今週の一言 2013年4月11日

4/11の祈り会ではアモス書5:4-15節を学びました。

 紀元前8世紀、預言者アモスは北イスラエル王国の滅亡を伝えました。その際に、二つのことが気になります。一つは、なぜイスラエルが滅びなくてはいけないのかという理由づけ。もう一つは預言者の言葉には肯定的なものが一切無いのかどうかということです。この二つがもし今もあてはまるのならば、アモスの語った言葉は時空を超えてわたしたちの現代社会への警告になりうるでしょう。

 イスラエル滅亡の理由は、アモスによれば「公正な裁判」(ヘブライ語:ミシュパート)および「正義」(ツェダカー)の欠如にあります。具体的には社会的弱者への搾取と抑圧です。当時イスラエルは空前の経済的繁栄に酔いしれていました。バブルです。貧富の差が激しくなりました。イスラエルという民はもともと水平・平等な交わりを重視し、上下関係を作らない「分節社会」を旨としていたのです。しかしアモスの時代、王権を中心に弱肉強食という不正義が横行していたのです。裁判官はわいろを取り富める者に肩入れし、力ある者たちが貧しい者たちをしいたげ、正しいことを言う人たちが更迭されていました。

 神から愛された民イスラエルには、その愛に応えて(response)神と隣人を愛する責任(responsibility)が生じます。その責任を果たせないならば選民であるから滅ぼされるのです。同じことは富んでいる国に住むわたしたちにもあてはまるでしょう。小泉政権以来、貧富差が広がっていることに、アモスと共に嘆いています。しかし、「一人一票実現運動」(国政選挙における「一票の格差」などと報じられている問題)のように、住んでいる場所による参政権の差別を是正する裁判で、違憲・無効という画期的判決が出てくるのですから、公正な裁判を期待できるかもしれません。

 アモスは、イスラエルが滅びないで済むように肯定的な励ましも行っていました。「主を求めよ、そして生きよ」や「善を求めよ、悪を求めるな」という呼びかけです。「主(ヤハウェ)」とは「彼は生起させる」という意味のイスラエルの神の固有名です。この名のごとく神は奴隷のイスラエルを自由にし、死んでいた者を生かしました。神にならって隣人を生かす道こそ自分自身も生きる道であるとアモスは語ります。それこそ善です。なぜなら神はいのちの神だからです。

城倉啓:泉バプテスト教会牧師