1/6今週の一言

十戒には二つの版があります。出エジプト記20章2-17節と、申命記5章6-21節の二箇所に、ほとんど同じ内容が記されています。便宜的に前者を出エジプト記版、後者を申命記版と呼びます。

ほとんど同じ二つの版ですが、違いもいくつか散見されます。

比較的大きな違いは、第三戒「安息日規定」にあります。出エジプト記版は「安息日を覚える」としていますが、申命記版は「安息日を守る」としています。後者がより厳しい内容です。また、安息日を覚える/守る根拠が違います。出エジプト記版は天地創造で神が七日目に休んだことを根拠にしますが(出エジプト記20章11節)、申命記版は奴隷解放という救いを根拠にしています(申命記5章15節)。「安息日は、何もしない日なのか、それとも何かをする日なのか」、熟考を迫る異同と言えます。

第十戒の違いも目を引きます。出エジプト記版は、「あなたの隣人の家を欲しがらない」(出エジプト記20章17節)とし、隣人の妻を家の中の一部と考えます。申命記版は「あなたの隣人の妻を慕わない」(申命記5章21節)として、配偶者を所有物より優った存在と考えています。動詞も異なります。家とは何か、家庭とは何か、向き合う存在としての夫婦とは何か、これまた考えさせられます。

比較的小さな単語レベルの違いもあります。残念ながら新共同訳聖書では訳出されていないので、煩雑ですが原文を交えて以下に紹介いたします。

接続詞「ヴェ」の存在。出エジプト記版にはありませんが、申命記版の第七戒から第十戒の四つの言葉の冒頭全てに、「そして/また」という意味の接続詞「ヴェ」が付いています。この接続詞の効果は、継続性・連結性の強化です。第六戒から第十戒までを一塊と読ませようとしています。これによって、前文から第五戒が「十戒の第一の板」、第六戒以下が「十戒の第二の板」という理解が促されます。

さらに、第九戒「偽証しない」についても、一単語異なります。出エジプト記版は「偽りの証言」という表現です(エド・シェケル)。申命記版は「虚しい証言」という表現です(エド・シャヴ)。シャヴという単語は、第三戒「虚しいことのために主の名を持ち出さない」でも用いられている単語です。出エジプト記版は「欺瞞に満ちた偽証の問題性」に力点を置いています。それに対して、申命記版は「空々しい偽証の問題性」を指摘しつつ、神の名が裁判で悪用されていることをも暗に批判しています。

二つの版の違いを多様性の豊かさと捉える大らかさが大切です。 JK