今週の一言 2013年8月29日

8月23日・24日に懐かしい友からの訪問を受けました。Kさんご夫妻です。二人の息子さんを連れて来られました。ご夫妻は中国系マレーシア人、信州大学工学部に留学中、わたしの初任地である松本蟻ケ崎教会に通っておられました。現在は北九州に在住、世田谷区南平台にあるマレーシア大使館に用事があり、その隙間の時間を縫ってわが家に寄って下さったのでした。

かの国では国策によって中国系住民は国内の大学進学の道が極めて狭くさせられている結果、中国系の進学希望者は留学する人が多いとのこと。事情はともかく、Kさんのおかげで当時松本の教会には留学生が大勢与えられ感謝なことでした。他にも韓国、ベトナム、ケニアの人たちもおり、毎週のようにエスニック料理を食べていたっけ。その中の思い出話を一つ紹介いたします。

松本の教会員に弟さんが日本兵としてボルネオ島で戦病死(餓死)したMさんという人がいました。それと同時に同じボルネオ島出身のマレーシアからの留学生Hさんもいました。そしてHさんの近い親戚の何人かは日本兵に虐殺されていました。そのため日本留学を反対されたこともあったそうです。

Hさんは日本に来てから教会に通っていませんでした。しかし前述のKさんが熱心に誘った結果、毎週松本蟻ケ崎教会に通うようになりました。その中で、高齢のため毎週の礼拝出席に困難を感じていたMさんを、世話好きのHさんが自動車で送り迎えをしてくれるようになりました。ボルネオ島をめぐって対立構造にあるべき二人が、母娘のような主にある交わりを生み出していきます。

そしてMさんのお世話をしているうちに、当時文学部に在籍していたHさんは自分の本当の夢を思い出しました。それは看護師になるというものでした。わたしの妻からの励ましもあり、Hさんは一念発起して看護師資格を取るべく松本市内の別の短大に入学します。

松本を離任後、Mさんの召天や、Hさんが松本蟻ケ崎教会執事になったこと、夢をかなえて看護師となったこと、日本人と結婚したことなどを聞きました。マレー語・中国語・英語・日本語を駆使する看護師として長野で活躍しているそうです。もしあの時、Kさんとの出会いがなければ…。90年前に関東大震災時の朝鮮人大虐殺があったこの日、アジアに生きることの意味を考えます。(JK)

Kさんご一家

130823許文彬・イレイン一家