今週の一言 2013年12月5日

12月5日はエレミヤ書20章7-12節を学びました。

 エレミヤ書の中には、珍しい現象としてエレミヤ自身の嘆きが多く残されています。一般に預言者は神を代弁して、「わたしは…」という主語を使います。しかしエレミヤは自分自身の思いを吐くときにも「わたしは…」と語ります。内容的には否定的なものが多いのですが、主語を立てて主体的に語るところに、イエスの「アーメン、わたしは言う」の原型を見ることもできます。

 エレミヤは公に主の言葉を語りました。その内容は厳しい権力者批判でした(26章参照)。そのためにエレミヤは拷問を受け拘留されました(2節)。権力者たちにとってエレミヤは邪魔者であり「復讐」の対象です(10節)。エレミヤは正当に「不法だ、暴力だ」と叫んだのですが(8節)、力を濫用する傲慢な権力者たちは、その叫びを「人を畏怖させるテロ行為」(10節)として矮小化し弾圧します。

 エレミヤは嘆きの中で、「生まれなかった方がまし」とつぶやき(14-18節)、預言者の職務から解かれることを願います。主の言葉を良心的に語ることによって痛めつけられているのですから、まったく割に合わない職務です。しかし、神はそれを許しません。神の願いは、エレミヤがどんなに苦労しても神の言葉を伝言し続けることです。

 いったん抵抗したエレミヤも主に降伏し、ふたたび立ち上がり人前で権力者批判を主の名によって語ることとなります。良心の叫び=神の意思をおさえつけることができなかったからなのだそうです(9節)。

 エレミヤは「復讐」を神に委ね、暴力に対して暴力で報復する道を棄てます(12節)。代わって彼の「武器」となるのは、「主がわたしと共にいます」という確信です(11節)。「倍返し」では世の中は変わりません。良心的な発言をする個人が増えることによって、力を振るう傲慢な者たちの恥ずかしい行いが正されるのです。社会の歪みは報復ではなく修復によって治癒されるべきです。

キング牧師は「悪人の暴力」だけでなく「善人の沈黙」も問題だと指摘しました。力を濫用する者たちの傲慢な議会運営が強行される中、まったく割に合わないとしても、良心の叫びを結集させるべき時が続きます。(JK)