罪深い者 ルカによる福音書5章1-11節 2016年8月21日 礼拝説教

ベトサイダのシモン、後に「ケファ(ガラテヤ1章18節。アラム語で岩の意)」ないしは「ペトロ(ギリシャ語で岩の意)」と呼ばれる人物は、どのような人だったのでしょうか。彼はベトサイダからカファルナウムに移り住んでいます。ベトサイダという町は、四分封領主フィリポがローマ皇帝を顕彰するために再建したローマ風の新しい町です。意味は「漁業の家」です。

シモンにはアンデレという弟がいます(マルコ1章16節)。アンデレという名前は純粋にギリシャ語名です。シモンはギリシャ語名であり、シメオンならばヘブライ語名です(使徒15章14節)。シメオン/シモンには、サウル/パウロと同じように、二つの名前が生まれつき与えられていたのでしょう。子どもたちの名前は、親の傾向を示します。シモンとアンデレの両親は元々地中海沿いのギリシャ語圏に暮らすユダヤ人で、ガリラヤという国際的通商が盛んだった地域の中の新しい町ベトサイダで一旗揚げようと移住し、ギリシャ語を操り水産業に従事し、子どもたちにも国際的な仕事をするようにと願っていたのかもしれません(ヨハネ12章20節以下も参照)。

ベトサイダから何らかの事情でシモンとアンデレの兄弟はカファルナウムに引越しします。シモンの結婚だけが理由ならば、弟が同居している理由は分かりません。もしかすると、シモンとアンデレはベトサイダに住むことができない何事かの「違法行為」をしてしまったのかもしれません。ヨハネ福音書は、弟アンデレが(シモン・ペトロもか)バプテスマのヨハネの弟子だったということを記し(ヨハネ1章40節)、アンデレが兄シモンにイエスを紹介するという場面を紹介しています。ヨハネ福音書は、兄弟がベトサイダの町に居られなかったという事情をほのめかしています。彼らは荒野で修道生活をするヨハネ教団に、出家を隠れ蓑として一時避難していたのかもしれません。

夜逃げに近い形で故郷を追われ飛び出したシモン・アンデレ兄弟は隣町のカファルナウムに住むことになります。そこに大きな網元、漁師たちの総元締めが居ました。ゼベダイという人物です。ゼベダイには二人の息子がおり、ヤコブとヨハネと言います(10節)。この三人の名前は完全にヘブライ語ユダヤ民族名です。当時ユダヤ民族主義が庶民の間でも高まっていました。特にガリラヤ地域は愛国心の強い人々が多かったと言われます。そこで、旧約聖書の登場人物にちなんだヘブライ語名が流行っていたのです。ゼベダイは、息子たちに民族自決の願いを込めて流行りのヘブライ語名を付けたのでしょう。

もしかするとゼベダイはギリシャ語がそんなに上手くなかったのかもしれません。ギリシャ語の堪能なシモン・アンデレ兄弟の就職先が見つかりました。二人はゼベダイに雇われ、ゼベダイ家の労働者になります。兄弟には所有の舟も網もありません(3節「持ち舟」は訳し過ぎ)。漁の道具は網元ゼベダイのものです。それらを使って漁をして、ゼベダイから給料をもらうのです。また、魚を売り流通させる際の通訳や営業として働くのです。

初めはゼベダイ家の住み込みだったかもしれませんが、二人は懸命に働きました。シモンは地元の女性と結婚することにもなりました。その女性は母親と二人暮らしで、父親はすでに他界していたようです。苦労していましたが、家はありました。こうして、諸条件がそろって、シモンの結婚の時期に、シモンの妻の実家に、アンデレも共に住むことになったのではないでしょうか。

後に年若いヤコブ・ヨハネ兄弟が、シモンに激しい対抗意識を持つことになった理由は、父ゼベダイとの関係があるからではないかと推測します(マルコ10章35節以下)。「雇い人風情が」という御曹司的な発想が常にシモンに対してあったように思えます。そして、ヤコブとヨハネだけが、「父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った」(マルコ1章20節)とあるのは、シモンとアンデレが流れ者の雇われ漁師だったことを裏側から証言しています。また、シモンとアンデレがカファルナウムに流れ着いてきた理由について、人々は悪い噂を聞いていたようにも思えます。「あいつらは罪深い男たちだ」と考えていたかもしれません。

排除されていたシモンから見れば、安息日の会堂礼拝で悪霊祓いを行ったイエスならば、自分たちのような後ろ指を指されがちな流れ者の家に泊まり、義理の母親の熱病も治してくれるに違いないという期待がありました。ナザレから排除されたイエスは、ベトサイダからもカファルナウムからも排除されがちなシモンの家に泊まらなくてはならなかったのです。ちなみに本多哲郎訳は、今日の箇所の小見出しを、「『罪人』と見なされていた漁師を弟子にする」としています。他方排他的なカファルナウムの住民から見れば、「あの人は、罪深い男の家のところに行って宿をとった」(19章7節)という感想を持ったことでしょう。ここは同じ構図のザアカイの物語が参考になります。

ガリラヤ地域を巡り歩いて(4章44節)、イエスはカファルナウムに戻ってきたようです(1節)。ゲネサレト(ガリラヤ)湖畔のとある場所に立つイエスは、前日シモンの家に泊まっていたのかもしれません。シモンは夜通し漁に出ていました(5節)。イエスはガリラヤ湖までシモンを迎えに行ったのでしょう。もしも大漁だったならばその場で魚を焼いて朝食を取るつもりだったのかもしれません(ヨハネ21章参照)。残念ながらその晩は不漁でした。シモンはがっかりしています。かわいそうにとイエスは思いました。

イエスを目撃したカファルナウムの住民が順に集まり始め、大勢押し寄せてくるという事態になりました。「神の言葉を聞こうとして」ということは、あの安息日の聖書の解き明かしの続きを聞こうとしたということでしょう。

イエスは漁を終えて網を洗っているシモンに頼み、「シモンの(使用している)舟」(3節)を沖に出してもらい、湖上から岸辺の群衆に語りかけることにしました。不安定だからでしょうか、イエスは座り、舟の上から人々に語りかけます。何とも牧歌的な風景です。シモンとアンデレはおそらく波に揺られながら、徹夜の労働の直後ですから、居眠りをしていたのだと思います。それでも大恩あるイエスの頼みですから、なるべく協力したかったのでしょう。カファルナウムの住民と距離があることは、別に彼らにとっては構わないでしょう。この場合、イエスの側に居る特権が嬉しかったと思います。

教えが終わったすぐ後に、イエスはシモンを驚かせました。「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」(4節)。シモンとアンデレはすぐに家に帰って眠りたいほどに疲れています。その気持ちが「先生、わたしたちは夜通し苦労しましたが、何も取れませんでした」(5節)という言葉によく出ています。「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」。直訳は、「あなたの言葉に基づき、わたしは網を降ろします」です。新共同訳は「しかし(デ)」を強く訳しすぎです。普通「さて」と訳すか、この語順なら訳出しないのが自然です。ギリシャ語の一文は、最初の単語に最大の強調、最後の単語に二番目の強調があります。この文に当てはめると、「に基づき(エピ)」に最大の強調があり、「網」に二番目の強調があります。

シモンは徹底的にイエスの言葉に基づきたかったのです。「この聖書の言葉はあなたの耳の中で実現した」と語る言葉、悪霊を叱りつけ、姑の熱を叱りつけた言葉。これらの言葉に力がありました。だからイエスに言葉で頼まれると否と言えません。その言葉には、そのまま出来事になる力があるからです。「網」への強調は、「今洗ったばかりの網を用いなさいということですね」という皮肉が込められているのでしょう。シモンと弟アンデレは沖へ漕ぎ出します。

すると大漁となり、もう一艘の舟まで必要となりました(7節、2節も参照)。おそらくこのもう一艘の舟には、徹夜で漁をせずに済んだ御曹司たち、ヤコブとヨハネが乗り合わせていたのだと推測します(10節)。

大漁の奇跡を引き起こしたイエスの本意はどこにあったのでしょうか。恐らく、シモンの姑や妻の喜ぶ顔、シモンとアンデレの喜ぶ顔が見たかったのだと思います。一家は苦労しています。夜勤も慣れているとはいえ体に堪えます。不漁の朝は不機嫌にもなるでしょう。給料に響くからです。イエスは空腹の者をそのままになさらず、満腹という良いもので満たす救い主です(1章53節)。サレプタのやもめに対するエリヤの奇跡が(4章26節)、イエスによって引き起こされています。時代に翻弄されている一家の救いのためイエスは油注がれ遣わされたのです。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」(使徒言行録16章31節)。

魚が網の中でおどっている姿を見て、舟の中シモンはイエスの前で土下座をします。「私から出て行ってください、なぜなら私が『罪深い男』であるから、主よ」(8節、直訳風私訳)。「罪深い」はルカ特愛の単語です。特に7章37節、19章7節の類似表現を見ると、世間からレッテルを貼られている人物に用いられる単語です。シモンはイエスの好意を受け続けることが重荷となったのでしょう。熱(悪霊)が出て行って、イエスの霊が姑にも妻にも自分にも宿っています。イエス自身が自分たちの家に宿っています。さらに魚までがただで贈られます。ましてや少し疑いながら漁をしているのに大漁です。恐縮ものです。無条件の赦しや圧倒的な恵みというものは恐ろしいことなので、逆に悪霊と同様の扱いになり、「私から出て行ってください」とシモンは言います。「罪深い男」と呼ばれ、誰も自宅の客にならない方がましだということです。

イエスはこの拒否を否定します。「恐れるな」(10節。1章13節、同30節、2章10節)。無条件の赦しを拒否することは許されません。「今からあなたは(『罪深い男』ではなく、)人間を生け捕りにする者であり続ける。」排除のためのレッテルを気にせず、すべての人間を排除しない新しいレッテルで生きよ、というイエスの勧めがあります。マルコの表現「人間の漁師」を、ルカは「人間を生け捕りにする者」と変えました。生け捕りにされた多くの魚と同じように、仲間を増やすこと、しかも相手を支配し魂を殺すためにではなく、相手をそのまま生かす包含的な交わりを作るようにと、イエスは勧めています。

「これからは自分だけではなく、姑の家にもっと多くの人々を招き入れれば良いではないか。また、姑のような定住の支援者に支えられながら、共に放浪の旅をしよう。排除されがちな者が尊重される交わり、神の国を実現する運動を一緒にしよう。恵みをみんなで分かち合い実現しよう。」イエスはシモンから出て行かずシモンもイエスから出て行かない。相互包含の関係が始まります。

こうしてシモンとその妻とアンデレ、またヤコブとヨハネと彼らの母親がイエスの旅に従い(マタイ20章20節)、シモンの姑とゼベダイはカファルナウムの町に残ります。放浪と支援という二つが神の国運動の中心です。

今日の小さな生き方の提案は、排除されない・孤立しない、神と人と共に生きるということです。苦労している人ほど自分の殻/レッテルに閉じこもる場合があります。イエスの言葉は殻を粉砕します。すべてのことは許されていますが、赦されていることを拒否することは許されません。恵みに生け捕りにされ、恵みを内に宿し、恵みと共に生きましょう。イエスの言葉に基づいて愛されているように愛するという交わりに、すべての人が招かれています。