2/22今週の一言

2/22の「聖書のいづみ」では出エジプト記34章14-16節を学びました。14-26節は「祭儀的十戒」と呼ばれています。祭儀的十戒の反射として、20章2-17節の通例「十戒」と呼ばれるものを、「倫理的十戒」と呼ぶこともあります。それぞれの内容に応じた名づけです。倫理的十戒が「両親を敬うこと」から「貪るな」まで倫理的な教えを含んでいるのに対して、祭儀的十戒は徹底して祭儀的な定めを述べています。しかし正にそれゆえに、祭儀的十戒の方が成立年代は古かったと推測されます。

現在の文脈では、先に倫理的十戒を筆頭とする律法(「契約の書」とも呼ばれる21-23章)が授与され、シナイ契約が締結されました(24章)。その後に、金の子牛事件で一旦破れた契約が、祭儀的十戒の授与と共に再締結されます(34章)。いずれにせよ「十の言葉」が与えられていることに意義があります。主ご自身にとっては、二枚の石の板に記された両者の内容は同じです(1節)。しかし並べて比較すれば明らかなように、唯一の神への礼拝遵守と、安息日に関する規定だけが内容的に重なっています。つまり倫理的十戒の中の祭儀的部分が共通するに留まっています。

倫理的十戒および祭儀的十戒の第一戒は、主(ヤハウェという固有名)という神を礼拝するようにとの命令です。「彼の名前は、ヤハウェ・カンナー、エル・カンナー」です(14節)。祭儀的十戒には、「神の名前をみだりに唱えないように」という禁止命令はありません。むしろ積極的に「ヤハウェ・カンナー」と呼びかけることが求められます。ここで「カンナー」の解釈が問題となります。なお、「エル」は「神」とも訳しうるし、固有名ととることも可能な単語です。

カンナーの原意は「嫉妬」です。口語訳聖書は「ねたむ神」と訳していました。神がやきもちを焼くということはあまりに人間臭く神の形容として相応しくないという理由で、「熱情」(新共同訳)や「熱愛」(岩波訳)などの翻訳が登場しました。この文脈では口語訳の立場がより良いでしょう。なぜなら、神と民との契約は一対一の約束事であり、それは一夫一婦制のもとの結婚関係に似ているからです。だからこそ、先住民族との結婚とその結果としての神礼拝放棄が、「姦淫」(宗教的不倫の意。15-16節)と断じられているのです。ヤハウェという神は、この状況について「ねたむ神」です。

「ヤハウェ・カンナー」と神の名を呼ぶ礼拝を続けることで「神への集中」を修練していくことができます。キリスト者にとってそれは「ナザレのイエス」という名前への集中です。 JK