えたということでしょう。遺体がミイラになっている点が通例ではありませんが、家族の間だけでマクペラの洞穴への、ヤコブの埋葬が完了します。

14節の構文上、「彼の兄弟たちと彼の父を埋葬するために彼と共に上った人たち」の部分は浮いています。もしかすると後の付加かもしれません。そうであればヨセフは軍隊付き国葬を仕切った後に、自分だけエジプトに帰った可能性があります。「しかしヨセフ自身は、彼の父を彼が葬った後でエジプトへと戻った」という翻訳可能性です。国家戦略的に重要なゴレン・アタドでの七日間に渡る軍事パレード兼国葬は終わったので、ヨセフは閣僚たちと軍隊を率いてエジプトに帰り、その他の兄弟姉妹たちに父ヤコブの埋葬を「命じた」かもしれないということです。ヘブライ人羊飼いの一族とは一線を画す態度です。兄弟姉妹たちはヨセフの行動にさらに不信を感じます。

今日の小さな生き方の提案は、葬儀とは誰のためにあるのかを考えるということです。プロテスタント教会にとって教会で行う葬儀は救いの条件ではありません。だから葬儀は亡くなった人の救いのために行うものではありません。もちろん葬儀は亡くなった人の遺志を最大限尊重して行うべきではありますが、葬儀を行う目的の中心は遺族や亡くなった人の死を悼む人のためにあります。国家のために利用される葬儀はヤスクニ思想と同じです。教会や会社やその他の団体のために利用される葬儀も、本来の目的と逸れます。遺された家族・親しい者たちがみんなで「ここに居て良かった」と思える葬儀が良いのです。その点でヤコブの葬儀は反面教師です。教会が先頭に立って行う葬儀が、聖書の示す「良いもの」となるかどうかは参列者たちの心からの哀悼を引き出し、参列者たちに対して真の慰めが与えられるかどうかにかかっています。わたしたちの歩みを真摯に振り返りたいと願います。