転入会の証 岡村千鶴子

転入会の証 岡村千鶴子

私と神さまとの出会いからお話しさせていただきます。長男の幼稚園入園がきっかけでした。日曜日の保育は自由参加でしたが、友だちと遊びたい息子に引っ張られるようにして、教会に行くようになりました。教会学校の成人クラスに出席し、堅苦しいイメージだった聖書の内容もクラスリーダーの率直でわかりやすい話にだんだん楽しいものになりました。子どもたちから離れて、わずかでも自分の時間が持てることも魅力でした。

礼拝にも出席して、歌うことが好きな私は讃美歌をうことが楽しく、聖書のみ言葉に触れて肩の力が抜ける感覚を味わうこともありました。子育てに迷い、どうしても自分の枠に子どもをはめこもうとして自分を責める日々の中にあって、「ありのままの自分でいいから、わたしのところに来なさい。」とイエスさまに招かれていることを思わされバプテスマを受けました。息子が入園した翌年1987年のクリスマスでした。

2002年に城倉啓牧師が赴任してこられ、私にとっては教会に新しい風が吹き込まれたという印象でした。イエスさまがなさったように、世の中で小さくされた人、弱い人々にとことん寄り添うことの大切さを学びました。そのひとつが、主の晩餐をすべての人に開かれたものとすることでした。神さまの祝福はすでにすべての人にそそがれており、クリスチャンだけで主の晩餐を守ることは、世の中で辛い思いをしている人が教会に来たときも悲しい思いをすることになるとあらためて理解しました。主にあって、すべての人は平等であり、排除したりされたりすることがないような群れでありたいと願うようになりました。ただ、考え方はいろいろです。意見の違いを認め合うことができず、身体的な弱さを持つ人や、教会員以外の人に対する言動に悲しい場面を見ることがあり、教会とは何か?という思いが大きくなっていきました。

城倉牧師ご一家が去られたあと、礼拝に出席することがだんだん苦しくなりました。そして、この夏頃に同じ思いを持つ友と自主的な集会を持つに至りました。説教はどうしようか?となった時、泉教会のホームページにUpされている説教を使わせていただくことになり、城倉牧師に了解していただきました。「二人または三人がわたしの名によって集まるところにはわたしもその中にいるのである」とのみ言葉を実感できるうれしい出来事となりました。その上城倉牧師から、「同じ説教を分かち合うなら、私が出かけて泉の礼拝をしましょうか?」との申し出があり、泉教会の皆さんからも了解をいただき、池袋礼拝が始まりました。毎月第二・第四日曜日の午後10名前後の礼拝を守っています。説教を分かち合う時も与えられ、家の礼拝として実りある恵みの時となっています。

昨年からいづみ幼稚園のイベントにも参加させていただいています。教職員の皆さんが子どもの力を信じて、難しいことにも積極的にチャレンジしている様子も見せていただきました。部外者のような私たちをいつも歓迎してくださり解放的で自由な雰囲気が実に聖書的であると感じました。このことはつまり泉教会にも言えることでした。泉教会の皆さんが、深く幼稚園を愛してやまない思いも十分に伝わってきます。礼拝に出席させていただき、泉の皆さんが温かく迎えて下さっていることを心強く思っています。今、泉教会で心からの礼拝を守ることができる恵みに感謝しています。

これまでの教会で過ごした27年の日々にも大きな意味があったと思っています。出会った友人たちは私の宝です。これから、泉教会でどのようなことを経験し、どのような人々との出会いがあるのか楽しみです。教会を移ることは大きな決断でした。しかし、置かれた場所で主に仕えていくことが示されたと確信しています。時には迷い、悩み、立ち止まることもあると思いますが主にある希望を見上げつつ、新たな思いを持って泉教会で信仰生活を送らせていただきたいと願っています。どうぞよろしくお願いいたします。

2014年12月7日