来るべき方 ルカによる福音書7章18-節 2016年12月11日 待降節第3週礼拝説教

 

 

 

アドベントの第三週目になりました。

ルカによる福音書には、バプテスマのヨハネの物語が豊富に残されていることを以前も確認いたしました。特にヨハネの誕生物語はルカにしかありません(1章)。しかも、ヨハネの誕生物語は、イエスの誕生物語と複雑に絡み合って物語られています。イエスの母マリア/ヨハネの母エリサベトの賛歌(同46-55節)とヨハネの父ザカリアの賛歌(同68-79節)は重なり合い、奇跡的に妊娠した親類同士のマリアとエリサベトは共鳴し合います(同39-45節)。

エリサベトがヨハネを生んだ半年後に、マリアはイエスを生みます。これによってヨハネがイエスの露払いを務めていることをルカ福音書は分かりやすく示しています。また、両者が非常に近い関係にあることも示しています。

こう考えてみると、アドベントの季節にバプテスマのヨハネについて考えることは、ふさわしいことなのかもしれません。ヨハネとの関係でイエスは誰なのか、イエスとの関係でヨハネは誰なのか、この二つのことは一つのコインの裏と表の関係だからです。ベツレヘムの馬小屋で生まれた方がどのような救い主であるのかということは、荒野の修道院長ヨハネがどのような人であるのかを考えることであぶり出されることでもあります。三週間に渡ってイエスがどのような救い主であるかを、ヨハネを通して深めていきます。

今日の箇所は、そのヨハネがイエスに質問をするという場面です。「来るべき方は、あなたでしょうか。それともほかの方を待たなければなりませんか」(19・20節)。ヨハネは自分の弟子を二人派遣して、質問を伝言させます。二人は極めて忠実に伝言をしています。この辺りには、ヨハネの宗団の規律の強さが伺えます。それが、イエスの弟子たちとの違いの一つです。イエスの仲間たちは内部の規律が弱い交わりです。イエスを中心とする交わりは互いの「信」しか結びつきがありません。

ただし、二人組にして派遣することについて言えば、両者は似ています。イエスも二人ずつの弟子を自分の行く予定の町や村に先に派遣するということをしています(10章1節)。イエス自身もヨハネ教団の中にいたことがあるのですから(3章21-22節)、二人ずつ派遣というやり方を、ヨハネ宗団から学んだ可能性もあります。ともかく、似ているけれども少し違うという両者の関係がここにも表れています。

さてここで「来るべき方」(19節)について説明をいたします。当時の人にとっては、「来るべき方」はピンとくる表現でした。誰のことを指しているのかすぐ分かったのでしょう。聖書の中では、この特別な言葉について何も説明がなされていません。わたしたちにとっては、よく分からないので説明が必要です。さまざまな解釈をさまざまな学者はしております。エリヤという預言者の再来か(マラキ3章23節)、あるいは、モーセという預言者の再来か(申命記17章15節)などあります。

しかし最も素直で多数派を占めている解釈が良いでしょう。それは「救い主」(メシア/キリスト)です。ヘブライ語のマシアッハという言葉の片仮名表記で、元々の意味は「油を注ぐ」です。イスラエルの人々は重職に就かせる時に、その人の頭に油を注ぎました(サムエル記上16章13節)。神から救い主として任命された人を、「油を注がれた人」という意味でメシアと呼びました(イザヤ書45章1節、ダニエル書9章24・25節)。ヘブライ語メシアのギリシャ語訳がクリストスという単語であり、その片仮名表記がキリストです。

イエス時代のユダヤ人たちは救い主が神から派遣されることを待ち望んでいました。神から来るという意味で、「来るべき方」と表現していたのです(ルカ19章38節「主の名によって来られる方」など)。直訳は「来つつある方」です。英語の-ing表現と同じように現在進行形で、今行われている動作が将来的に完遂されることまで含んでいます。

ユダヤ人たちの考える救い主は、まずもって政治的軍事的な意味の指導者でした。かつてパレスチナ地域で独立王国を打ち立てたダビデ王の再来です。ダビデはベツレヘムという小さな町で生まれ育ち、エルサレムという町を首都に据えて、十二部族が南北に分かれていたイスラエルの統一を果たし、生涯外敵と戦争を繰り返し「連邦国家イスラエル」の独立を保ちました。イエスの時代から丁度1000年前のユダヤ民族の英雄です。源義経ぐらいの感覚でしょうか。

イエスの時代に救い主は「ダビデの子」とも呼ばれます(18章38節)。人々は、ダビデの再来を救い主と考えていました。なぜなら、当時のパレスチナ地域がローマ帝国に属国として軍事支配されていたからです。民族の独立を果たすことができない状態だったので、ダビデのような軍事的政治的天才をユダヤ人の多くは待ち望んでいました。ユダヤ植民地政府(サンヘドリンと呼ばれる最高法院)は、認められた程度の自治で満足していました。だからローマ帝国に逆らわないように、民族主義が起こり過ぎないように、人々を統治していました。言い換えればダビデを目指していない傀儡政府です。米国と日本の関係に似ています。政府は親ローマ帝国である右翼だったのです(サドカイ派とファリサイ派の連立)。しかし、人々の中には反ローマ帝国である右翼(民族自決と武力革命を目指すゼロテ派など)が相当程度いました。

そのような状況の中に、ナザレのイエスは登場しました。ダビデ王の再来としての救い主を切望している人が大勢いる中、イエスが来るべき方なのかどうかは、多くの人の尋ねたい質問だったのです。より厳密には、「イエスが自分自身をダビデ王の再来とみなしているかどうか」が、質問の内容です。客観的にダビデのような軍事的成果を出せるかどうかは、この時点で誰も分からないわけですから。オバマ大統領にノーベル平和賞を授与することは、当時としては大きな賭けでしたし、今から振り返ってもやや勇み足のように思えます。当時のオバマに、「あなたは大統領任期中に大幅な核軍縮を成功させる人ですか」と聞くようなものです。

すでにヨハネは自分の弟子たちを多く抱え、社会的に大きな影響力を持っていました。いわゆる有識者でしたし、人格者としても知られていました(ヨセフス)。そのヨハネの質問は個人的な問いではなく、世の中に向けた公開質問状のようなものです。世間に広く知らせるために、ヨハネはイエスに質問します。特にルカ福音書によればヨハネとイエスはとても近い関係にあるので、この質問と答えは、お互いの想定内の問答です。二人は競合関係にではなく、協力関係にあります。国会における与党から政府への質問のようなものです。よりよい説明を引き出し自分たちの主張を公に広めるための質問です。

さらにヨハネの身になって考えると、彼はすでに「自分がメシアではない」と公言しています(3章15節)。イエスがメシアであると言ってくれれば、ヨハネ自身の発言も補強されます。二人は、問答において協力し、世の中一般に向けて、①イエスが救い主であること、②ダビデの再来のような救い主ではないことを説明します。

イエスの答えは、回りくどいものでした。すっきりと「自分が来るべき方・救い主である」とは言いません。そうではなく、「二人が目撃した、イエスの活動をヨハネに伝えなさい」というものでした。二人が訪ねた時に、イエスは治療行為・悪霊祓い・盲人の目を見えるようにする奇跡を行っていました(21節)。それに加えて、足の不自由な人を歩かせる奇跡、ハンセン病の人を社会復帰させる奇跡(5章12-16節)、耳の聞こえない人の聴力を回復させる奇跡、死人を生き返らせる奇跡(7章11-17節)、そして貧しい人が福音を聞くという奇跡(4章16-30節)を例に挙げました(22節)。これらを伝えれば、ヨハネや世間への答えとして十分だというのです。このような行いをする救い主が今来ている、つまり自分は来るべき方だと、イエスは答えています。

自分は救い主であるけれども、ダビデ王の再来ではないということも重要です。ダビデ王は、イエスが行ったことをしていません。かすかに似ているのは悪霊に憑かれているサウルを音楽で和らげるということですが、悪霊祓いではありません。むしろ逆です。軍人であるダビデは、侵略戦争によって大量の傷痍軍人を生み出した人です。もちろん内戦による負傷者も大量に発生しています。日本の福祉は敗戦後の傷痍軍人に対する補償から始まりました。だから、肢体不自由の人への福祉から始まり、次いで知的障害、最後に精神障害という順番で支援・研究・補償範囲が広がっていきました。

古代社会において、そのような社会保障制度はありませんから、ダビデ王の軍事的成果の背後に、人々の苦しみをも推測しなくてはいけません。彼は社会的に没落する人をも大量に生み出しています。だから、治療行為もしませんし、貧しい人に福音を告げ知らせることもしません。

ダビデの放浪の旅は私兵(ごろつき武装集団)と共なるものでした。実利的な彼は、時にイスラエルの大敵ペリシテ人の領主にも仕えて、傭兵となることすらしています(サムエル記上27章)。そうして、時期を見てサウル王家(北朝)を倒し、武力で内戦を制したのです(サムエル記下2-5章)。

イエスの放浪の旅は、失業者たちと共なるものです。お世話になる人たちも、シモンの姑をはじめ支配者たちではありません。みんな自分の持ち物を出し合って旅を支えたのでした(8章3節)。ダビデと異なり、武器どころか杖も袋もパンも金も持たない旅です(9章3節)。そして社会的弱者を抱え込んでいました。この交わりの中にあることに救いがあると、弟子たちは信じていました。

イエスは反ローマ帝国でもあり、反サンヘドリンでもあり、反領主ヘロデでもあり、反武力革命勢力でもありました。この点はヨハネと似ています。しかし、ヨハネ宗団は戒律と上下関係が厳しいので、上下関係による力の濫用がありえます。また、禁欲的な生き方は自発性・自由を損ねる場合もあります。

イエスは、「反支配」「自由」を前面に訴えた人です。すべての人の持つ支配欲(罪)に対して反対し、隣人の自由を抑え支配している人に「やめなさい」と教え、支配されている人たちを慰め・励まし、病気の人・障害を負う人・悪霊にとりつかれている人の苦労を代わりに担う人でした。そして、神の国をかたちづくり、「自ら仕えることの価値」を、楽しい食卓を囲む中で実現したのです。ここにダビデとの違いも、またヨハネとの違いも明らかです。

アドベントでわたしたちが到来を待ち望んでいる救い主、来るべき方はイエス・キリストです。教会はイエスの神の国運動の継承者です。今日もまた、いつものように「マラナタ(主よ、来りませ)」と願いながら、給仕をし合って楽しい食卓を囲みましょう。この交わりの中に救いがあります。

今日の小さな生き方の提案は、罪からの解放を表すバプテスマへの招きです。「わたしにつまずかない人は幸いである」(23節)。素直に福音を受け入れて仕え合う群れの一員となることにすべての人が招かれています。