約束の石塚 創世記31章43-32章1節 2019年7月14日礼拝説教

冷静に憤るヤコブからの説得力ある反論を受けて、ラバンはうつむきながらしばらく黙っていました。感情的に血走っていた眼も穏やかになっていきます。顔を上げ答えようとし、しかしためらってまたうつむき、言葉を選んでラバンは慎重に答えます。この間に、ラバンの中に納得が調達されます。

「そしてラバンは答え、彼はヤコブに向かって言った。『かの娘たちは私の娘たち、かの息子たちは私の息子たち、かの羊は私の羊、あなたが見ている全て、これは私に属する。そして私の娘たちのために、今日私はこれらのために何をしよう。あるいは彼女たちが生んだ彼女たちの息子たちのために。そして今あなたは行け。私とあなたは契約を契ろう。そうすればそれは私とあなたの間の証(エド)になる』」(43-44節)。

ラバンは素直に過去の悪行について謝罪をしていません。彼の家長としての面子がそれを許さなかったのでしょう。彼の兄弟たちの前で、そんな無様な態度は見せられないのです。このアラム人ラバンの態度は、後の歴史に火種を残します。後の北イスラエル王国は、このギレアドの辺りの領土を巡ってアラム王国からの侵略戦争に悩み続けます(列王記上20章以下等)。侵略し貪った側がきちんと謝罪しない限り、隣国との摩擦は続くものです。

ラバンの言い分は、むしろ恩着せがましい言い方です。ヤコブの目の前にある人々や家畜は全てラバンに由来するのだから恩を忘れるなと言います。ただ、ラバンは「今日私はこれらのために何をしよう」ということに集中します。ギレアドから、娘たち・孫たち・羊たちをハランまで奪い去ることが良いことだろうか。有利な条件を見出すための交渉を続けるべきだろうか。しかも大義もないままに。ラバンは、ヤコブが神像を盗んだことを大義として難癖をつけていました。しかし当の神像は見当たらないのです。

ラバンの行動は、確かに謝罪を欠いています。「今・ここ」主義、場当たり的です。しかし、彼なりに今自分が子孫にできることは何かを考えています。出来が悪いなりにも振り上げた拳を下げる行動です。ラバンは納得して剣をさやにおさめようとします。そしてヤコブに呼びかけます。契約を締結しよう。相互の不可侵条約を結ぼう。それはラバンにとって娘たち・孫たちと二度と会わないという約束です。苦渋の決断です。

ヤコブはラバンの言葉に信実を見ました。血走っていた目は涙で潤んでいるようにも見えます。ヤコブは、その昔父イサクのもとに来たペリシテ人アビメレクの姿を思い出します(26章26節以下)。諸天幕を管理する実務家ヤコブは、父イサクと共に、アビメレクとその重臣たちとの会談に同席していたと思います。その時、イサクはペリシテ人との不可侵条約にサインをしたのでした。その際に、彼らは食事を共にしています。

「そしてヤコブは石を取り、彼はそれを石碑として立てた」(45節)。ヤコブはまた一人でハランに来る時に石の枕を石碑として立てたことも思い出しました(28章18節)。その時、ヤコブはベテルという名前を土地に付けています。石碑を立てて、土地に名前を付けて、神の前で契約を結ぶことが良いと思いついたのです。ラバンは、ヤコブが石碑を立てたことから、ヤコブが自分の呼びかけに応えて契約を結ぼうとしていることを察知します。

「そしてラバンは(古代ラテン語訳による)彼の兄弟たちに言った。『石々を集めよ』。そして彼らは石々を取った。そして彼らは塚(ガル)を作り、そこで塚に接して食べた」(46節)。

新共同訳に反してヤコブではなくラバンと彼の兄弟たちが石塚を作ったと解します。ヤコブが柱状の石碑を一つ立てたことに呼応して、ラバンたちが様々な形の石を集めて塚を作ったと推定するのです。それによって、「ガル(塚)」も「エド(証)」も、ラバンに由来することになります。だからこそ、まずラバンが「エガル・サハドタ」とアラム語で名づけ、それをヤコブが「ガルエド」とヘブライ語で名付けることとなります(47節)。いや正確にはヤコブの名付けもラバンの翻訳によるものです。わざわざラバンがヤコブのためにヘブライ語で翻訳して意味を教えてあげたというのです。「この塚(ガル)は私とあなたの間の証(エド)」(48節)。

今日の箇所で、ヤコブはまったく言葉を発しません。すべて取り仕切っているのはラバンです。だから46節「石々を集めよ」のみをヤコブの発言と理解しない方が良いでしょう。ヤコブは舅に花を持たせています。二人の会話は、ハランでも当然そうであったように、アラム語のみでなされたのでしょう。アラム語はヘブライ語の「方言」ではありません。両者の関係はむしろ逆で、アラム語こそ国際公用語として広く普及していたのです。支配的言語でラバンはヤコブを支配し、翻訳までして「良い支配者」ぶりを示します。ヤコブは黙って従います。忍従というイサクの道に従います。ガルエド=ギレアドという地名の名づけの功績はラバンに帰されても、ヤコブは別に構いません。無事に解放されれば良いからです。機嫌よく見送ってくれさえすれば良いのです。

この逸話はギレアドという地名の原因譚です。そしてギレアドだけではなくギレアド地方のミツパという地名の原因譚でもあります。

「またミツパと(も呼んだ)。彼は言った、『ヤハウェが私とあなたの間を見張るように(ツァファー)、なぜなら私たちは互いに隠れ合うのだから。もしあなたが私の娘たちを苦しめるならば、またもし私の娘たちと並んで妻たちを娶るならば――私たちと共に人はいない――、あなたは神(を)見よ、私とあなたの間の証人(エド)を』」(49-50節)。

ラバンは、神のみを見張りとして立てることを要求します。人間の仲立ちはいらないし、実際告げ口をするような人はいないのです。なぜなら、この契約は500km以上の距離を保って互いに隠れ合うという約束だからです。ヤコブがレアとラケルを悲しませることをしてもラバンは何もできません。あまりにも離れているからです。神のみが見張る契約です。それだけに良心が問われる厳しい約束とも言えます。この厳しさは結婚というもの全般に当てはまります。

「見よ、この塚を。また見よ、私が私とあなたの間に立てた石碑を。この塚は証(エド)、また石碑は証。私があなたに向かってこの塚を渡らないかどうかの、また、あなたが私に向かってこの塚と石碑を渡らないかどうかの(証)、この悪のために。アブラハムの神とナホルの神が私たちの間を裁くように、彼らの父の神が」(51-53節)。

ここでも「渡らない」という否定的な言葉が契約の内容であることが繰り返されます。ヤコブたちが渡る(アバル)ことが最後となるべきなのです。お互いは境界線を渡らない人々・距離を保つ人々であろうというのです。

ラバンが、石碑を自分で立てたというのは事実の間違えです。実際はヤコブが立てました。しかしもっと重要なずれ、思想信条に関わる問題があります。それはラバンが、神々と石碑・石塚を同一視していることです。アラム人ラバンにとっては、神が石のような「像」の姿を取ることは自然です。また、それが複数あることも自然です。一方でラバンは、「ヤハウェ」というヤコブの信じる固有の神の名も挙げています(49節)。「神(エロヒーム)」も単数形の「証人(エド)」で受けているので(50節)、ヤハウェとエロヒームは同じ一つの神です。共通の先祖であるテラの神である限り一人の神です(53節)。しかし他方で、ラバンはテラの子アブラハムの神とその兄弟ナホル(ラバンの祖父)の神とを同一視していません。「裁く」の主語は複数です。おそらく羅盤の理解によれば、ヤコブが立てた一つの石碑がヤハウェを象徴し、ラバンらが複数の石で築いた塚がナホルの神やハランの神々を象徴しています。

ラバンの言葉はヤコブに色々と失礼です。しかしここでもヤコブは反論しません。例えば事実誤認の指摘をしません。「見えない唯一の神を信ぜよ」などと「異教徒」に向かってお説教もしません。「そしてヤコブは彼の父イサクの畏れにおいて誓った」(53節)。もちろんヤコブは石碑を偶像視したり、塚にかけて誓ったりしません。それらはヤコブにとって神ではないからです。しかし契約・誓約は自分の神の前できちんと行います。「和して同ぜず」です。

ここからヤコブが仕切り始めます。犠牲祭儀とそれに続く契約の食事という、固有の伝統にラバンと彼の兄弟たちを巻き込んでいくのです。「そしてヤコブはその山で犠牲獣を奉献し、パンを食べるために彼の兄弟たちを呼んだ。そして彼らはパンを食べ、その山に泊まった」(54節)。ヤコブは白くない羊を一頭つぶします。そして自分の子どもたち・妻たち・男女の召使いたち(彼の兄弟たち)と、ラバンと彼の兄弟たちを呼びます。犠牲を捧げることは礼拝ですから、彼ら彼女たちは共に礼拝を捧げ、その一部として共にパンを食べました。

ヤコブはラバンに属する白い(ラバン)羊を食用につぶしたことはありません(38節)。しかしヤコブはラバンのために自分の群れから白くない羊を礼拝および晩餐用に捧げたのです。ヤコブはラバンに最後まで仕え、ラバンたちを水平の礼拝・食事に呼びました。もはや雇用主と雇い人の関係ではありません。舅・婿でも、伯父・甥でも、アラム人・ヘブライ人でもありません。「きょうだい」です。こうして和解の契約が成し遂げられ、恵みがラバンを変えます。

私たちが礼拝・主の晩餐において、カルバリ山で殺されたイエス・キリストを記念し、献金を捧げ、共に食べることの原型がここにあります。関根正雄は「聖餐」という訳語を、この箇所に用いています。ヤコブは、ハランの神々を信じる偶像崇拝者ラバンらと共に、ヤハウェ・エロヒームを共に礼拝し、お互いの契約を神の前の契約に仕立てました(出エジプト記18章、24章も参照)。ギレアドの山は、神の山(神の啓示される山)です。

「そしてその朝ラバンは早起きし、彼の息子たちと彼の娘たちに口づけし、彼らを祝福し、行った。そしてラバンは彼の場所に帰った」(1節)。迫害者ラバンは、娘たちや孫たちと初めてヤハウェの神を礼拝しました。それは本当に素晴らしい経験でした。ヤコブには言えなかった悔い改めを、ラバンは夢で出会った神にのみ告白できたかもしれません。本心に立ち返って悔い改め、ラバンは悪い言葉を一切吐かずに、ヤコブ一家に親しい挨拶をし、一家を祝福したのです。あの水平で包含的な礼拝を経験したラバンにとって、息子たち・娘たちの中には、ヤコブも含まれています。ラバンは二度と登場しません。それは彼が一線を越えずに契約を守り抜いたということを意味します。

今日の小さな生き方の提案は共にパンとぶどう酒をとることです。誰をも招く礼拝は人を素直にさせます。主の晩餐という儀式にとって線引きは重要ではありません。「きょうだい」として全員を含むことです。それは、逆に互いに適切な距離を保つためでもあります。儀式的食事の効用です。実際の食事ならば私たちは近すぎて問題を起こします。ちょっとずつ一人ずつだから、適度な距離が保たれ、互いを尊重できるようになります。実際の肉親であっても、越えてはいけないことをしないようになる。こうして人は、隣人の間で・神の前に素直になれます。肩肘張らず、平日の自分の場所に立ち戻ることができます。