美しい門にて 使徒言行録3章1-10節 2020年11月8日礼拝説教

1 さてペトロとヨハネは祈りの時間、九時に神殿の中へと上り続けた。 2 そして彼の母親の胎より肢体不自由な、とある男性が居て、彼は運ばれ続けていた。その彼を彼らは「美しい」と呼ばれている神殿の門に向かって日ごと置き続けていた、神殿の中へと入る人々から施しを求めるために、 3 その彼が神殿の中へと入りつつあるペトロとヨハネを見ながら、彼は施しを受けることを求め続けた。

 エルサレムで創設されたキリスト教会と、当時のユダヤ教の最重要礼拝施設であるエルサレム神殿の関係はどのようなものだったのでしょうか。ナザレのイエスは神殿貴族たちに殺されました。エルサレム神殿に勤めるサドカイ派の世襲祭司たちです。彼らは政治権力も握っていました。ユダヤ自治政府の議員のうち三分の二はサドカイ派のものだったからです。三権分立という考え方もない古代のこと、彼らはイエスに冤罪をかぶせて裁判を行い死刑判決を出しています。エルサレム神殿の利権に群がる人々が、イエス殺害の第一の責任者であることは全ての福音書が証言しています。

 その事件からわずか二か月ほどしか経っていません。死刑囚の弟子であるペトロとヨハネは、エルサレム神殿に上ります。彼らはエルサレム市街の宿屋もしくは信徒の家に寝泊まりしています。神殿はシオン山の最も高い場所にありますから、どこから行っても物理的に「上る」(1節)のです。また、神の住む場所(「主の家」)なのですから宗教的な意味でも「上る」のです。この「上る」にも未完了過去時制が用いられていますから、二人が定期的・継続的に神殿に行っていたことは事実でしょう。一体何のためなのでしょうか。なぜこの二人だけなのでしょうか。

 当時の神殿でなされていた礼拝がどのような内容だったのかはよく分かっていません。二人は毎日食事を共にしながら、毎週日曜日の夕食時にイエスをキリストと告白する礼拝をしています。神殿で「主(ヤハウェ)」をユダヤ人として礼拝する行為を並行して行っていたかもしれませんが、しかし「祈りの時間」とあるので祈るためだけかもしれません。仮に祈るためとしても、なぜ家や別の場所で祈らないのでしょうか。わざわざできたばかりの教会の最高指導者二人が命の危険を冒してまで、神殿で祈る理由は何なのでしょうか。

 ペトロとヨハネという人物について少し掘り下げてみましょう。二人は共にガリラヤ湖の漁師でした。ヨハネの父ゼベダイは網元であり、ペトロはゼベダイに雇われていた漁師でしょう。ペトロは二つの名前を持っています。ギリシャ名シモンとヘブライ語名シメオンです。弟アンデレの名前がギリシャ名であることから、兄弟の親はギリシャ語文化圏の人であることも推測されます。兄弟は非ユダヤ人居住者の多いベトサイダからカファルナウムに引っ越してきた国際派です。それに対してヨハネと兄ヤコブの名前は純ヘブライ語名です。網元ゼベダイが民族主義的な考えを持っていたことが伺われます。カファルナウムの地元民です。ヨハネが感情の起伏が激しい暴力的な人物だったことも民族主義的思想と重なります(ルカ福音書9章)。

 ペトロとヨハネは網を捨て家を捨てイエスに従います。最初期の弟子です。そして二人の間には競合関係がありました。考え方の違いも背景にあります。統率力の拮抗もあったことでしょう。どちらがイエスに次ぐ地位を得るかで熾烈な争いがありました(マルコ福音書10章)。イエスはどちらの弟子も愛していましたが、イエスが体を持っている間は両者の競合関係は終わりませんでした。復活のからだであってもそうです(ヨハネ福音書21章)。イエスの昇天と聖霊の降臨が事態を大きく変えました。これ以後ペトロとヨハネは争いません。

 イエスがいないということが決定的です。絶対的カリスマの存在は、ヒエラルキーの階段を作ります。権威の後ろ盾をいただきながら権力を思いのままにふるいたい。二人は「最も安全なかたちによる力の濫用」という誘惑に屈していました。全員に平等な聖霊が配られた時、くだらない競合が終わります。二人は全体のために協力して一肌脱ぎます。神殿という相手の懐に入って、教会に対する神殿貴族たちの反応を探るのです。それは使徒の仕事をエルサレムで公表することでもありました。「十字架で殺されたイエスはよみがえらされた。わたしたちはその証人である」。このことをエルサレム神殿でも機会があれば語るということを、あのペトロとヨハネが一緒に行うというのです。二人は殺される覚悟で定期的に神殿で祈ります。美しい勇気です。

 「美しい」と呼ばれた門がどこにあるのかは確定できません(2節)。むしろ、ここでは「美しい」という単語が文学的効果を狙って用いられていると考えます。そこで極めて美しくない出来事が毎日起こっていたからです。すなわち生まれつき肢体不自由の人が、その門に毎日運ばれ、置かれ続けていたということです。その目的は彼が参拝者に物乞いをするためです(2節)。憲法25条が無かった時代、社会福祉という考え方が存在しません。健康で文化的な生活を送る権利が個人にあり、近代国家にはその権利を保障する義務があります。企業に対する一定率のしょうがい者雇用義務付けもありません。しょうがいのある人は、生計を立てる手段がありません。貧困が決定づけられています。

 彼を毎日運び続けた人々は善意でそうしていたのかもしれません。彼が生き抜くためにはこれが一番と考えたのでしょう。しかし大きな問題があります。その人の尊厳や意思が置き去りにされているということです。彼は人々に運ばれ続け、人々は彼を置き続けました。それが神殿の「美しい」と呼ばれる門の近くで行われていました。神殿に捧げ物と現金を持ってくる参拝者を狙っていたのです。彼はペトロとヨハネにも施しを求めました(3節)。

4 さてペトロは、ヨハネと共に、彼の中へと凝視した後で、彼は言った。「あなたは私たちの中へと見なさい。」 5 さて彼は彼らに注目した、彼らから何かを受けることを期待しながら。 6 さてペトロは言った。「銀と金は私にない。さて私が持っているものを、これをあなたに私は与える。ナザレ人のイエス・キリストの名前において、あなたは歩きなさい。」 

 本日の箇所では「中へと(eis)」という前置詞が繰り返し用いられています(4節)。この単語の使い方によって、肢体不自由の男性の本心からの願いが推測できます。一つは、平等な人間同士による心の通い合った交わりです。ペトロは「彼の中へと凝視し」ます。今までの人生、毎日の葛藤、諦め、諦めきれない願い、誰からも侵されるべきではない彼の尊厳、毎日傷つけられ鈍麻している尊厳などなど。凝視は、焦点を合わせて見続けるという意味合いです。じっと見る、その視線は一方的な観察であるべきではないことをペトロは知っています。十字架前夜、焚火に当たっていた時、ペトロは大祭司の家の者から凝視され、イエスの弟子であることを見破られました。上からの観察は失礼です。

 「あなたはわたしたちの中へと見なさい」。ペトロは双方向で見ることを求めます。ガリラヤ訛りを隠さず、漁師だったこと、それを捨てて教会を建て上げ、教会の共同生活によって生きていること、「ナザレのイエスがよみがえらされたこと」を日々証言していること、それゆえに尊厳が保たれ救われていることなどなど、わたしたちの中身を見てほしい。お互いに目と目を合わせて、本心の中へと焦点を合わせよう。ペトロは腰を屈め視線の高さを合わせます。

 その男性は見つめ合うことで期待しました。施しをもらえると思ったのです(5節)。しかしペトロは「銀と金はわたしにない」と言いました。がっかりです。ペトロはさらに言葉を続けます。「わたしが持っているものを与える。ナザレ人のイエス・キリストの名前において歩け」(6節)。ペトロは見つめ合うことで、彼の本心の願いを知りました。それは歩くことです。さらにペトロは、彼が思いもよらなかったことを付け加えています。「ナザレ人のイエス・キリストの名前において」。この言葉は、バプテスマの時の宣言文に似ています。イエスという名前において歩くことはキリスト者として生きるということです。

7 そして彼を右手で取って、彼は彼を起こした。さてすぐに彼の足元が強められた、踵も。 8 そして跳び上がりつつ彼は立った。そして彼は歩き続けた。そして彼は彼らと共に神殿の中へと入った、歩きつつ、また跳びつつ、また神を賛美しつつ。 9 そして全ての民は、歩いている、また神を賛美している彼を見た。 10 さて彼らは彼を認識した、彼が施しに向かって神殿の「美しい門」に接して座っている男性であるということを。そして彼らは驚異と驚愕で満たされた、彼に起こったことに関して。

 ペトロは右手を差し出して、彼を起こします。すると彼の足元が強くなったというのです(7節)。ここは一般的な「足」という単語ではなく、「基盤」(英語のbaseの語源)という単語が用いられています。生きるための基盤が確かに据えられたという意味合いです。水は飲んでも渇くものです。足もこの時立つことができても加齢により立てなくなるかもしれません。そういう足の強まり方ではなく、全存在の基礎が据えられる経験をこの男性はしました。

 彼は何度も跳びます(8節)。地面から離れるという経験をしたかったのです。それは自由を象徴します。その彼がペトロとヨハネと共に神殿の中へと入ります(1・2・3・8節)。本心からしたかったことは、神殿の門に置かれることではなく、同じユダヤ人として神殿の中へと入って神を賛美し神を礼拝することだったということが、読者に初めて知らされます。信教の自由・思想信条の自由・内心の自由、これらは基本的人権の中核です。自分の信じる神を自分の望む方法で礼拝するということ、自分の足で神殿に入り、自分の手で犠牲を捧げるということ。これこそ彼の本心でした。自発的礼拝に意義があります。

 彼を毎日門に置き続けていた人々は驚きます(9-10節)。彼らは「施し」だけがその男性の生命を支える基盤だと思っていました。しかし、そうではない。本心を語り合える友がいることや、自分の意思をキリストの名前において行うことによって、わたしたちの生命は支えられます。あの醜い争いを繰り広げたペトロとヨハネがイエスに倣って、一人の歩けない人の友となり癒しました。「美しい門」は、命に至る狭い門を象徴しています。二人は神殿を共に歩く間この男性に十字架と復活の意義について伝えたことでしょう。

 今日の小さな生き方の提案は、人生の基盤を据えることです。ナザレ人のイエス・キリストの名前において歩くことに美しい生き方があります。誰かと比べて落ち込んだり優越感を持つことは醜いことです。むしろ対等の視線で語り合う友を持つことが美しいのです。わたしたちは重力のように引き寄せる罪から離れることができません。支配したがることや支配されたがるという誘惑は毎日あり、わたしたちを醜く非人間化しています。非人間化はあの男性を苦しめた社会制度に由来する場合もあります。重力に抗して真っ直ぐに立ち、美しい姿勢で歩くことは悔い改めによります。キリストの名前で祈り、キリストの隣にいる神の前に謝り、聖霊に導かれ本心にある生き直しを呻きながら願うのです。これが狭い門から入る永遠の命の道です。共に自発的な礼拝を捧げながら、ペトロが持っていた美しい姿勢をわたしたちも誰かに伝えましょう。その人の人生の基盤を紹介しましょう。