2019/12/04今週の一言

12/4の聖書のいづみでは、フィリピの信徒への手紙3章10-11節を学びました。以下にギリシャ語の語順を意識した直訳風私訳を記します。

10 彼と、彼の復活の力と、彼の諸々の苦難の交わりとを知るために、彼の死と同じかたちになりながら、

11 どうにかして私は死者たちからの復活へと到達したい。

「彼」はキリストを指します。

10節の「知るために」という不定詞は、同格で並べられた三つの名詞にかかると考えるのが自然です。それはすなわち、「彼」・「彼の復活の力」・「彼の諸々の苦難の交わり」です。ここでの「知る」はヘブライ語の用法にまで遡れば、単に知識として頭の中で知ることではなく、人格的・身体的・経験的に知るという意味です。つまり自分の人生を通して、キリストを受け入れキリストと霊的に交流し、キリストが自分を活かしていることを実感し、キリストが十字架へと至った道のり(苦難は複数)を追体験するということです。

この三つは一つのことがらです。「彼の死と同じかたちになりながら」は現在分詞、英語で言う「-ing」です。そして、文法的には上述の三つの名詞のすべてにかけることも不可能ではありません。人生を通じて十字架のイエスのようになりながら、キリストを知り・復活の力を知り・苦難の交わりを知る。現在分詞が、三つのことがらを一つにまとめています。

つまり信仰生活は、キリストと共に日々低みを目指して歩むこと、復活の爆発的な力を信じて生きること、苦難を引き受けて生きることの三つを、同時に持ちます。それが、絶大な価値を持つ、イエス・キリストを知るということです。

「同じかたちになる」は、おそらく、「かたち」(2章6・7節)という言葉を意識しながらのパウロによる造語です。自分がキリスト信仰のために拘留され、苦難の只中にあること、このまま死ぬかもしれないという境遇も、パウロは意識していると推測します。それはキリストの受けた引渡し・逮捕・拷問・裁判・処刑と重なっています。

11節になって初めて、主語を伴う本動詞が登場します。ここにパウロの意志がはっきりと示されています。「死者たちからの復活」。人生を通して、真に自分自身を輝いて生きることに到達し、今から始まる永遠の命を生ききることが、パウロの願いです。かくありたいと思います。JK