2019/06/05今週の一言

首相の近辺で「衆参同日選挙」の可能性について、盛んに観測球が上げられています。「衆議院の解散は内閣総理大臣の専権事項」という慣例がまかり通っています。大手報道も「首相の伝家の宝刀」などと面白おかしく報じ、ほとんどこの慣例の憲法上の問題や、民主政治にとっての問題性についてメスを入れていません。

憲法は、衆議院解散の方法や、解散をする権限が誰にあるのかということを明確に規定していません。確かに「内閣不信任決議がなされた場合には衆議院が解散される」ということを前提に、憲法第69条は書かれています。しかし微妙な書きぶりです。みなさんは次の条文を読んでどのようにお感じになるでしょうか。

第六九条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。

では「首相の伝家の宝刀」の根拠はどこにあるのでしょうか。意外なことに根拠条文は天皇について定める第一章(第1-8条)の中にあります。第7条です。

第七条 天皇は内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。〔一号・二号略〕 三 衆議院を解散すること 〔後略〕

この条文も首相の専権事項と明記しているわけではありません。文言上、衆議院の解散を内閣は承認し、国事行為としてそれを行うように天皇に助言はできそうです。天皇の政治的権能を否定する現憲法の立場からは、内閣が解散を承認する方が、天皇が承認するよりもましです。しかし、「内閣」とだけ書いてあることに留意が必要です。つまり首相個人を名指ししてはいません。内閣を構成する国務大臣の任免権が総理大臣にあるので(第68条)、第7条の「内閣」を「内閣総理大臣」とみなす。極めて技巧的な解釈を施していることが分かります。

現在の慣例は民主政治にとって有害です。衆院議員4年の任期は公約した政策を実現するために必要だからです。首相にとって有利な時期に任意になされる解散は、野党のみならず与党議員にも萎縮効果を与えます。「一人の王」を生み出す仕組みは非民主的です。実際、英独両国では、下院議員の任期固定を法定化したり、次期首相指名をしなければ不信任決議ができないようにしたりするなど、解散をしづらくする仕組みを導入しています。頻繁な選挙は税金の無駄使いでもあります。

「権力が分立していない国は憲法を持っていない」と言われます。キリスト教の神が三位一体の神であることは、三権分立との類比になりえます。議院内閣制は行政と立法の上下関係と一体化を強めるので、そこに歯止めをかけ、分立を強める改善が必要です。行政から立法への解散権の横行は、逆方向です。JK