2019/08/21今週の一言

前回の続き、今回は「選挙」について考えます。

民主的な選挙の実施は、民主政治制度Democracyの大前提だと言われます。確かに、政治的意思表明の自由・投票の秘密と開票の公正さ・民意を反映した選挙制度は、現在の民主政治の土台です。しかし選挙は絶対の神ではありません。わたしたちは聖書に登場しない選挙というものを神学的・批判的に吟味すべきです。

選挙という仕組みが登場したのは約200年前の欧米です。市民革命の結果、絶対君主政国家から共和政国家に変わる国が生まれました(英米仏)。モンテスキューによれば共和政国家には二種類あります。民主政と貴族政です。前者は国民全体が主権的権力を握る政体、後者は国民の一部が主権的権力を握る政体です。

革命家たちは権力を奪ったとたんに民主政を毛嫌いします。自らが富裕層・知識人という「貴族」だったからです。また、ヨーロッパでは古代ギリシャ以来ルネサンス期まで抽選制という代表選出の方法が、民主政Democracyと結びついていたからです。民主政を採り抽選制によって代表を選べば、自分たちも公平に権力の座を譲らなくてはなりません。こうして一種の貴族政存続のために選挙という仕組みが編み出されます。選挙権・被選挙権という考え方そのものが貴族政的です。白人・男性・成人・高額納税者に、彼らは権利行使できる人を限りました。詳しくは『選挙制を疑う』Dヴァン・レイブルック著(法政大学出版局)参照のこと。

旧約聖書には、イスラエルが代表選出の際に抽選を用いたことが記録されています(サムエル記上10章17-24節)。イスラエルの初代王サウルは、血統にもよらず選挙にもよらず抽選制によって、主権的権力を握る王になりました。サウルはイスラエル十二部族のうちのベニヤミン部族出身です。先祖ベニヤミンが13人きょうだいの中の末弟だったので、サウルは血統によれば王になりえません。実質的長男であるユダやエフライムの子孫こそが王家に相応しいはずです。

さらにベニヤミン部族は、直前の内乱によって極度に人口を減らしています(士師記19章以下)。サウルには多数を形成することができないので、仮に選挙が行われても代表に当選することはありえません。古代イスラエルは泡沫候補をも選びうる抽選という偶然性に「神意」をみました。古代ギリシャの民主政が抽選という偶然性を公平な「民意」反映の道具としたことと、深いところで響き合っています。

男性・高齢者・健常者・非アイヌ民族への偏り、世襲議員・資産家の多さ等々、結果の不平等を見るにつけ、選挙制だけに頼ることの問題を感じます。偶然性民主政の部分採用、抽選と選挙の混合もありえるのではないでしょうか。JK