2018/05/09今週の一言

 

5/9の聖書のいづみは、サムエル記上6章15-18節を学びました。

ヤハウェの箱がペリシテ人の地からイスラエルに戻ってきた場面の続きです。ペリシテに近いベト・シェメシュという町に、ヤハウェの箱は牛車に乗せられて帰ってきました。

15節に「レビ人」が登場します。レビ人とはイスラエルの部族のうちの一つです。イスラエルという名前を持つ始祖ヤコブには、十二人の息子と一人の娘がいました。この十二人が「十二部族」の元になりました。イスラエルの領土は十二部族に分割されて占有されました。レビはヤコブの三男です。

レビ人はレビ部族の人という意味です。レビ部族は、例外的に唯一領土を占有しない部族でした。その代わりに、レビ部族に属する人々は、祭儀を司り捧げ物の一部を所有することで生計を立てるのです。ヤハウェの箱を運搬する仕事もレビ人の担当でした。

ヨシュア記21章16節によれば、ベト・シェメシュはレビ人が居住する町の一つです。そういうわけで、ここにレビ人が当然のように登場し、祭司としてのレビ人がヤハウェの箱を持ち運び、焼き尽くす捧げ物を燃やし、犠牲獣をいけにえとして捧げているのです(15節)。

ペリシテ人の五人の領主は、この様子を見てエクロンというペリシテ人の町に帰りました(16節)。彼らはイスラエルが自分たちからの賠償を受け取ったことを確認しました。イスラエルが正式な祭司を立てて感謝の礼拝を捧げている様子が、受け取ったことの証拠です。

ペリシテ人の五大都市の数に従って、痔核の形を模した金の像が五つ献じられました(17節)。また、城壁で囲まれた大きな町から、城壁のない小さな村までの数に従って、ねずみを模した金の像が献じられました(18節)。ペリシテの全領土で赤痢のような疫病が蔓延していたのでしょう。疫病が止んだかどうかは明記されていませんが、誠実な謝罪と賠償によって神の怒りは宥められたと推測できます。

新共同訳聖書は「主の箱が置かれた大きな石は・・・」(18節)とありますが、直訳は「ヤハウェの箱が休まされた大きな敷石は・・・」です。人々は刈り入れの農作業を中断して礼拝を始めました。日常の労働を断ち切る休みが、礼拝というものです。そして礼拝は、人々の休みというものだけではありません。天地創造の七日目に休まれた神もまた、礼拝の中で休んでおられます。休む神と共に休むという礼拝を、わたしたちはどのように表現できるでしょうか。 JK