次の安息日に 使徒言行録13章42-52節 2022年3月6日礼拝説教

42 さて彼らの出ていく時、彼らは以後の安息日において彼らにこれらの話を話すようにと頼まれ続けた。 43 さて会堂が解かれて、ユダヤ人の多くと敬虔な改宗者たちとがパウロとバルナバに従った。そして彼らが彼らに話しかけて、彼らを神の恵みの中に留まるように説得し続けたのだが。 44 さて安息日が来て、町のほとんど全てが神の理を聞くために集まった。 45 さてユダヤ人たちは群衆を見て、彼らは嫉妬に満たされた。そしてパウロによって話されていることに彼らは罵りつつ反対し続けた。 

 ピシディア・アンティオキアという町にあったユダヤ人会堂でのパウロの説教は終わりました(41節)。礼拝後、つまり土曜日の昼頃バルナバとパウロが会堂を出ようとした時、「これからもイエス・キリストについての話を会堂でしてほしい」と「彼らに」(42節)順々に頼まれます。「頼まれ続けた」という未完了過去時制の動詞は、さまざまな人々にひっきりなしに頼まれた様子を示しています。そして、それは次週の安息日だけではなく、それ以後ずっとという意味でしょう。42節と44節は別の言葉です。最初の依頼は「以後ずっと」だったけれども、迫害が起こり「次週のみ」となってしまったのです。「彼らに」は、「会堂長たち」(15節)や「ユダヤ人の多くと敬虔な改宗者たち」(43節)と推測されます。

 こうして「会堂が解かれ」ます(43節)。会堂長、ユダヤ人の多くが復活のイエス・キリストの伝道の場に、ユダヤ人会堂を解放してしまったからです。そして、毎週の会堂礼拝に参加しユダヤ教に改宗したギリシャ語圏の人々も、そこに加わります。「従った」(43節)という動詞は、福音書においてイエスの弟子になる時に用いられる専門用語です。この言葉使いと「弟子たち」(52節)は呼応しています。厳密にはピシディア・アンティオキアの会堂に連なっていた人は、パウロとバルナバに従ったのではありません。二人を通して証言されたイエス・キリストに従って弟子となり教会をつくったのです。

「彼らが彼らに話しかけて、彼らを神の恵みの中に留まるように説得し続けた」(43節)ということは、家の教会を始める信徒の募集でしょう。安息日は土曜日の日没に終わります。「週の始めの日」は土曜日の日没から日曜日の日没までの24時間です。初代教会は日曜日の晩に信徒の家に集まって「主日礼拝」をしていました。二人は、弟子たちの中から自分たちを滞在させてくれる人を募集し、その人の中から礼拝のために家を貸してくれる人を募集したのでしょう。複数の家があっても構いません。それぞれの家は、幹となるイエス・キリストに繋がる枝branchesです。枝に留まり続ける教会生活の恵みを二人は諄々と説得し続けたのです。

この安息日の直後の主日礼拝は盛会のうちに終わったと思います。ユダヤ教正統からナザレ派への転向や、ユダヤ人になった非ユダヤ人たちの再改宗、非ユダヤ人からの入信。多くのバプテスマが与えられました。会堂長自身がナザレ派に変わってしまった可能性すらあります(18章8節参照)。こうしてピシディア・アンティオキア教会が立ち上がります。パウロとバルナバは、信徒たちの家に滞在することになりました。その間二人は礼拝の内容(祈り・賛美・説教・食卓)や、教会運営のノウハウを信徒たちに教え続けたと思います。そして会堂礼拝に参加できない女性たちが、自宅で二人の話を熱心に聞くのです。ナザレ派においては女性たちが礼拝の内外で活躍できたからです。

次の安息日が来ます(44節)。「町のほとんどすべて」は誇張です。確実なことは先週よりも多くの人々が一つの会堂に集まったということです。先週のパウロの説教はピシディア・アンティオキアのユダヤ人街に議論を巻き起こしていました。もちろんパウロよりも前にナザレ派のユダヤ教徒がこの町に来ていた可能性はあります。しかしおそらくパウロほど激しくナザレ派の主張を会堂で論争的に説教した人はいなかったことでしょう。賛否両論が巻き起こり関心を持つ多くの人々が、「神の理(ロゴス)」(44節)と呼ばれる福音を聞くために集まったのです。

ピシディア・アンティオキアに複数の会堂があったかどうかは分かりません。仮に複数あったとしても安息日の移動距離制限(一日900メートル)があるので、自分の会堂に縛られているユダヤ人たちは各自の会堂にしか通えません。いつもよりも多く集まっていたのは神を崇める人々・ギリシャ語圏の求道者たちです。そしてパウロの説教は非ユダヤ人向けに語られているので、この「群衆」(45節)は熱心に話を聞きます。

会堂の中には伝統的正統ユダヤ教徒も当然多くいます。この人々は先週のパウロの説教を苦々しく聞いていました。非ユダヤ人がナザレ派の説教に喜び多くの求道者が集まることに彼らは嫉妬します。そして下品な野次をパウロにぶつけ、説教を妨害しようとします。「野次は国会の華」などと言う人もいますが、まったく肯定できません。人が口を開いている間、自分は口を閉ざすものです。

46 パウロもバルナバも堂々と話して、彼らは言った。「神の理は第一にあなたたちに語られることが必要であり続けた。あなたたちがそれを拒絶した時に、あなたたちは永遠の命に価しないと自身を裁いた。見よ、私たちは諸民族の中へと向きを変える。 47 というのもそのようにして主が私たちに命じたからだ。『私はあなたを諸民族の光へと据えた。そしてそれは、あなたが地の果てまで救いへとあるためなのだが。』」 

 パウロとバルナバは堂々と反論します。この場面、主語がパウロだけではないので、バルナバと適宜交代しながら論じたのでしょう。会堂での説教は複数人によってなされたと思われます。そしてユダヤ人に向かって「あなたたち」(46節)とはっきり言えるのは、父親がキプロス人であるバルナバでしょう。パウロという人は、最後までユダヤ人であることに誇りを持ち、ユダヤ人と共に救いに与かることを重視していました。ユダヤ人会堂を用いる伝道手法もその一環です。バルナバや、さらには非ユダヤ人である著者ルカの方が、ユダヤ人に対して冷淡です。

 「ユダヤ人は真っ先に神の民・神の子とされたのに、預言者たちの言葉を拒絶し続け、イエスを拒絶した。そのためにユダヤ人から諸民族へと救いの対象は移ったのだ」(46節)とバルナバは言います。だから、「私たちは諸民族の中へと向きを変える」。この意見表明の根拠となる聖句として、パウロとバルナバはイザヤ書49章6節をギリシャ語訳で挙げます。『私はあなたを諸民族の光へと据えた。そしてそれは、あなたが地の果てまで救いへとあるためなのだが。』ここでいう「あなた」は、イザヤ書の文脈では神の子らイスラエルのことです。つまりユダヤ人です。この聖句は、ルカによる福音書2章32節でも引用されています。シメオンによれば、「あなた」は神の子イエスのことです。使徒言行録によれば「あなた」はバルナバとパウロのことを指します。非ユダヤ人のための使徒であるこの二人が神の子らであり「諸民族の光」なのです。

 はじめはユダヤ人だけが神の子ら(アブラハムの子)でした。しかし神の子イエス・キリストは真っ先にユダヤ人に「すべての民は神の子らである」と教えました。アブラハムより先にいた方が、すべての人に(特に排除されていた人に)「あなたもアブラハムの子だ」と言われたのです。すべての人が神の子という福音を聞いて救われた者は、この救いを地の果てまで証言したくなります。神の子イエスがこう言って励ましておられるからです。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そしてエルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(1章8節)。神の子の証人もまた神の子です。

48 さて(彼らは)聞いて諸民族は喜び続けた。そして主の理をほめたたえ続けた。そして永遠の命へと定められ続けた者たちは皆信じた。 49 主の理はその地域全体を通じて運ばれ続けた。 50 さてユダヤ人たちは身分の高い敬虔な女性たちと町の第一人者たちを焚きつけた。そして彼らはパウロとバルナバの上に迫害を起こした。そして彼らは彼らを彼らの区域から追放した。 51 さて彼らは彼らの上に足の塵を払い落として、彼らはイコニオンへと来た。 52 弟子たちも喜びと聖霊とに満たされ続けていた。 

 すべての人が神の子であるという福音(「主の理」。48・49節)は、一方で非ユダヤ人たちから歓迎されました(48節)。自分たちを含むinclusive救いだからです。しかし他方で、正統ユダヤ教徒たちを怒らせました。自分たちのみのexclusive救いを欲したからです。彼らはピシディア・アンティオキアの町の権力者たちを使います。「身分の高い敬虔な女性たち」は正統派ユダヤ教徒に好意的な女性たちです。「町の第一人者たち」は自治を握っていた男性たちです(50節)。これらの非ユダヤ人富裕層権力者たちのお墨付きでもって、バルナバとパウロを迫害し、町から追い出したのでした。ユダヤ人正統は救いの区域、自らの支配の区域を常に意識しています。その態度が自らを裁くのです。

 このような事態は、イエスの神の国運動以来弟子たちが経験してきたことです(ルカ福音書10章11節)。逃げるは恥だが役に立つ。足の塵を払ってパウロとバルナバは、後ろに引き返すのではなく「前に」逃げました。東南東へ140㎞、イコニオンへと移動します。そこにも会堂があると聞いたからです。

 ほんの20日ほどの滞在でありながら、ピシディア・アンティオキアの町にはキリスト教会が立ち上がり、「弟子」が新たに生まれました(52節)。パウロとバルナバがずっと共に居ることが大切なのではありません。イエス・キリストを証言する弟子によってキリストの教会がその町に立てられことの方が、より大切なのです。この弟子たちは二人なしで、教え・交わり・パン裂き・祈りに熱心で、家ごとに集まって礼拝をしていたことでしょう(2章42-47節)。パウロとバルナバはイコニオンにしか行かれませんでしたが、残った弟子たちは全方向に伝道をしていったことと思います。初代教会という運動は、このような匿名の信徒たちの布教活動です。

今日の小さな生き方の提案は、すべての人が神の子であるという福音に立ち返ることです。わたしたち教会の者も、常にこの原点に立ち返る必要があります。「会堂が解かれる」経験を断続的にでも続けたいと思います。各個教会は固有の型を持っています。伝統です。型を持ちながら型を崩す柔軟さが必要です。型は、型にはまらない人を区分けして「神の子にあらず」と判断してしまいます。その裁きの升によって、自らが裁かれるのです。自らの神の子性を損なうような生き方は避けるべきです。神の子は、隣人が神の子であることを喜ぶものです。自ら隣人になっていくものです。「見よ、私たちは諸民族の中へと向きを変える」。わたしたちもまた、ピシディア・アンティオキア教会に倣って、内側にのみ向かうのではなく、全方角へと向かっていきましょう。そして全方角からの来客を歓迎しましょう。この主日も次の主日も教え・交わり・パン裂き・祈りに熱心であり続けましょう。