2020/02/05今週の一言

2/5の聖書のいづみでは、フィリピの信徒への手紙3章17節を学びました。以下にギリシャ語の語順を意識した直訳風私訳を記します。

17 あなたたちは私の模倣者に(一緒に)成りなさい。兄弟たちよ。そしてそのように歩んでいる人々をあなたたちは注視しなさい。あなたたちが私たちの型を持っているように。

相撲にも「型」という言葉があります。四つ相撲になって組む際の、組手のことです。右下手・左上手ならば「右四つの型」、逆ならば「左四つの型」と呼びます。突き押しのみの力士については、「型を持っていない力士」と呼びます。そして、型を持たないで横綱まで上り詰めることは、とても難しいと言われます。事ほどさように、あらゆる世界で「型」というものは重要です。キリスト教会においてもご多分に漏れません。

パウロはフィリピ教会の人びとに向かって、「私の模倣者」に成るようにと勧めています。それを、「私たちの型」を持つとも言い換えています。具体的には、パウロや彼の周辺の使徒たちを真似ながら日常生活を送ることです。「模倣者」(ギリシャ語mimetes)という単語に、意味を強めるために「一緒に」(ギリシャ語syn)という前置詞がくっついています。新約聖書に一回しか登場しないこの合成語は、おそらくパウロの造語です。さまざまな名詞に「一緒に」をくっつけることは、パウロの癖でもあるからです。

パウロは共同体というものを常に意識しています。教会という集団(キリストの体)は、一人では形作れません。二人以上集まってイエスを主と仰いで礼拝する組織の只中に、キリストを中心とする教会が成り立ちます。だから教会は常に「一緒に」歩む群れです。

「模倣者」を現代ヘブライ語訳新約聖書は、「後ろを歩く者」と翻訳しています。「歩く」は、ヘブライ語HLKという動詞。そしてそれは、直後の「歩んでいる人々」と同じ単語です。模範となる人の背中をよく見ながら後ろを歩くうちに、同じ歩調・同じコース取り、つまり生き方を学びます。先輩のキリスト者の後ろを歩くうちに、自然に型が身についていくのです。

私たちの1メートル前に先輩が歩き、さらにその1メートル前に先輩の先輩が歩き、さらにその1メートル前に・・・・・。雲なす先達たちの先頭にキリストご自身がおられます。イエス・キリストという唯一の型に倣いたいものです。JK