一つとなって 使徒言行録2章43-47節 2020年11月1日礼拝説教

今回の聖句は未完了過去時制の動詞表現が多く見られます(合計9回)。そのことが分かるようにいささかうるさい感じですが「~続けた」と直訳しておきました。未完了過去は過去から過去への継続的動作です。初代教会が日常的に続けていた信仰生活がここに記されています。46・47節の「日ごと」という表現も、未完了過去時制と対応しています。

「全て」という言葉は五回も使われています(43・44・45・47節)。「一つ」という意味を持つ単語も目立ちます。44節「一団」「共通に」、46節「一つに」、47節「一団」と似たような言い方で四回も登場しています。これらの言い方は、初代教会構成員の共通の特徴を示しています。一人ひとりは名前を持ち個性を持っていました。しかし、それでもキリストの証人としての共通項があります。全てにあてはまる特徴は何か、どのような一団であったのか。彼ら彼女たちが毎日し続けた行為の共通項は何であるのかを考えたいと思います。

 聖書の語る順番に即して毎日の姿勢・あり方(43節)、そして毎日の行為・社会における振る舞い(44-45節)、毎日の信仰実践・キリスト教信仰における特徴的儀式(46-47節)について考えていきます。

43 さて全ての生命におそれが起り続けた。多くの奇跡としるしが使徒たちを通して起こり続けた。 

43節はキリスト者の有り方です。日々の姿勢として、本当に神への畏敬を持ち続けているのか、神ならぬものを恐れていないだろうか。私たちは確かに弱いので、さまざまな事柄に恐怖を抱きます。しかし本当に畏れるべきなのは神だけでしょう。ギリシャ語もヘブライ語も「恐怖」と「畏敬」をあまり区別しません。両者は一つです。神をおそれていれば神以外のものをおそれないはずなのです。つまり見えない・聞こえない・触れない神の前で恥ずかしくない生き方をしているかどうか。神への誠実とも言い換えられます。全ての生命は創造主である神の前で神に対して誠実であるべきです。全ての生命とある通り、人間以外の被造物はあり方として人間よりも神に対して誠実です。イエスが空の鳥・野の花を指さした通りです。

43節は物事を見る視点についても語っています。神の起こす奇跡としるしをアンテナを張って捉え続けているのだろうかと問われているのです。使徒言行録によれば使徒たちを通してすでに奇跡としるしは起っていました。たとえば、逃げ腰だった死刑囚の弟子たちが堂々と公に演説する使徒たちとなったことそのものが奇跡であり、何か新しい出来事が起こりつつあることの予兆です。また、在エルサレム外国人の三千人が教会の最初の構成員だったこと。これは創立者のガリラヤ人百二十人が創立日に少数者になったことを意味します。あるいは言語の壁が教会では最初から取り払われていたこと、それと関連する形で敵対民族同士が教会では一緒に礼拝できていたこと。女性たちも子どもたちも、もしかすると既に動物たちも、共に礼拝していたこと。これらの奇跡やしるしは、使徒たちを通して毎日続いているのです。

しかしこれらのことを奇跡やしるしとして歓迎しなかった人がエルサレム住民の大半でした。ユダヤ民族主義を持つ人々にとって教会の誕生は無視すべきことがらです。見ているようで見ていない、聞いているようで聞いていない。福音は語られれば語られるほど頑固な人々をも増やしていきます。自分の母語に飢えていた人だけが福音を聞くことができました。この人たちは世界の小さな出来事を神の奇跡・神のしるしと捉えることができます。クリスマス物語の羊飼いたちと呼応しています。初代教会を創った三千人の人々はエルサレムで肩身の狭い思いをして小さくさせられていたために、神の起こす奇跡としるしに敏感だったのです。三千人は軽蔑されているガリラヤ人が軽蔑されている私たちの母語を語るという出来事は何だろうと思いをめぐらせました。世界の中でアンテナを張ることが求められています。「さあベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」(ルカ2章15節)という精神・視点が求められています。神へのおそれは個人の主観にとどまらず、神へのおそれが欠如している世界への関心と直結します。世界で神は奇跡としるしを見せているからです。

44 さて全ての信じている者たちは一団であり続け、また全てのことを共通に持ち続けた。 45 そして財産と持ち物とを彼らは売り続け、そして必要を持ち続けている者がいれば、それらを全ての者に分け続けた。 

 次にキリスト者に共通する行動です。「原始共産制」と呼ばれる生活実践がここに紹介されています。私有財産を誰も持たずに、全ての人が全ての物を共有していたというのです。その趣旨は困窮している教会員に再配分するためです。学者たちの中には、本当にこのような仕組みが初代教会に存在していたのかを疑う向きもあります。しかしある程度歴史の事実がなければこのような記述は生まれません。初代教会の特徴として原始共産制に類する生活実践はあったと推測します(4章32節以下も参照)。

 というのも彼ら彼女たちが外国人であれば、このような実践は思いつきやすいからです。イエスの弟子たちもガリラヤの私有財産を捨ててエルサレムに来ています。外国人と似た境遇です。持ち物が少ない者たちが自衛のために、すべてを共有することはありえます。今でも出身地や言語(文化)ごとに行うことが多い実践です。それを多言語で行ったことに初代教会の特徴があります。つまりすでにパルティア人生活共同体、小アジア諸民族生活共同体、エジプト人生活共同体等がエルサレムにあり、それらを横断する形で教会が新たな生活共同体ネットワークを形成したのではないでしょうか。

 現代の教会は共産制という仕組みを採っていません。むしろ自由な献金を出し合って、毎週の礼拝を続ける教会を維持し、それぞれの生活には立ち入らないのです。生活共同体に対して「礼拝共同体」と言っても良いかもしれません。日本一ひまな教会を目指している泉教会の場合、生活共同体を目指していません。それぞれの生活を脅かすような忙しさを自ら課すことにもなるからです。

 教会が「生活共同体」であるべきならば、究極的には教会が全財産共有の一団になることが要請されていることでしょう。そうすれば構成員の中で困窮している人の生活を救うことができます。仲間の生活を救わない共同体で良いのかという突き詰め方です。しかし教会が「礼拝共同体」であるなら、礼拝だけを行うことも一理あります。それ以外の行為は全て任意選択事項です。現代の教会は、この両者の間のどこかの位置を、それぞれの力点に従って定めているのだと思います。教会の活動として生活支援活動にとりくむことは、正に当てはまる事例です。

 著者ルカは礼拝のことを46-47節で報告し、原始共産制のことを礼拝に先立って44-45節で報告しています。初代教会の力点が「生活共同体」にあったからでしょう。そのことも初代教会は凄まじい速度で伝播した理由です。「あそこに行けば食える」という情報は、貧しい人々にとって死活問題です。敗戦後まもなく教会に人があふれた一つの理由は、みんなが食べ物に困っていたということと、教会に戦勝国の宣教師がいたという事情もあります。

 「生活共同体」という生活実践を重く受け止めつつ、「礼拝共同体」である泉教会がどのような道を選ぶのかを立ち止まって考えました。その結果、礼拝で原始共産制の良い点も伝えながら(説教と晩餐)、各人が自分の日常生活の中でそれらを一部実践することを励ますということに行き着きました。自発的良心的行動に委ねるのです。というのも「生活共同体」という近い関係には必ず親分・子分の関係が生まれハラスメントの温床となると推測するからです。

46 日ごとに一つに神殿の中で続けることもし、家でパンを割くこともし、喜びと心の素朴さにおいて食べ物に与かり続けた、 47 神を賛美して、そして全ての民に向かって好意を得て。さて主は救われる者たちを一団で日ごとに増やし続けた。

 キリスト教信仰における特徴的な儀式として、著者ルカは神殿で一つになること、家でパンを割くことと食べること(晩餐と愛餐)、神を賛美することを挙げています。おそらく47節はバプテスマという儀式によって増え続けたという意味でしょう。46節はエルサレムでユダヤ教の中から生まれたキリスト教会が当初エルサレム神殿をも重視していたことを明らかにしています(3章参照)。彼ら彼女たちは神殿の中で祈りをしていたと推測します(3章1節)。祈りの場所というものが別途あったということです(16章13節)。そして信徒たちの家では晩餐と愛餐が融合している礼拝をし、入会志願者が与えられたらある程度の人数を一緒にして(一団で)水槽のある信徒の家でバプテスマを行っていたのでしょう。晩餐・愛餐には多民族料理が並んでいて、そのような主の食卓を多文化の老若男女が「喜びと心の素朴さにおいて」囲んでいました。

 47節「全ての民に向かって好意を得て」は重要な情報です。「全ての民」とは著者ルカによる単なる誇張なのでしょうか。ユダヤ人民族主義者も含むのでしょうか。初代教会の大半が外国人であるならばユダヤ人民族主義者からは嫌われたはずです。このことはエルサレム教会の主流派(使徒たちと主の兄弟ヤコブが指導者)がエルサレムでの活動をユダヤ植民地政府(神殿貴族)からずっと認められたことと、エルサレム教会の一部(ステファノが指導者)が同じ政府から迫害され追放されたことと関係があります(8章1節)。

 ここでの「全ての民」は教会員の出身地の民族であると解します(2章9-11節)。大半は外国人ですがユダヤ人も含まれています。つまり教会に加わることで民族主義から解放されたユダヤ人です。外国の首都エルサレムで生活することに苦労をしている外国人たちは、たとえ信徒にならなくても同胞の生活支援をしている生活共同体としてのキリスト教会に好意的だったということでしょう。その一方でユダヤ人キリスト者は岐路に立たされました。神ならぬユダヤ政府をおそれて民族主義を容認して妥協するか、それともユダヤ政府に反対してでも外国人との交わりを続けるかの岐路です。

 今日の小さな生き方の提案は、聖句の順番通りに身辺を整えるということです。まず毎日の在り方、次に毎日の為し方、最後に礼拝の内容です。これらは全て一つにつながっているものです。まず、信実な神の前に不信実な世界の中で信実に生きるという姿勢を続けたいと願います。次に、「良いサマリア人の譬え話」(ルカ10章)のように、困っている人に対して「できることを・できる時に・できる範囲で」行いたいと願います。倫理的行為はその人と神との関係において良心的に行われるものであって、他人がその人の良心に向かって指図をするものではありません。また世間から褒められたいからするのではありません。良心的行為はしばしば世間からは嫌われるはずだからです。最後に、喜びと心の素朴さに基いて、誰でも参加できる神賛美と晩餐と愛餐を礼拝の内容とすることです。自由に参加できる晩餐は愛餐の要素を入れています。これは参加が認められている民全体に好意をもたれる礼拝であり、限定参加を主張する人々に嫌われる礼拝です。この道を今私たちは選んでいます。