知憲のススメ3 「前文」その三

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、先制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 

今回は「前文の第二段落」と呼ばれる部分です。前文は全部で四つの段落でできています。第二段落は「平和主義」について詳しく説明しています。どのような考え方に基づいて平和を造りだそうとしているのかという説明です。

ちょっと脇道。「前文の役割ってなあに?」ということが、時々問題になりますので、ここで整理します。①前文は憲法の条文の一部です。単なる前置きではありません。たとえば「平和的生存権」という権利の大きな根拠は、「前文の第二段落(おっ、今日の部分!)」にあり、実際の判決でも前文は普通に条文として引用されています。②前文は憲法の全条文を貫く原則です。単なる条文ではありません。この意味で一番大切な条文です。たとえば、他の条文をどのように理解するべきか解釈で困ったときには前文を振り返ります。前文に書いてあることと違う解釈をしてはいけないからです。

本筋に戻ります。憲法は、「国」ではなく「民」が平和づくりをする主体であり、平和のうちに生きる権利を持つ主体であると言います。第一段落にも「諸国民との協和による成果」とあります。第二段落にも、「諸国民の公正と信義」や「全世界の国民が…」とあります。決して「諸国」や「全世界の国家」と書いていません。この違いを意識することはとても大事なことです。

平和をつくるのは「国家同士の安全保障」という考え方によらないと前文は語ります。安全保障とは、簡単に言えば軍事同盟のことです。日本という国はアメリカという国と二国間の軍事同盟を結んでいます。この政策は前文違反です。在日米軍の存在は違憲です。むしろ政府は米国も含む世界中の人々と、日本に住む人々との民間交流に努力すべきでしょう。「国連軍による安全保障」という考え方をも、平和憲法の前文に基づいて批判することが国際社会において名誉ある地位を占めることとなります。

平和を受け取る権利があるのは日本という国ではなく全世界の人々だと前文は語ります。沖縄だけではなく世界中にある軍事基地の撤去が必要です。また、仮に軍事同盟によって大きな国同士が戦わなくなっても、世界のどこかのたった一人の人でも生命の危険にさらされているなら、その人の生きる権利を守るためにわたしたちは努力しなくてはいけません。「人間の安全保障」という考えが国家間の安全保障より重要です。ましてや武器を売って紛争を助長し金儲けしようという卑劣な行為は論外です。