礼拝の自由を求めて 出エジプト記3章15-22節 2015年2月22日礼拝説教 

先週は「わたしはある/成る(エフイェ)」という神の名について考えました。エフイェという名前はヤハウェという名前に対する、E集団による応答であるという説明をしました。ヤハウェという名前が、「彼はあらしめる/成らしめる」という意味だからです。今日は「ヤハウェとは何か」を考えます。ヤハウェが新共同訳聖書でも「主」と翻訳され(15・16・18節)、新約聖書においては「イエスは主である」(ロマ10:9、フィリ2:11)という言葉が、最も基本的な信仰告白であることからも問題となります。「旧約聖書における主とは何か。それは新約聖書のイエス・キリストと何の関係があるのか」という問いです。

ちなみに、文語訳聖書は旧約聖書のヤハウェを「ヱホバ」と翻訳していました。英語の欽定訳聖書に倣ったのでしょう。固有名詞であることを明らかにしているという利点と、母音記号の付け間違えという欠点を持っています。Y-H-W-Hという子音には、Ya-Ha-We-Hという母音を復元することが学問上定説となっています。Ye-Ho-Wa-Hではないということです。

話を戻します。ヤハウェという名前を初めに「主」と翻訳したのはギリシャ語を使うユダヤ教徒でした。エジプトのアレクサンドリアという大都市に住むユダヤ人信仰共同体が、モーセ五書をギリシャ語に翻訳した時に(紀元前3世紀ごろ)、ヤハウェを文字通りに音訳せずに「主(キュリオス)」という単語に訳したのです。キュリオスとは「主人」「所有者」という意味の普通名詞です。

翻訳者たちが持っていたヘブライ語写本は、今日わたしたちが底本としている写本とは家系が異なるものでした。それを創世記から訳していく時に、その人たちはヤハウェという名前が用いられたり、エロヒムという名前が用いられたりすることに気づきました。これは不整合です。そこで、翻訳者たちはヤハウェだけが登場する時に、「キュリオス・セオス(主・神)」と訳すことに決めました。このキュリオスが世俗的な意味ではなく、神の名前だということを示すためです。また、十戒の第三戒には「あなたの神、ヤハウェの名をみだりに唱えてはならない」という戒めがあります(出20:7)。前3世紀の時点でユダヤ人たちは神の固有名の呼び方を忘れてしまっていた可能性もあります。さまざまな理由で七十人訳聖書においてヤハウェはキュリオスと翻訳されました。

イエスという名前はヘブライ語ヨシュア(イェホシュア)=アラム語イェシュアの音訳です。「彼は自分の民を罪から救うから」(マタ1:21)、イエスと名付けられたとあります。Ye-Ho-Shu-a‘は「ヤハウェは救う」という意味の名前です。イエスの名前自体に、旧約聖書のヤハウェとの同一視の根があります。「彼は成らしめる」というヤハウェは、無条件の救いを成し遂げたイエスにおいて、完全に実現したのです。

そしてイエスの十字架と復活の後、キリスト教会はギリシャ語旧約聖書を用いることを決めました。正統ユダヤ教から異端とされ破門された大きな原因は、「(写本の家系が異なるがゆえに)かなり内容に相違があるギリシャ語訳聖書の自由な解釈をナザレ派が行っている」ということにありました(例、イザ7:14)。正統ユダヤ教はキリスト教の態度への反発から、それ以後ヘブライ語のみを聖なる言語として、あらゆる翻訳を排除します。そして当時彼ら彼女らが持っていた家系の写本以外を徹底的に滅却したのでした。

実際パウロという人が引用している旧約聖書は、ほとんどギリシャ語訳聖書であることが知られています。彼はヘブライ語聖書をあまり用いない人でした。そして新約聖書全体もアラム語・ヘブライ語ではなく、ギリシャ語で書かれました。キリスト者たちは、旧約聖書を読むときにヤハウェという文字に接さないで、キュリオスという単語のみを知るということになったのです。そのキュリオスと、新約聖書のキュリオスであるイエスと同一視するのは自然な現象です。教会で「イエスはキュリオスだ」と唱えているからです。こうして三位一体の神への信仰が準備されます。旧約聖書のヤハウェ/キュリオスは、新約聖書のイエス/キュリオスと同じ神であるという信仰です。

ギリシャ語訳聖書の翻訳と、それを選択したキリスト教会の歩みが、三位一体の神への信仰へと結晶しました。だからわたしたちは、旧約聖書の主ヤハウェを主イエス・キリストと同一視するのです。

ヤハウェという神の名を積極的に用いる今日の箇所の全体はJ集団の筆によります。「これこそ、とこしえにわたしの名/これこそ、世々にわたしの呼び名」(15節)という具合に、Jはヤハウェという名前を最大限にほめたたえます(詩135:13)。17・19・20節はDが書き加えたと推測できます(8節後半、また申命記6:21以下も参照)。ちなみに七つの民族以外にも、「乳と蜜の流れる地」「強い手」「驚くべき業」なども、Dがよく用いる鍵語です。今日はJに特徴的な思想に焦点を合わせて説明をいたします。Jの思想は「人間臭い神」「両義的な教え」「自由」という特徴を持っています。「人となった神の子イエス」「人々を自由に解放したイエス」と重なり合う思想でもあります。

16節と18節のヤハウェの言葉は、Jの考え方を表しています。これらの言葉は、モーセのための台詞です。初対面であるイスラエルの長老や、エジプトの王を前にして言うべき言葉をヤハウェ自らがモーセに伝授するという部分です。親が子どもに初めてのお使いを頼む時のように、懇切丁寧にヤハウェはモーセを指導します。この態度は、イエスが二人の弟子を遣わしてロバを借りる時の場面を思い出させます(マコ11:3)。

16節の言葉はヤハウェという神の特徴をよく示しています。「ヤハウェはわたしに現れた」という言葉の直訳は、「ヤハウェはわたしに見られた」です。非常に直接的にモーセがヤハウェを見たと言っています。人に見られうる人間臭い神です。さらに、「顧み・・・つぶさに見た」と二つの動詞であるかのように訳されている単語は、一つの動詞の強調形です。「訪れる/観察する」という言葉です。7節の「つぶさに見」とは違う動詞ですから、別の訳語が良いと思います。ヤハウェもまた直接的にヘブライ人たちを観たと言うのです。ヤハウェは人を訪れ間近で凝視できる人間臭い神です。そして、人と神が相互的に見ること・見られることが可能だとJは言っています。

人となった神の子イエス・キリストによって、この相互に見ることは実現しました。ユダヤ人がサマリア人に対して行っていた酷い仕打ちを、ナザレのイエスはつぶさに見たのでした。ユダヤ地方によって差別されていたガリラヤ地方の人々や、成人男性によって貶められていた女性たちや子どもたち、宗教者たちによって汚れたとみなされた徴税人・娼婦・罪人・烏のような動物を、イエスはよく見たし、彼ら彼女らもイエスをじっと見たのでした。

見ることは同時に見られることです。そして目と目を合わせることは、信頼関係を構築する大きな手段です。イエスにいやしや助けを乞うた人々は、イエスの目を一所懸命に見た人たちでした。そしてイエスはその人の目を見て、「あなたの信があなたを救った」と言って、必要ないやしや救いを与えたのでした。ヘブライ人たちとヤハウェの間にも、そのような信頼関係があったのです。

モーセがヘブライ人の指導者として受け容れられるということは、モーセもヘブライ人となり、ヤハウェを見・ヤハウェに見られる信頼関係に入ることを意味します。いや、モーセはここで直接にヤハウェと言葉を交わしているのですから、見る・見られる関係にすでに入っているのです。だからヤハウェは、「彼らはあなたの言葉に従う」(18節)と自信をもって言うことができたのでしょう。

18節のエジプトの王に対して言うべき内容の言葉は、救いとは何かということを説明しています。「ヘブライ人の神、ヤハウェがわたしたちに出現されました。どうか、今、三日の道のりを荒れ野に行かせて、わたしたちの神、ヤハウェに犠牲をささげさせてください」(18節)。犠牲をささげるという行為は、礼拝をするという意味です。犠牲とは動物の犠牲です。動物の血を流すことや、祭壇で燃やしてその煙を天に昇らせ、匂いを天の神に嗅いでもらうということを、礼拝行為としてヘブライ人は行っていたのでした。それは族長たちが羊など家畜を飼う遊牧民であったことと深く関わる文化的な事情です。十字架の贖罪という教理も、この文化的背景無しには説明困難です。

ところで、エジプト人は羊飼いを忌み嫌う文化を持っていました(創46:34)。エジプト人にとっては動物の犠牲祭儀も文化的に受け入れられなかったと推測されます。ナイル河畔の肥沃な土地を耕作する農業が彼ら彼女らの生活の基盤だったからです。エジプトの町々で、ヘブライ人たちが動物を犠牲にし、それを燃やす礼拝を自由にできるはずはなかったのです。「三日の道のりを荒れ野に」という言い方に切実な願いが込められています。またエジプト人が、ヘブライ人と食卓を共にすることも忌み嫌ったとも報告されています(創43:32)。被差別部落の人々が「と畜」や皮革産業を生業とするがゆえに忌み嫌われ、食卓から排除されていたことと似ています。

さらにエジプトには王を太陽神ラーの子と崇拝する文化もありました。ヤハウェの神のみを礼拝することは、国家宗教に反する非国民の取るべき態度なのです。出エジプトの理由は、思想信条の自由、礼拝する自由、しかも自分たちの好きな礼拝を選び取る自由にあります。礼拝行為こそが救いそのものです。

21-22節はJらしい興味深い記事です。一部のエジプト人はヘブライ人の出エジプトに好意的だったとするからです。12:35-36で改めて取り上げるので、今日はこれ以上深入りしません。

モーセは80年近くヤハウェの名を呼ぶ礼拝、ヤハウェに犠牲をささげる礼拝をしていない「他行会員」でした。ヤハウェを礼拝することがヘブライ人にとって全存在・いのちに関わる大きなことであると自覚しないままに生きていました。ヤハウェはモーセに思想信条の自由の大切さを教え、これこそが出エジプトの肝であり、真に人間の解放・救いなのだと丁寧に教えたのです。ヘブライ人の指導者たるべきモーセは、自分の民が本当に困っていることの真相を知るべきです。ヘブライ人はエジプトで文化的少数者として忌み嫌われ、文化の典型例である礼拝の自由が制約されていたのでした。奴隷が自由人に買い戻されることを贖いと言います。救いとは、礼拝の自由をとりもどすことです。

今日の小さな生き方の提案は、自分たちの選んだ礼拝を行い続けましょうということです。思想信条の自由の保障度は、立憲民主主義社会の成熟度を示す指標です。文化・生活様式・礼拝内容の違いによって人を軽蔑してはいけません。政教一致した国家宗教による、「選びの強制」を警戒しましょう。権力への監視が必要です。

その一方で、毎週の礼拝でわたしたちは継続して救いを経験していきましょう。礼拝は神を見・神に見られることです。日常の苦労をさらけ出し(見られ)、神の名を呼びつつ仰ぎ(見る)、嘆き祈り(聞かれ)、励ましと慰めを聞き、いのちのパンを分かち合うのです。この面と向かった相互行為の只中に、ヤハウェ・キュリオス・イエスがおられます。「彼は成らせる」。わたしたちのいのちを成立させ、わたしたちの交わりを成らせるのです。救いそのものである礼拝に参与しつつ、それをこれからも共にかたちづくっていきましょう。