2020/02/10今週の一言

キリスト教界では2月11日を「建国記念の日」と呼ばずに、「信教の自由を守る日」と呼びならわしています。

「建国記念の日」は戦前「紀元節」と呼ばれる休日でした(1874年適用)。記紀神話に基づいて天皇家が国を興した日が2月11日に当たるとされていたのです(当初は1月29日)。当時、天皇は政治上の元首でもあり、国家神道の長でもありました。この政教一致体制が、近隣への軍事侵略と植民地支配を推し進める原動力となっていました。国家神道以外の思想・信条を許さないという統治は、キリスト教も持つ平和主義・国際協調の思想を弾圧し、天皇礼拝(宮城遥拝や君が代を歌うこと)、神社参拝、戦争協力を教会に強要しました。

日本バプテスト連盟の前身であるバプテスト西部組合は、1930年代までは国家の思想統制に抵抗していました。しかし1940年代に日本基督教団への合流をし、天皇を拝みながらキリストを礼拝し戦争協力もしました。当時の大日本帝国憲法(明治憲法)においては、天皇の神聖不可侵が謳われ政教分離原則は規定されず、思想信条の自由は「国家の安寧秩序を保つ限りにおいて」のみ許されていました。憲法によって国家権力を縛ることは難しかったのです。

敗戦後に日本国憲法が制定され、政府による戦争遂行を二度とさせないという決意のもと(前文・9条)、政教分離原則厳守と信教の自由の保障が規定されて(20条・89条)、「紀元節」は廃止されました。日本バプテスト連盟は「建国記念の日」を2月11日に再制定(1967年適用)することに反対しています。

日本国憲法は平和憲法というあだ名を持ちます。それは前文や9条だけの特徴ではありません。上記の歴史的経緯から明らかなように、日本国憲法の謳う平和主義は、厳格な政教分離原則・拡充された信教の自由と深く結びついています。

17世紀英国で発生し、18世紀米国で増え広がったバプテスト派には、戦争放棄のような平和主義の思想はありませんでした。もっぱら自分たちの信仰の自由や礼拝の自由が保障されるために政教分離原則を主張していたのです。より厳密に言えば、キリスト教世界におけるバプテストという党派的信条の自由に主眼がありました。白人・成人・男性のみの視点で語られている「自由」であり、国内異人種・外国人や別の信仰の人々の自由や、国際平和という観点は乏しかったのです。

政教分離原則・信教の自由と、平和主義が結びついたことは、日本社会の苦々しい体験から生まれた貴重な実りです。歴史の主である神の導きにより「正義と平和は口づけし」(詩編85編11節)たのですから、その教えに従いたいと思います。JK