娘よ、起きなさい ルカによる福音書8章49-56節 2017年2月19日礼拝説教

カファルナウムの町に会堂(シナゴーグ)がありました。その会堂は、ルカ福音書4章31節に初めて登場するユダヤ人たちの礼拝所です。ここにペトロ・アンデレ兄弟も、ヤコブ・ヨハネ兄弟も毎週通っていたのです。会堂は、毎週安息日の礼拝だけではなく、公民館や学校のような役割も果たしていました。平日も地域の人々が集まることがあるので、会堂には管理者が必要です。今までその人物が誰であるのかは明らかではありませんでした。先週の箇所で初めてその名前が紹介されました。「ヤイロ」という男性です(41節)。ガリラヤ地方にはギリシャ語風の名前が多いのですが、この人は完全なユダヤ人の名前です(ヘブライ語で「ヤイル」)。代々「会堂長」を務めていた可能性があります。つまり、町の名士の一族です。

ヤイロの会堂は老朽化して再建されました。その際にローマ帝国駐留軍の百人隊長が多大な貢献をしたようです(7章5節)。ごりごりの民族主義者の会堂長であれば、非ユダヤ人であるローマ人の協力を嫌がるはずです。ヤイロも、またその会堂の長老たちも、快くローマ軍の百人隊長の厚意を受けているように見えます。だから、ヤイロは比較的心の広い寛容な人であったことが推測されます。広やかな精神に、イエスの教えに興味を持つ素地があります。

首都エルサレムには神殿があります。そこに巡礼して、そこで礼拝をすることはユダヤ人にとって憧れです。実際、イエスの両親は小さい子どもたちを連れて巡礼することを毎年の恒例としていました(2章41節)。これは逆を言うと、遠隔地の者たちは毎週エルサレムには行かれないということでもあります。一方で、律法によると七日に一度安息日にすべてのユダヤ人が礼拝をしなくてはいけません。ここに会堂の重要な意義があります。神殿があろうがなかろうが、地域に会堂が必要です。そうでなくては毎安息日にすべてのユダヤ人が礼拝をすることはできません。

重要な意義を持つ施設を管理するのですから、会堂長の社会的地位は当然高いものでした。彼はおそらく誰を会衆として受け入れるかを判断する権限を持っていたでしょう。独特の聖書解釈が原因でナザレの会堂から追放されたイエスを(4章28-29節)、カファルナウムの会堂で受け入れ、イエスの教えを好意的に受け止めたのはヤイロです(同31-32節)。また、悪霊にとりつかれていた男性を、会堂の中に受け入れていたのもヤイロです(同33節)。そのために悪霊祓いという奇跡の場面を彼は自分の目で見ていました(同34節以下)。

ルカ福音書では明記されていませんが、6章6-11節に記されている「手が不自由な人の手を伸ばす奇跡的治癒」も、マルコ福音書によればカファルナウムの会堂での出来事です。ヤイロはこの奇跡も自分の目で見ていたのです。

だからヤイロは自分の一人娘が瀕死の病気にかかった時に、ナザレのイエスを思い出しました。イエスならば、自分の十二歳の娘を救ってくれると信じたのです。町の名士であり権力者でもあるヤイロが、人前でまったく臆面もなく土下座してイエスにお願いをしています(41節)。娘の生死を分ける場面で社会的地位はどうでもよいこととなります。ヤイロはただの親になっています。

先週取り上げた女性の奇跡的治癒物語は、ヤイロにとっては迷惑な「寄り道」でした。親というのはわがままな動物です。自分の娘の方の診察を早くして欲しいと考えるものです。イエスが立ち止まって十二年間も病を抱えていた女性に関わろうとする時、ヤイロはまたもやすばらしい癒しの奇跡を自分の目で見ることになりましたが、その出来事を喜ぶよりも、「早く自宅にイエスを連れて行きたい」という感情の方が優っていました。早く連れて行けば、まだ娘は死なないで持ちこたえているかもしれないからです。

「イエスがまだ話しておられるときに、会堂町の家から人が来て言った。『お嬢さんは亡くなりました。この上、先生を煩わすことはありません』」(49節)。この知らせはヤイロを絶望させるのに十分でした。イエスに対する恨みや、癒された女性に対する逆恨みも、生じたかもしれません。ヤイロの持つ「諸々の負の感情」を察してイエスはすかさず言います。

「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば娘は救われる」(50節)。イエスは諸々の負の感情を、「ヤイロの恐れ」と捉えています。絶望や恨みは恐怖と似ているというのです。この「あなた(たち)は恐れるな」という命令は、ルカ福音書で何回も繰り返されています。天使からヨハネの父ザカリアへ(1章13節)、天使からイエスの母マリアへ(同30節)、天使から羊飼いたちへ(2章10節)、イエスからシモン・ペトロへ(5章10節)、「恐れるな」と命じられています。それぞれの場面を振り返ると、驚き(ザカリア・羊飼い)・戸惑い(マリア)・恐縮(ペトロ)などの負の感情に向けて「恐れるな」と言われています。すべて人から神への負の感情であり、それらを受けてすべて神から人への「恐れるな」との命令です。

いくつもの負の感情は「恐怖」と一まとめにされ、「信じる」という行為と対置されています。信頼は恐怖を締め出すのです。「あなたは恐れるな。ただあなたは信じなさい」。しかも、ここでルカは、現在形の命令ではなく、アオリスト形の命令を使っています。アオリストはギリシャ語独特の時制です。一点の動作を示す際に使います。それに対して現在形は現在進行の意味も含みます。つまり、「あなたは信じ続けなさい」ではなく、「あなたは今信じなさい」と言っているのです。イエスの用いたアラム語やヘブライ語に両者の境はありませんから、ギリシャ語話者ルカの脚色です。「今この時、瞬間的に信じるだけで良い。そうすれば娘は救われる」のです。

会堂長の自宅にもう来る必要はないと言われたイエスは、ヤイロを励まして、なおも道を進もうとします。イエスは娘をよみがえらせるつもりで、娘のいるところに向かいます。周りはそのように考えてはいなかったことでしょう。不幸にも若死にした少女の弔問に行くという意味で、イエスの「訪問続行」を捉えたことでしょう。それは間に合わなかったことをヤイロとその妻に謝罪する意味にもなるでしょうから、礼を重んじる態度とも考えられました。

「イエスはその家に着くと、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、それに娘の父母のほかには、だれも一緒に入ることをお許しにならなかった」(51節)。なぜ、この6人に限られていたのでしょうか。イエスは明確に少数者と多数者に分けました。多数派は、イエスを嘲る者たちです。この人たちは死者のために儀礼的に嘆き悲しむ人々です。当時の風習に従って近所の人々(時折雇われた人もいたようです)は、派手に泣き叫んで形式的に嘆いていたのです。

だからイエスは人々に命じます。「(習慣的な意味で)あなたたちは泣くな。なぜなら彼女は死んでいない。むしろ眠っているのだから」(52節直訳風)。「人々は、娘が死んだことを知っていたので、イエスをあざ笑った」(53節)。このあざ笑った多数派をイエスは家から締め出し、少数の者だけを家に入れます。嘲けりもまた負の感情です。残された少数の者には、恐怖と反対の感情がいくばくかありました。両親の涙は、わざとらしく泣く人々の涙とは異なります。そこには、もしかすると娘は死んでいないかもしれないし、仮に死んでいたとしても、もしかするとイエスは蘇生させてくれるかもしれないという信頼がありました。ヤイロが何回も癒しの奇跡を目撃していたからです。

イエスは大勢の弟子たちがいる中で、この場面で三人だけを瞬間的に選び分けました。ペトロ、ヨハネ、ヤコブの瞬間的信仰を感じ取ったからでしょう。ナインの町で、やもめの一人息子の葬儀の列を止め、柩を押しとどめて「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言い、一人の青年を蘇生させたイエスの姿が、彼らのまぶたに焼きついています(7章14節)。

「あなたたちの信はどこにあるのか」(8章25節)。今・ここに・少しでも・瞬間でも信の一かけらがあれば、その信によってわたしたちは救われます(48節)。この部屋にいる6人は、この類の信をナザレのイエスに、この時寄せていた少数の人々でした。死んだ娘も、一縷の望みをイエスにかけながら息を引き取ったことでしょう。奇跡とはこういう場面で起こるものです。

「イエスは娘の手を取り、『娘よ、起きなさい』と呼びかけられた。すると娘は、その霊が戻って、すぐに起き上がった」(54-55節)。ルカはここで「娘」という言葉を「子」に替えています(ただし冠詞は女性形)。ギリシャ語ならではの小細工で伝えたいことは、「この復活は性別を超えて、誰にでも起こる」ということでしょう。イエスが触り・言葉をかけると、奇跡的な癒しが起こります。息を引き取った人も、息を吹き返します。「霊/息/風が戻った」という表現は、日本語ともぴったりと符合します。「息」と「生き」は同じです。息を吹き返した人は生き返った人なのです。

そして復活した娘は自分が幽霊ではないことを証明するために、むしゃむしゃと食べます。この様子は復活のイエスと同じです(ヨハネ福音書21章9-14節)。つまり十二歳の少女の復活は、イエス・キリストの復活の前触れです。十字架で沈黙していた神は、黄泉の底でイエスを抱き上げ、「これはわたしの愛する子、今日わたしはこれを愛する。わが子よ、起きなさい」と言って引き上げ、キリストとなさったのでした。

「娘の両親は非常に驚いた」(56節)。夫婦の驚きは、ザカリアや羊飼いたちの驚き(恐怖)とは全然違うものでした。イエスの命令が「恐れるな」ではないことからも明らかです。その驚きは、感謝と賛美にあふれたものでした。「イエスは、この出来事をだれにも話さないようにとお命じになった」(同節)。夫婦は忠実にこの命令を守ったことでしょう。何しろイエスが前もって言っていたとおりだったからです。「娘は死んだのではない。眠っているのだ」(52節)から、あえて「娘は蘇らされた」などと言い触れ回る必要はないのです。大げさに泣き喚く近所の人を無理に敵に回す必要もありません。あざ笑う人々は徐々に恥じ入れば良いのです。実に粋な姿をイエスは見せています。

もちろん人の口に戸は立てられません。ヤイロの娘が町に出ているのを見ればカファルナウムの人々は「イエスから蘇らされた人」として認識し、死者をよみがえらせた奇跡について噂をしたことでしょう。そうでなければ、福音書記者たちもこの出来事について記載することはできなかったでしょうから。このような「隠された小さな情報」に真実があります。この類の情報は細く、信頼できる人のみを通じて知らされます。逆に大っぴらに報じられていることが真実とは限りません。時に真理は奥ゆかしいものです。

こうしてカファルナウムの町に、神の国運動の拠点が確固として設けられました。ペトロの姑の家と、ヤイロの管理する会堂です。そこでイエスに触れてもらい、あらゆる病が癒され、死者が生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされます(7章22節)。教会はこの神の国運動を継承しています。

今日の小さな生き方の提案は、小さくても瞬間的でも良いからイエスに信を持つことです。「自分がわかっただけのイエスに従う」ことで十分です。多くの大きな者たちは、このような少数の小さな者たちの営みをあざ笑うかもしれません。しかし、ここに価値があります。日々の恐れから救われるからです。