2018/08/29今週の一言

すべての法律は「性悪説」に立っています。人間は自分の得になる行為をしようとするものです。憲法13条にも、個人の幸福追求が権利として認められているのですから、自己中心であることそのものは悪いことではありません。性悪説を聖書の世界では「罪」という言葉で表現します。

選挙を含む民主政治制度を設計する際にも「罪」は鍵となります。人間が利害得失を計算しながら生きる性質はどの程度まで許されるのか。逆にその性質を利用して、全体にとって益となる方向に個人を制度によって誘導すること可能ではないのか。善を願いつつかえって悪を行ってしまうかもしれない「罪人」は、実は逆に悪を願いつつかえって善を行ってしまうかもしれない者たちでもあります。

金銭は人間の所有欲を象徴します。神と富とに兼ね仕えることができないからです。貨幣経済に基づく社会において、カネこそ人間の行動を誘導する動因です。利権政治が横行するゆえんです。制度の抜け穴を悪用して違法スレスレの利得行為をする者たちが必ずいます。政官業の鉄の三角形はカネを目的とし政治権力を手段とする利益集団です。長期固定的絶対権力は絶対に腐敗するものです。

腐敗した権力を「獣」(黙示録13章)と呼び抵抗することも可能です。またキリスト教的な高い倫理観をもって批判しなくてはいけない場面も多々あります。しかし権力者もまた同じ罪人に過ぎません。民主制にあっては、統治する者と統治される者は同一であると観念されます。住民のレベル以上の住民代表は選出されません。議員は、より多くの誘惑に遭遇する職業を選んだ、わたしたちの一人です。

わたしたちの責務は、政治権力者が罪に陥らない政治制度を設計することにあります。まずはできる限り抜け穴をゼロにすることです。たとえば現在も企業団体献金は個人政治家には禁じられていますが政党支部に対してはできます。政党支部から個人政治家になされる資金移動は可能なので、抜け穴となっています。政治資金については厳正に報告させるべきです。限られた人たちだけに政治権力を握らせずに、より多くの人に分担させ、できる限り短期間で交代させる工夫も必要です。

カネによって政党や政治家を倫理的な方角に誘導することも可能です。現在、政党交付金が国政政党のみに配分されています。たとえば女性・「障害」をもつ人・若者などを候補者として擁立するならば交付金を増やす(擁立しないならば減らす)などの方向付けが考えられます。悪によって善を生み出すしたたかな逆転です。

特定集団の利害を代表する議員だけで制度設計をさせてはいけません。政治制度は多様な利害をもつ人たちが主導し熟議をして改善していくべきです。JK