10/16今週の一言

10月16日の祈り会はお休みでした。今回は随想風に。

「ジェンダー」という単語をご存知でしょうか。「後天的・社会的につくりだされた性別」のことを指す用語です。いわゆる「男らしさ」「女らしさ」などが、決して絶対的な区分や基準ではないことを知るために、有益なことばです。知らず知らずのうちに「~らしさ」によって苦しめられている人を、解放することに役立つので、ジェンダーの視点を持つことをおすすめいたします。

普段使う言葉の中にも「~らしさ」の押し付けは忍び込んでいます。たとえば「女子大生」や「女医さん」という言い方はどうでしょうか。この言葉は、「およそ大学生/医者というものは男性がなるものである」という前提に立っています。だから、「女性であるにもかかわらず大学生/医者である人」を指すために「女子大生」「女医」と、あえて性別を冠しているのです。

この類の単語は、今よりも女性が大学に入学することや医師免許を取得することが稀であった時代の名残でもあります。「男勝り」であり「女らしくない」人として、女子大生や女医は存在したということです。そしてこの言葉を使う限り、同じように女性たちの人生の選択幅を狭める意識の醸成に手を貸すということにもなるのです。この一連の循環によって、後天的・社会的に作り出される性別がジェンダーです。「女性牧師」「牧師夫人」という単語にも同じ匂いを感じます。結婚している男性が牧師になるべきという意識をつくりだしているからです。

簡単なチェックの方法があります。逆があるかどうかを考えれば良いのです。たとえば「男子大生」「男医」「男性牧師」「牧師夫」などが普及しているでしょうか。無いとなれば、「女子大生」「女医」「女性牧師」「牧師夫人」はジェンダーまみれの単語であり、積極的に用いるべきではないでしょう。聖書の訳語にもジェンダーまみれのことばがありえるので注意が必要です。

「牧師夫人」という単語には、もう一つの論点があります。「~夫人」という言い方そのものが、「地位のある人に付属し随伴している妻」を含意しているという問題です。前々任地で医師の妻である教会員にだけ「A夫人」と呼ぶ習慣があり驚きました。「~妻人」という風に、同じ境遇の男性を呼んでいないので、「~夫人」という言い方そのものがジェンダーまみれです。教会では名前で呼び合うことが良いでしょう。 JK