ユダの死 使徒言行録1章12-19節 2020年9月6日  礼拝説教

12 そこでオリーブと呼ばれる山からエルサレムの中へと彼らは戻った。そこはエルサレムに近い。それは安息日の道のりを持っている。 13 そして彼らが入った時に、彼らは彼らが宿泊し続けている上の部屋の中へと上がった。ペトロとヨハネとヤコブとアンデレ、フィリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルファヨの(子)ヤコブと熱心党のシモンとヤコブの(子)ユダも、 14 彼らすべては、女性たちも共に、イエスの母のマリアも、彼の兄弟たちも共に、同じ精神で祈りに固着し続けていた。 

 イエスの昇天後、ガリラヤの人々はエルサレムに戻ります(12節)。安息日に歩ける距離は900メートルほどですから、オリーブ山はエルサレムから非常に近い道のりです。彼らは定宿の「上の部屋」に上ります(13節。ルカ22章12節)。身を隠すためでしょう。大勢で大きな部屋に雑魚寝をしている状態です。死刑囚の弟子たちがエルサレムに残り続けることは危険な行為です。理解のある宿屋のおかげで潜伏させてもらっていたのです。

13節に十一人の男性の名前が挙げられています。ルカ福音書6章14-16節に「十二使徒」の一覧があります。イスカリオテのユダを除いた十一人の名前が正確にそのまま記載されています。「ヤコブの子ユダ」というのはルカ文書だけの呼び名です。ルカはきちんと照合しています。しかし、本日の箇所と一部順番が異なっています。ルカ版では、ペトロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネです。アンデレが格下げされ、ヨハネが格上げされています。使徒言行録においてはヨハネの方がアンデレよりも格上であることを示しています。

 十一人以外にもいます。「女性たちも共に」とあります(14節)。西方写本によれば「子どもたち」もいます。子どもである弟子もいたということです。「女性たち」を「妻たち」と解釈するならば、それは十一人の男性たちの妻たち、またその子どもたちです。彼らは家族連れでガリラヤからエルサレムまで従ってきたわけです。ペトロが結婚していたことはよく知られています。他の者たちにも家族を連れている人がいたかもしれません。あるいは血縁関係ではなく、「孤児」「やもめ」「寄留者」といった人々も混じった「群衆」ochlos(15節)であったかもしれません。

そして、「イエスの母のマリア、彼(イエス)の兄弟たちも共に」いたというのです。母マリアは「やもめ」でもあり、復活の証人でもあります(ルカ24章10節)。かつてイエスの活動に大反対をして、ナザレに引き戻そうとした母マリアや兄弟たちも、この時点では弟子となっていました。イエスの兄弟たちの中で弟ヤコブは初代教会の最高権力者へと上り詰めることになります(15章)。使徒言行録においては重要な人物なのでここで紹介しておいたのでしょう。

イスカリオテのユダがいなくなった後、「十二人」が流動的になっています。今までも実は成人男性十二弟子以外の弟子たちはいました。いたのだけれども無視されていました。女子どもは数に入れられなかったのです。しかし、教会というものが初めて設立されるとき、片隅に追いやられていた人たちが前に出てきます。常に頂点にいたかのように思える人が引きずり降ろされます。高低の交代。それがルカの描く教会の本質です(ルカ1章47節以下)。

女も男も子どもも大人も、みな同じ精神で祈りに固着し続けていた。これもまた教会の本質です。祈りの真ん中には旧約聖書があったと推測します。

15 そしてこれらの日々において、ペトロは兄弟たちの真ん中に立って、彼は言った。その時、およそ百二十と同定できる名前の群衆がいた。 16 「兄弟の人々よ、イエスを逮捕した者たちのために道案内をしたユダについて、ダビデの口を通して聖霊が予告していた書を満たすことが(ある期間)必要だった。 17 というのも彼は私たちの中に数えられていたからだ。そして彼はこの奉仕のくじを割り当てられていた。」 

 イエス昇天後一週間ほどそのような日々を過ごしていたのでしょうか。ペトロが百二十名ほどの男女入り混じった共同体の真ん中に立ち意見を述べます。百二十という数字は、十二の十倍ですから象徴的な意味もありえます。つまり実際の人数とは異なるかもしれない。ただし、この保育室ぐらいの広さがあれば何とか大人子ども百二十人が入れますから、実際の人数と捉えても良いでしょう。みんな祈っています。祈りの内容は「聖霊よ、来てください」というものです。しかし中々聖霊は来ない。来たという実感がわかない。そのような日々の中、ペトロが思いつきます。ただの思いつきではありません。彼は旧約聖書を読んで探していました。今の状況は何にたとえられるのか。聖書は何と言っているのか。自分はそれをどう読むのか。

 エルサレムにはギリシャ語訳旧約聖書が売られていたと思います。エチオピアの宦官が購入できたのですから(8章)。もしかするとヘブライ語の巻物の書き損じだとか、会堂で使わなくなった古い旧約聖書とかも出回っていたかもしれません。今で言う外典や偽典がくっついたものや、逆にいくつかの書が欠落したものもあったでしょう。アラム語敷衍訳もありえます。ペトロたちは何らかの聖書をもって、イザヤ書53章の苦難の僕がイエスであるという贖罪信仰にたどり着いているのですから、この期間も聖書を読んで祈っていたはずです。

 ペトロはユダについて考えていたのです。なぜイエスはユダを弟子・使徒としたのか。最後の晩餐まで居続けたユダが、なぜイエスを裏切ったのか。エルサレムでなぜ土地を買ったのか。その土地でなぜユダは非業の死を遂げたのか。このユダを欠く「十一人」で良いのか。問いを持ち出して考えながら読み、詩編に行き当たります。詩編のことを「ダビデ五書」とも呼びます。創世記から申命記までを「モーセ五書」と呼ぶことから、また、詩編が五巻によってなることから生まれた呼び名です。だから、詩編全体の著者をダビデに見立てる言い方がありえました。「ダビデの口を通して」とは詩編という意味です。詩編の具体的箇所については来週取り上げます。ペトロの姿勢で大事なことは、旧約聖書が彼らの状況を解決する書物であるという理解です。「正典」(神の言葉)というのは、信徒にとってそのような本です。

 こうしてペトロたちが詩編までは少なくとも正典として認めていることが分かります。実は紀元後30年の段階では、旧約聖書の範囲は定まっていませんでした。五書だけが最大公約数の正典でした。サドカイ派は五書だけを正典と認めていましたが、ファリサイ派は預言書も正典と考えています。紀元後70年になって初めて詩編以降も正式に正典とされます。ペトロたちの持っていた聖書には詩編が付いていて、ペトロはそれを神の言葉として信じています。

 ペトロはユダの奉仕diakoniaについて、興味深い証言をしています。ユダは十二弟子の中で会計担当だったのですが、それはくじで割り当てられたものだったというのです(17節)。以前、ユダは仲間に信頼されていたから会計を任されていたと説明しましたが、そういう能力主義で奉仕をしていたわけではないというのです。「くじ」はkleronという単語の直訳です。「任務」(新共同訳)とするよりは次の物語との関係でより良いと思います。ここにも教会の本質が見えます。奉仕は誰がやっても良いということです。くじ引き、抽選の意義については次週詳しく取り上げます。

改めてペトロたちの思考回路をまとめると次のようです。彼ら彼女たちは困ったときに聖書に立ち戻って神の意志を尋ねて一つになって祈ったのです。その精神で共通している群れでした。聖書の中にユダについてどう考えるべきかが記され、ユダのいなくなった後の解決も書かれているはずだと信じて読んでいるのです。旧約聖書に対する信頼をわたしたちは学び取れます。

18 ところで、この男性は不正の報酬により土地を購入した。そして(彼は)頭から落ちて、彼は真ん中で破裂した。そして彼の内臓が全て注ぎ出された。 19 そしてそれはエルサレムの住民すべてに知られた。その結果その土地は彼ら自身の言葉でアケルダマクと呼ばれた。それは「血の土地」である。

 18-19節がペトロの発言の中に入るのか、それとも著者ルカの注意書きなのか学説は揺れていますが、後者の注意書きととります。「彼ら自身の言葉」(19節)という言い方はギリシャ語話者のルカの書いた部分でしょう。ここでは、エルサレムに住んでいた人々や、祭りの巡礼のために滞在していたりした人々の、ワイドショー的な情報が紹介されています。

 師匠イエスを逮捕させることで報酬を得たユダが、エルサレムに土地を買ったけれども、その土地で死んだというのです。しかも死に方が尋常ではなく、頭から落ちて体が破裂して内臓が飛び出たという事故死だった。土地に血が大量に流れ出たので、「血の土地」と呼ばれたのだそうです。いわゆる「事故物件」の噂がエルサレムを駆け巡っていました。

 これは多分最古のユダの最後についての言い伝えです。マタイ福音書は十字架の直前にユダが自ら首をつって死んだと伝えています(マタイ27章2節以下)。十字架前のユダの自死を伝えるマタイと、ペンテコステ前のユダの事故死を伝えるルカ文書とは矛盾します。マタイにはユダおよびユダヤ人を悪者に仕立てる傾向がありますので、ルカの方が史実に近いでしょう。つまり、ユダはペンテコステの直前まで生きていて、イエスの復活の噂も聞いていたのです。復活のイエスはユダを待っていました。しかし、ユダは最後の晩餐をしたあの宿屋に戻ってきませんでした。裏切りを後悔していないからです。

 ルカ版のユダは確信犯です。キルヤトというユダヤ地方出身の彼は、念願だった首都エルサレムの土地を買い家を建てます。その新居で不慮の事故に遭って死んでしまいます。イエス昇天後のことだと思います。「どうも師匠を売り飛ばした罰が当たって死んだようだ。ひどい死に方だったそうだ。あの土地は『血の土地』だね。誰も買い手がつかないだろう」と首都住民たちは無責任に、その情報を消費して喜んでいたのでしょう。

 噂を聞いたペトロはこの出来事について思いめぐらします。確かにお金に名前は書いていません。どんな手段で手に入れても、誰からもらおうと同じ価値です。「義人イエスを売り飛ばす金、神殿貴族たちからの汚い金、それで土地を買い家を建てても良いじゃないか。悪魔にひれ伏して財を得て、世界中を見下ろしても良いじゃないか」。ユダの思想と生き方に、ペトロは強く反対します。聖書はそれを「不正」adikia(18節)と言っているからです。ペトロは、ユダのような生き方に「否」と言い切れる交わりを作ろうとします。教会です。

 今日の小さな生き方の提案は、聖書に問いながら祈るということです。その精神を共有し、そこを共通の基盤に持ちたいと願います。間違えを悔い改めなかったユダ。高みを目指し自己肥大してしまったユダ。仮に事故に遭わなかったとしてもそれは不幸な人生です。不正を開き直って改めないからです。ペトロは大きな不正を犯しましたが、悔い改め聖書に立ち返りました。女性も子どもも一緒になって、仲間と共に事態打開のために祈りました。そうして低みを目指して、くじ引きで代表を決めるという解決が示されるのです。最善策だったかは微妙です。しかしその誠実さが群れを引っ張ることとなります。