リストラで 使徒言行録14章8-13節 2022年4月3日礼拝説教

隔週で使徒言行録を少しずつ読み進めています。二週間前の話の続きです。バルナバとパウロという二人の使徒(キリスト教を布教する教会指導者)が、イコニオンという町を追い出され、リストラという町に来た時の逸話です。地名の「リストラ(Lystra)」は現代日本語の「リストラ(restructureの略)」とは異なります。どちらの町も小アジア半島のアナトリア高原に位置する町です。イコニオンは大きな都市ですが、リストラは比較的小さな町です。両者の距離は約40kmほどですから古代人の健脚ならば一日の旅程でしょう。

バルナバとパウロは新しい事態に直面します。物語は新しい局面を迎えています。今までの「成功物語」とは異なります。本日は途中で終わりますが、リストラという町での布教活動は全体として失敗だったと言えます。簡単に言うと「ユダヤ教ナザレ派(後のキリスト教)」の「家の教会」は、リストラで設立されなかったと思われます。

二人にとって今までの方式が全く通用しない「失敗物語」がリストラで起こったことです。新年度を迎えるわたしたちが学ぶべきことは成功ではなく失敗です。いわゆる「失敗学」のように、過去うまくいかなかった事柄にこそ着目することが必要だと思います。成功から学ぶことは少ないのですが、失敗からこそ多くを学ぶことができます。そのように失敗を直視する人のみが、ある出来事を「成功/失敗」と意義付けること、定義分けることができるのです。

8 そしてリストラにおいて、とある足の不自由な男性が座り続けていた。彼の母の胎より足に障がいのある者、その彼は一度も歩いたことがなかった。

 ここで注目すべきは二人が「会堂」に行っていないことです。会堂(シナゴーグ)とはユダヤ教正統の用いている礼拝施設のことです。今までバルナバとパウロは、必ず真っ先に会堂に行き、会堂でナザレ派の教えを語る機会をいただいて、旧約聖書についての説明をしてきました(13章5節・14節、14章1節)。「ナザレのイエスが十字架で殺され三日目によみがえらされたキリスト(救い主)だ」という自説を展開し布教するために、正統ユダヤ教会堂を利用していたのです。モルモン教の人が泉バプテスト教会の礼拝で説教するようなかたちです。だからこそユダヤ教正統に嫌がられ「ナザレ派は異端」とされ、会堂から追放されました。彼らの布教方式が対立構造を生み出すものだったということです。

 リストラにはユダヤ人街を形成するほどユダヤ人が住んでいなかったのだと思います。単純に小さい町だからです。当時ユダヤ人は大都市を中心にユダヤ人街をつくりその真ん中に会堂を建てていました。安息日礼拝に歩数制限があったから、会堂を真ん中に400メートル圏内の近くに住んでいたのです。バルナバとパウロも、生まれ育った場所はパレスチナ地域ではありませんが、ユダヤ人です。ユダヤ人同士に話す場合は、旧約聖書を前提に話すことができますが、それを知らない人々には話のとっかかりがありません。ここに「失敗」の一因があります。

 さてリストラに生まれつき肢体不自由の男性がいました。

9 この男性はパウロの話しているのを聞いた。その彼は彼に注目して、また救われるという信を彼が持っているのを見ながら、10 彼は大きな声で言った。「あなたは起きよ、あなたの足に基いて、まっすぐに」。 そして彼は跳び上がった。そして彼は踏み回り続けた。 

 会堂という屋内の活動ができなかったバルナバとパウロは屋外で布教活動をします。いわゆる「路傍伝道」です。町の辻に立って、ナザレのイエスがキリストであると演説をするのです。パウロの母語はギリシャ語。現代の英語のような位置づけの支配的言語です。英語話者が日本に来ても英語で押し通すように、パウロはギリシャ語を当然のように使って街頭演説をします。しかし誰も振り向く人はいません。なぜならばリストラの町ではリカオニア語が優勢だったからです(11節参照)。ここに単純な思い込みという失敗があります。

 屋外である街角に座り続けている人がいました。この生まれつき足の不自由な人は外に「置かれ」、そこで物乞いをして食いつないでいたのかもしれません。少なくともパウロはそのように勘違いをした可能性があります。なぜなら彼がペトロとヨハネの逸話を知っているからです(3章)。あのエルサレム神殿の「美しい門」に毎日物乞いのために「置かれ」た男性を、ペトロとヨハネが立ち上がらせた物語に、本日の箇所は単語レベルでそっくりです。

 しかし厳密には異なります。リストラの彼が物乞いをしていたと書いていないからです。むしろこの物語の力点は、屋外での活動を強いられたパウロの説教を唯一聞いたのが屋外で仕事をしていた彼だけだったという点です。なぜでしょうか。彼がギリシャ語を理解したからです。リストラ住民の多くはギリシャ語を使って生活をしていません。そしてユダヤ人と接する機会がなかったので旧約聖書の話はちんぷんかんぷんでした。だから大方の通行人はパウロが話す言葉に何の興味も持たなかったのです。

 障がいのある人がギリシャ語に堪能である可能性をわたしたちは考慮に入れるべきです。なぜインテリではないと言い切れるのでしょうか。彼の職業には何も触れられていません。屋外で座りながら外国産の商品を売ることも、通行税を取ることも、彼にはできたはずです。ギリシャ語が必要な職種であるならば、パウロの言葉を理解することができます。聞いている時間は短時間でしょう。「聞いた」(9節)はアオリスト時制。過去の一点を表す表現です。しかしパウロは嬉しかったのです。誰も聞いてくれなかったからです。パウロは誤解します。「救われるという信」を彼は持っている。すなわち「この男性は歩きたいと思っているに違いない」とパウロは本人に確認もせずに思ったのです。舞い上がっていたからでしょう。「自分の説教をうっとり聞いてくれる聴衆がいるはず」という傲慢の失敗です。

 唯一の聴衆である初対面の男性にパウロは大声を上げます。「あなたは起きよ、あなたの足に基いて、まっすぐに」(10節)。ギリシャ語を理解している男性はかなり失礼な言動にびっくりし、文字通り跳び上がります。そして二度驚きます。一度も立ったことがない自分が、自分の足で立ったからです。神はパウロの勘違い(この男性が望んでいたかどうかは不明)を庇って、足の不自由な男性を立たせ歩かせました。

 男性が喜んだかどうかは書いていません。ただ、一歩一歩を大股に踏みしめながら歩き回り続けた(未完了過去時制)とありますから、半信半疑のまま自分にふりかかった出来事を反芻していたのでしょう。パウロは善行をなしたと勘違いしました。神のフォローにも気づきません。認識のすれ違いです。

11 パウロがなしたことを見ている群衆も彼らの声を上げた、リカオニア語で。曰く、「神々が人間に似た者になって私たちのもとに来た」。 12 それから彼らはバルナバをゼウスと呼び続け、パウロをヘルメスと(呼び続けた)。なぜならば彼が理を導く者であり続けたからだ。 13 それから町の前に居続けたゼウスの祭司もいくつかの門に接して数頭の牛や花輪を携えて、群衆らと共に犠牲を捧げることを望み続けた。

 言葉の通じない者同士が意思を交わすことを「非言語コミュニケーション」と呼びます。たとえばハグをする行為は、言葉の違いを超えて相互に「歓迎」の意思を伝えることができます。歩けない人が歩くことを見ることは、聴覚言語であるギリシャ語を理解しない人にも理解できます。リカオニア語を用いるリストラ住民は、「パウロのなしたことを見て」(11節)感動しました。

 当時の小アジア半島には大まかに三つぐらいの言語グループ(アナトリア諸語)がありました。リカオニア語はルウィ人の使った「ルウィ語」の一派です。そしてイスラム帝国が形成されアラビア語一色になる紀元後7世紀までは、小アジア半島の町々はそれぞれの母語で暮らしていました。リストラの町ではリカオニア語が優勢でギリシャ語は少数派の用いる言葉だったのです。パウロの言葉を聞こうともしなかった人々は自分たちの知っている足の不自由な人が大股で地面を踏みしめて歩き回り続ける姿に釘付けされます。住民たちはパウロとバルナバが理解できないリカオニア語で話します。「ギリシャ語話者である二人はゼウス神とヘルメス神が人間に変装して来たのだ」(12節)。

 わたしたちにとって突飛な発想に思えますが実は住民の理解はもっともです。この地域には土着の二神「タルフント」と「ルント」が居ました。二神信仰です。ヘレニズム時代ギリシャ文化が訪れ、土着の二神はギリシャ神話の「ゼウス」「ヘルメス」に呑み込まれました(前4世紀以降)。そして当時この地域には、ゼウスとヘルメスが人間に姿を変えて地上を訪れるという民話がありました(「フィレモンとバウキス物語」)。その二神を一組の貧しい老夫妻フィレモンとバウキスだけが歓待するというのです。民話の結末は、老夫妻だけが洪水を免れ、自宅が神殿になり夫妻が祭司となるというものです。

 住民はゼウスの使者役であるヘルメスと、この時の説教者パウロを同一視します。バルナバはゼウスです。そして町を挙げて「二神」を歓待しようとします。なぜゼウス神の現役祭司までもがナザレ派の宣教者たちを歓待しようとしたのかの理由が分かります。彼は宗旨替えをしようとしたのではありません。そもそもユダヤ教に興味はないのです。祭司となった、あの老夫妻のようになりたかっただけです。自ら崇拝するゼウスとヘルメスの訪問を見逃してはいけないという文化的な要請から、住民たちは行動をします。常識的なのです。

リカオニア語で進む事の成り行きに、バルナバとパウロは全くついていけません。自分たちのことなのに後で「このことを聞く」始末です(14節)。ここに14節以降に続く「失敗」の根本原因があります。つまりリストラの町の歴史・文化・言語を学ぼうとしない姿勢です。それだから自らの持つ体質を「支配的文化」と思い上がり、良かれと思って他者に押し付けようとするのです。近代の植民地主義に基づく欧米宣教師たちがなした「宣教地」での失敗や罪が、すでに使徒言行録に記されています。二人がなすべき第一はリストラの町を学ぶことでした。仮にリカオニア語を習得できないならば徹底的に非言語コミュニケーションで住民に仕えることだったのだと思います。

今日の小さな生き方の提案は、過去の「成功神話」を棄てることです。成功神話なるものはさまざまな重要なことがらを棄てて成り立っていたかもしれません。ユダヤ教会堂を使う布教は入り口をユダヤ人に限定しています。ギリシャ語のみを重用することはその他の言語や文化を無視または軽視しています。コロナという事態は否応なく過去の成功神話に頼る生き方を打ち砕きました。バルナバとパウロのうろたえる姿に共感します。その上で、彼らと同じようであってはいけないと思います。前代未聞の事態にあって軽快に失敗を恐れず何でも試みたいと思います。わたしたちが恐れるべき唯一のことは、失敗について学ばない傲慢な姿勢だけです。向き合う事柄に誠実に向き合っている相手の側から(前方・未来から)柔軟に考えて謙虚に歩んでいきましょう。