神我らと共に  2015年12月24日 イブ礼拝説教

Star Warsの中に「フォースが共にあらんことをMay force be with you」というセリフがあります。この言葉は、別れ際の挨拶「神が共にあらんことを」のもじりです。神が共に居るということは、何よりも心強いことという考え方を、お互いに共有しているからこそ成り立つ挨拶です。Good byeも、May God be with youの省略形です。

キリスト教は複雑な教理を持つ宗教です。しかし煎じ詰めればただ一言に尽きます。神がわたしたちと共に居るということを信じ、それによって幸せを得るということです。聖書は分厚い本ですが、首尾一貫して神がわたしたちと共に歩いたということを語っています。聖書の神は、場所や形式にとらわれません。民族や国家にもとらわれません。常に一人ひとりと共に居られます。それを信じて幸せを得る人をキリスト者と呼びます。

クリスマスも「神我らと共に」を感じるひと時です。教会では、神が人となったと考えるからです。神の子であるイエスが、人間の赤ん坊として生まれたということは、人間に対する神の深い連帯感を示します。自ら混沌を招き、闇をつくりだしている人間たちの社会の中に、神がロウソクの火を灯すような出来事です。イエスの周りに光を求めて座り、イエスの言葉を聴いて行ううちに、混沌状態の人々が愛と正義を行うように整えられていきます。「人の世に熱あれ、人間に光あれ」の実現です。

ところで世界は、「わたしたちと共に神が居る、正義は我らと共に」と強弁する者たちの争いに満ちています。「神我らと共に」は、論敵・政敵を排除する思想と結びつきやすいことに注意が必要です。排除の思想も混沌の一形態なのです。

「神我らと共に」の「我ら」とは、わたしたちの敵をも含む言葉です。ここには想像力が必要です。なぜかといえば、神が神の子を特定の仲間にだけ与えたのではなく、全世界のために与えたからです。わたしの嫌いな人のためにもキリストは生まれ・殺され・よみがえらされたからです。わたしと常に共におられる神は、世界中の人や、その他のいのちと常に共におられる創造主です。

わたしたちは「神我らと共に」を排除の思想に用いるのではなく、共生と寛容の平和の実現のために用いなくてはいけません。そしてすべての他者に対して、「神が共にあらんことを」と平和の挨拶を交わし続けたいと願います。それがクリスマスのメッセージです。