今週の一言 2013年9月26日

9月26日の祈祷会では列王記下23章1-14節を学びました。

「国の民」に擁立されたヨシヤ王は、「申命記改革」と呼ばれる「上からの改革」に着手します。政教一致していた古代世界のこと、この改革は①宗教改革であり、②行政改革であり、③軍国主義と侵略(聖戦)という政策と結びついていました。これらは相互に連関しています。

ヨシヤ王は「申命記」を契約文書に見立てて、民の代表者である自分と主なる神との間で契約を結びます(1-3節)。これはヒゼキヤ王とマナセ王が結んだアッシリア帝国に臣従する契約(宗主権条約)を破棄する行為でした。またヨシヤ王が自らモーセやダビデ王に比肩する人物となったことを示すことでもあります(申28:69以下、サム下7:16)。

エルサレム神殿内部には、宗主国アッシリア帝国への臣従のしるしである天体の偶像が置かれ拝まれていました。ヨシヤ王はそれを、カナン地方土着の神々の像(バアル、アシェラ、アシュトレト、ケモシュ、ミルコム)と共に破壊します(4-7節、10-14節)。唯一の神を礼拝せよと申命記に明記されているからです(申6章)。また同時に土着の礼拝施設・「聖なる高台」も破壊します。唯一の礼拝所をエルサレム神殿に一極集中させたかったからです(申12章)。

ヨシヤ王は宗主国によって都市エルサレムのみに限定された領土を、南ユダ王国の旧版図まで奪還し(ゲバからベエル・シェバ。8節)、その聖なる高台に勤務していた祭司をエルサレムに招集します。この人たちは「レビ人」の原型です。国の民はこの元祭司らを神殿祭司よりも下級である祭司として抱え込み(9節。レビ6:10参照)、行政官・裁判官として養成し、レビ人として中央から侵略して得た土地へと派遣しました。申命記17:9や18:1に登場する「レビ人である祭司」は、特定の土地を所有しない中央から派遣された行政官・裁判官なのです。

出エジプト記32章には「金の子牛」を拝んでしまったアロンとその一党がレビ人に粛清される出来事が書かれています。この物語は、「金の子牛」を拝んだゆえに滅んだ北王国に対する批判と(王上12:28以下、王下17:16)、申命記改革の帰結であるレビ人の優位性を説明するための故事です(出32:29)。

「申命記改革」と明治政府の国家神道・富国強兵政策はよく似ています。