11/9今週の一言

11月9日の聖書のいづみでは、出エジプト記32章25-29節を学びました。旧約聖書の中にはさまざまな原因譚が記されています。原因譚というのは、「なぜ現在このような状況が起こっているのか」を説明する、過去の物語のことです。イスラエルには12の部族がありますが、レビ部族という一つの部族だけが祭司職を担っていました。「なぜ他でもないレビ部族だけが祭司の役割を現在担っているのか」という質問に対する回答として、今日の箇所は機能しています。これを原因譚と呼びます。

「金の子牛事件」はモーセによる多くの民の粛清という凄惨な結末をもたらしました。約3000人の造反者が虐殺されたのでした(28節)。このモーセの感情的な命令に従い、虐殺の下手人となったのが、「レビ部族の息子たち全員」でした(26節)。アロンもその息子たちもレビ部族の出身なので、造反の首謀者であるアロンも虐殺の加害に加わった可能性があります。アロンは大祭司職を守るために、卑劣な裏切りをしているのかもしれません。

レビ部族は誰よりも早くモーセへの忠誠を誓い、誰も行いたくない「自分の兄弟・友・隣人」を殺す行為を執行した功績によって、「主の祭司職に任命」されました(29節)。大虐殺が功績としてたたえられるという発想、そして実際に重用されるという実践、その実践が伝統として積み重なり「レビ部族は祭司の家系」として固定化される現実に慄然とします。聖書の中には、この類の急進的過激な言動が評価されることがあります。

モーセは「預言者/使者の定式」を用いて、レビ部族の男性たちに命じました。「イスラエルの神、主がこう言われる」(27節)。しかし、主はモーセの説得によって、全イスラエルを滅ぼすことをすでに翻意しています(14節)。だから粛清命令は主ではなくモーセの感情的な意見です。モーセは神の名を騙って、自分の暴力を正当化しているのです。実際、虐殺行為は、十戒の第六戒「あなたは殺してはならない」に明確に反しています。神の名をみだりに唱えている点でも、十戒の第三戒「あなたは主の名をみだりに唱えてはならない」にも背いています。

イエスは「良いサマリア人の譬え」によって、特権階級であるレビ部族を批判しました(ルカ福音書10章32節)。また、市民社会における虐殺・リンチを戒めています(ヨハネ福音書8章7節)。隣人愛を勧めるイエスの教えによって、モーセの感情任せの暴力、神の名による虐殺は批判されるべきです。 JK