今週の一言 2013年10月17日

10月17日の朝6時ごろ、父が天に召されました。1932年12月23日生まれでしたので、81歳で地上の生涯を閉じたことになります。「講壇の上で説教をしながら死にたい」と言っていたので、現役の牧師のまま亡くなったことは本望だったのではないかと思います。

わたしは五人兄弟の末っ子であり、しかも18歳の時に福岡の西南学院大学神学部に行ったきり実家には戻っていないので、最も父と接する時間が少ない息子でした。また同じ牧師でありながら、わたしと父とでは神学的立場や牧師職理解・教会観についてかなり異なっています。

父は聖書の素読と暗記が好きでした。毎日5時間祈ることを日課としていました。近代の批評的な聖書学は大嫌いで、歴史文書として聖書を分析することを「悪魔の業」と考えていました。いわゆるリベラルな神学・聖書解釈は悪そのものに見えたことでしょう。聖書の登場人物を自分の知己のようにして語るのが父の説教の味でした。20分以上長々と説教した姿を見たことがありません。

また政治的な話題を信仰と関連付けることを忌避しており、その意味ではノンポリでした(個人的には社会党/社民党支持ではありましたが)。1970年代から連盟の年次総会に行くことも止めていました。信仰と政治を関連付けることと、さらに加えて「連盟政治」にも嫌気がさしたのだと思います。確かに声の大きい人の政策が通りやすい現実があります。

父は元々他教派から来たこともあり、開拓伝道に携わる際もバプテストの教会形成ということを目指すことはしていませんでした。否、厳密には、バプテストの「各個教会主義」のみを珍重し、独自の城を昭島に築いていたという方が正確でしょう。モットーは「来る者は拒まず、去る者は追わず」。自分のしたいように自由に生きた人でした。

死ぬ前日、たまたま家族を連れて父の見舞いと介護に行くことができました。母と共に父の全身を拭きながら、今まで言えなかったお礼を言う機会が与えられました。「多分内心嫌だったであろうリベラルな神学校に自分を行かせてくれてありがとう。おかげで好きな人生を歩んでいます」。もしかすると父と似ているところもあるのかとも最近思い始めています。(JK)