憲法の話②

なぜこのような現状が――衆院選と参院選の間で

「わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ」と主なる神は言われる。(エゼキエル18:32)

 

1.2013年7月参議院選挙(半数改選)の予測

第二次安倍政権の支持率が上昇しています。2月中旬時点で大手報道二紙の調査によれば42%です。これらの政党支持率世論調査に基づいて、『週刊ポスト』誌は7月参院選分析を行い、半数改選の結果どのような議席分布になるかの予測を示しました(3月22日号)。その結果は、自民系=125議席、公明=17議席、民主=50議席、みんな=14議席、共産=6議席、社民=3議席、国新=1議席、維新=19議席、生活=4議席、改革=1議席、無所属=1議席です。

参議院の総議員数は242議席、過半数は122議席、三分の二は162議席です。参議院でも三分の二の議席を占めれば、憲法改憲原案の国民投票が行われることになります。最近の自民党は「96条のみ改憲を目指す」と盛んに喧伝しています。その狙いは、まず他党の同意を得やすい96条のみ改憲し、改憲要件を過半数に緩めて、その後単独過半数という自力で憲法の全面改悪というもくろみです。

自民125+みんな14+維新19=158議席です。この三党はすでに「96条のみ改憲」に賛成を表明しています。三分の二まであとわずか4議席。ここで自民の連立相手の公明党が賛成に回れば175議席となり三分の二を超えます。仮に公明党が賛成に回らなくても、公明党および民主党の中の改憲派や勝ち馬に乗りたい国会議員が賛成すれば、楽々と三分の二を超えることでしょう。そうなれば参議院でも単独過半数を得る自民党の思いのままに改憲原案が国民投票にかけられていくこととなります。

大企業の景気回復だけが投票行為の判断基準ではありません。今回も自民党改憲草案(以下『草案』)と日本国憲法(以下『憲法』)との比較および批判的分析をキリスト者の視点から行います。

 

2.前文の比較

日本国憲法

自由民主党改憲草案

前文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

前文

日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。

我が国は先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。

日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。  

我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。

日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する

 

全面改訂される憲法の前文には、①なぜ改憲が必要だったのかが明示される必要、それと②憲法の全ての条文を解釈するための原理原則が明示される必要があります。上表の通り『草案』はほとんど全てにわたって『憲法』の前文を改めていますが、①について全く記載がありません。そして②については、『草案』前文の指し示す原理原則が、立憲主義や現『憲法』の三原則をないがしろにする内容です。

『憲法』の前文には、明治憲法からの改憲の必要性が明示されています。それは明治政府以来の侵略戦争に対する反省です。政教一致した天皇制軍国主義に基づく富国強兵政策(強い軍隊・強い経済)が侵略戦争を推し進めていきました。その結果はアジア諸国を中心とする世界への多大な迷惑・加害行為でした。だから政府の行為によって二度と戦争の惨禍が起こることのないようにするという深い反省が『憲法』前文の第一段で明示されているのです。ここに明治憲法から平和憲法への憲法改正の根拠がありました。わたしたちの言い方で言えば、『憲法』前文は「戦争責任告白」であり、神さまへの立ち帰り(悔い改め)の表明なのです。それが平和に生きる道だからです。

ところが『草案』には侵略戦争の責任を認める文言も反省を示す文言もありません。むしろ敗戦後の経済復興を手放しに自分たちの努力の結果と捉えています(二段目)。改憲の根拠が示されていないという点で、『草案』の前文には内容上の不備があります。この不備はあえて行われています。正にこの点に自民党の選挙の強さ・民意をすくいとる技術があります。つまり大多数の人々は、過去の侵略戦争を自分の罪責ととらえたくないということです。「負けて悔しい」「自分たちも被害者だった」としか考えたくない、日の丸の下で多くの虐殺があったことを率直に認めたくないのです。何回かの「懲しめ的な投票」によって議席数を減らしたことがあっても一貫して自民党が選挙に強い理由は、わたしたちが戦争責任を広め深めてこなかった点にあるでしょう。

戦争責任を認めたくない・あわよくば富国強兵政策に復古したいがために、②すべての条文を貫く原理原則が改悪されています。『憲法』に明記されている、政府による戦争を起こさせないための立憲主義(主権者が権力を縛るために憲法があるという考え)・三大原則(主権在民・基本的人権の尊重・平和主義)が改悪されています。

『草案』は、憲法制定権者が主権者国民であることを最後の段のおまけとして格下げしています。また第三段・第五段の主語を「日本国民」とすることにより、国民に憲法を守る義務があるようにしています。しかもそれは国家を守り存続させるための義務だというのです。これら立憲主義の後退であり転倒です。

第一段の主語は「国家」であり、しかも「天皇を戴く国家」としています。『憲法』冒頭の「正当に選挙された国会における代表者」という文言を削除し主権者の参政権を軽んじています。暴走した軍国主義的天皇制国家に対する無反省により、国民主権を後退させています。

第三段において基本的人権の尊重という人類普遍の真理が、「和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合」うという事柄と同列に並べられ、しかもそれは「国家を形成するため」という目的にすり替えられています。個人の人権を国家から侵害されないように守らせるための「自由の基礎法」としての憲法が骨抜きにされています。第四段には自民党の政策が前面に出ています。思想統制を目的とした教育への介入、科学技術とお金儲け(その代表は原子力行政)の推進です。人権よりも政策を書き込むので憲法の前文としてふさわしくありません。

第三段は、「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り」と国民の国防義務を謳います。そのための愛国心教育なのです。これは平和主義と真っ向から矛盾するので、現行「憲法と一体をなすものとして」(96条)の改正とは言えません。

今こそ、1988年に連盟総会で採択された「戦争責任に関する信仰宣言」が読み直されなくてはならないと思います。粘り強い闘いは戦争責任を共有することから始まります。

 

3.憲法審査会の動き

衆議院憲法審査会の新委員が決まりました。危ぶんでいた通り、50名の委員の内訳は自民31・民主6・維新6・公明3・みんな2・生活1・共産1(社民は0)、改憲派49対護憲派1となりました。重要な「前文」の審議を飛ばして、3/14に「第一章・第二章」の審議、3/21に「第三章・第四章」の審議を自民・維新など9条改憲派主導で超特急の速さでもって行っています。

参議院憲法審査会は、3/13に二院制について審議し(統治機構改憲論)、4/3にも同じ主題で審議する予定です。もし参議院選挙の結果が上述の予測通りとなるならば、7月以降の参議院憲法審査会においても、衆議院と歩調を合わせた条章審議が超特急で行われていくことでしょう。

これら暴走する憲法審査会の監視は次回以降行います。それと同時に今わたしたちに求められていることは、あの明治政府の政策は何であったのか、いつか来た道に二度と戻らないという起点を定めること、平和の神への立ち帰り・悔い改めなのだと思います。