2020/03/04今週の一言

3/1の聖書のいづみでは、フィリピの信徒への手紙4章1節を学びました。以下にギリシャ語の語順を意識した直訳風私訳を記します。

1 それだから、私の愛するまた慕うべき兄弟たちよ、私の喜びまた冠よ、このように主にあって堅く立て、愛する者たちよ。

フィリピ教会の教会員たちに対する呼びかけがくどいほどになされています。「愛する」と「愛する者たちよ」は原文ではまったく同じ表現なので、どちらも「愛する者たちよ」とも訳しえます。そうなれば、「私の兄弟たちよ」「愛する者たちよ」「慕う者たちよ」「私の喜びよ」「私の冠よ」「愛する者たちよ」と、合計6回5種類の呼びかけがなされていることになります。

手紙という文学分野は、相手が誰であるのかを知っている文章です。その意味で、相手に呼びかける必要性はあまりありません。もし呼びかけるとするならば、そこにメッセージが込められている場合でしょう。パウロの場合、「どうしてもフィリピ教会の教会員たちを褒めたい」という意識が強くあります。「わたしはあなたを愛している」というラブレターです。

私的手紙が、諸教会で回覧され、礼拝の中で用いられた時に「正典」とされます。いつでもどこでも通用する「神の言葉」への格上げです。パウロとフィリピ教会の特別な信頼関係が、神とわたしたち信徒の信頼関係の模範となるのです。神は、くどくどとわたしたちに、「わたしはあなたを愛している」と福音を語り続けておられます。

その無条件の恵みを前提にして、「主にあってあなたたちは堅く立て」という命令が響き渡ります。「堅く立つ」の原意は「立つ」「立ち続ける」「屹立する」であり、転じて「主張する」という意味になります。ヘブライ語まで遡ればクーンという言葉、神との契約を立てる際に用いられます。少数者となっても、自らの信仰的良心にしたがって、周りの多数派に対峙するイメージです。マルチン・ルターが、宗教裁判にかけられた時に「われ、ここに立つ」と主張し続けた様子と重なり合います。

「コロナウイルス禍」という事態の只中にあります。群衆に煽られることなく、自らの良心にしたがって行動したいと思います。特に憲法19-23条の保障する「個人の内心・信教・表現・行動・教育の諸自由」が国家によって侵害されないように目を注ぎたいです。JK