2019/02/06今週の一言

26日の聖書のいづみは、フィリピの信徒への手紙136節を学びました。以下は、ギリシャ語原文の語順を意識した私訳です。

 

3 私は私の神に感謝している。あなたたちの思い出について、

4 いつでも、あなたたち全員についての、私の全ての祈りにおいて、喜びと共に祈りを為しつつ、

5 かの最初の日から今に至るまで、あなたたちの福音への参与について〔感謝している〕。

6 まさに確信している。すなわち、あなたたちの中で良い業を始めている方が、キリスト・イエスの日まで完成し続けるだろうということを。

 

パウロの文章は難しいと言われます。彼の第一言語はギリシャ語です。だから豊富な語彙を用いながら、味のある文章を書くことができます。味のある文章というものは、文法的には複雑だったり、省略が多かったり、要するに第一言語ではない人には意味が取りにくいものです。日本語であっても事情は同じです。

36節も、さまざまな工夫によって区切って一文を構成したり、逆に単語を補ったりしなくては、意味が通りにくい文です。3節冒頭の「パウロの神への感謝」はどこまでの範囲について及んでいるのでしょうか。

私訳は、5節の最後「福音への参与について」までと解す立場です。5節の内容がパウロのフィリピ教会に関する思い出となっているので、うまく対応していると考えるからです。「かの最初の日」(5節)は、フィリピ教会がパウロ系列の教会として伝道を開始した、その日のことでしょう(使徒言行録16章)。

6節「まさに確信している」は、「私は」等の主語を含む本動詞を用いない表現です。完了分詞です(英語で言えばhave been -ing)。4節の「祈りを為しつつ」は現在分詞です(同 -ing)。分詞も訳しにくくさせる原因の一つです。完了は、過去の動作の効果が現在にまで及んでいるということを表現するための時制です。パウロが確信したのは過去の動作ですが、その確信の効果が手紙を書いている現在にまで及んでいることを表現しています。

パウロはフィリピ教会設立当初から、聖霊による交わりの形成がなされていることを、ずっと確信していたのでしょう。福音への参与(交わり)という救いは、世の終わりに突如完成するものではありません。キリストの到来まで、日々聖霊が完成し続けるであろう事柄です。JK